「これにサインをしてくれませんか」尿酸値14.8でも痛風にならない映画監督が医師から頼まれたこと
※ 本稿は、キンマサタカと全日本痛風連盟編『痛風の朝』(本の雑誌社)の一部を再編集したものです。
■高い尿酸値だけど痛風にならない特異体質
実はですね、私は厳密にいうと痛風じゃないんです。尿酸値が高いのは間違いないけど、痛風=発作が出たことだと定義するなら、私はそれにあてはまらない。
自分の尿酸値の高さにはじめて気づいたのは5年前です。
人生で初めての人間ドックに行ったんですが、終わった後の問診をしていたら、私のカルテを見た問診の先生が興奮しているのがわかったんですね。
すると内線でどこかに電話をかけた。すぐに違う医師がやってきて、自分には見えないようにカルテを挟んで、ごにょごにょ言っているわけです。
二人はこちらを見て「これにサインをしてくれませんか」と言う。なにこれと思いますよね。そうすると「いや大丈夫」「いいことだらけなんで」と僕を説得しようとしている。明らかにおかしいじゃないですか。
■「高尿酸値の不健康な人間」を探していた医者
聞けば、あとから部屋に入ってきたのは日本で3本の指にはいる循環器科の先生で、「尿酸値を下げる」というテーマで論文を書いているんだとか。臨床データをとるために高尿酸値の患者を探しているのかもしれないと私は思いました。
一般的に尿酸値があがると痛風の発作が出て、薬を飲むので数値が下がってしまいます。だから高い数値をキープしている人って少ないらしいんです。
研究者たちは高い尿酸値の実験台を手に入れたい。高ければ高いほど、数値の変化がわかりやすいんでしょうね。
ちなみに、その時の私の尿酸値は14.8(mg/dL)でした。一般的に7を上回ると痛風の危険があると言われているんですが、私は全く痛風の発作が出てない。
先生は尿酸値が高い人を常に探していて、院内に「高尿酸値の不健康な人間を見つけたらご一報ください」と網をはっていたのかも。察するにそこに私がひっかかったのではないかと。
とびきりの高い数値で、生活も不規則で、改善の気配もない。仮説を立証するには申し分ない。
想像だけが膨らんで最初は不安でしたよ。そもそも自分がそんな体質だったことも知らなかったし、なにより不便もありませんでしたから。でも、痛風の危険性をとうとうと説かれ続けると、だんだん不安になるわけで、定期的に検査もしてもらえるということで、まあいいかなと。それから処方された薬を飲むことになりました。
飲み始めて数週間で、なんと尿酸値は4まで下がりました。薬ってすごいですよね。
私の尿酸値を劇的に落とす理論を提唱した先生はどうなったかというと、アメリカの大学に留学することが決まりました。きっと私のデータで完成した論文が認められたのでしょうね。
■映画の世界は酒飲みには最高の職場
昔からお酒が好きでした。うちは酒を飲まない両親だったけど、私だけは好きでしたね。学校を出て映画の世界に入ったけど、ここがまた酒飲みには最高の職場でした。
僕が仕事をしていた東宝というスタジオは、当時は組合がとってもうるさいころで、おかげで労働環境はよかったと思います。
でも、組合が社員に残業をさせないとどうなるかというと、早く仕事が終わったチームから、「反省会」と称した飲み会が始まるだけで、工場みたいな詰所では、毎晩どこかで酒盛りをやってました。
酒を飲みながらするのは、やはり映画の話が多いのかな。最近流行っている映画の話をしますね。最近の話題は、配信ものすごいよねってことばかり。つい最近も韓国の『スペース・スウィーパーズ』というSFがすごかったという話で盛り上がりました。
昔は「これってどうやって撮ってるんだろうね」とか、制作の視点に立った話題が多かった。でも、昨今の特撮は、結論からいえばCGにどれくらい時間と金がかけられるかによるわけで、どう撮ってるかなんて自分たちの仕事のヒントにならないから、わかっても仕方ない。結局は金と時間をかければできる話なので。虚しいものです。
しかし、最近の映像配信系サイトのサムネイルは本当に伝わってこない。あれって実はAIが決めているらしいんですけど、どうしてこの写真を使うの? というのを選ぶ。あのAIはクビにしたほうがいいと思うなあ……。
昔から映画というのは、どうやったら映画館に足を運んでいただけるか、ポスター作りに気合いを入れたわけです。公開が終わりツタヤなどのレンタル店に置かれる時は、どうやってインパクトのあるパッケージを作って面出しされるかにかけていた。
レンタルになる時はビジュアルが変わる場合も多くあって、映画の時よりもわかりやすい見た目にして、視聴者のハードルを下げる努力もしてきました。映画からレンタルになるときに映画タイトルが変わることもよくありました。
それくらい気合を入れてきたのに、なんだあの鑑賞意欲をそそらないサムネイルはってね。痛風と全然関係ないですけど。
■とにかく動き回っているのに尿酸値が高い
制作期間は約2年、「シン・ウルトラマン」の撮影はようやく終わりました。今は編集作業の真っ最中。(編集部注:2021年5月27日に取材)
映画の撮影というのは、前日に翌日のスケジュールが出ます。僕は現場にだいたい1時間前に入って、「どれからやろうか」って相談をしていると、だんだん人が集まってきます。
監督の仕事は、まず決められたスケジュールを粛々と進めること。良い物をつくるのは当たり前なので。
昔はもうすこし「ここどうしようか」とか「ここうまくいくかな」ってそういう試行錯誤があったけど、最近はそういうのはほとんどないですね。
実質、管理職的な役割に近いのかな。とにかくいっぱい素材を撮ることだけを考えて。
現場ではプレッシャーをずっと感じています。一番怖いのは、撮りこぼすこと。屋外ロケで午後から天気がくずれるという予報の時は、とにかく焦ります。
映画のスタッフというのは、狩猟民族に近くて、とにかく撮りまくる傾向にある。たくさん撮って、撮りまくって、最終的に消化できなくてもまあ仕方ないかと思えるけど、素材が足りないと編集の段階でどうにもならなくなってしまう。
大事なのは、食べる(使う)かどうかわからないけど、どれだけ獲れる(撮れる)かどうか。不安を解消するためにとにかく撮るんです。
昔の監督はディレクターズチェアにすわって、パイプをくわえて鷹揚に構える、みたいなイメージがあったけど、僕は現場ではとにかく動き回ってます。なのに尿酸値が高いんですよ?
■酒が飲みたくて映画の仕事をしている
コロナ前は節目となる撮影が終わったら、打ち上げと称する飲み会にいきました。それが楽しみだったといってもいい。
地方だったら、「どうやらいい店があるらしい」という情報がスタッフからまわってきて、「いいねいいね」なんて盛り上がる。そうすると朝から「今夜はあの店の営業時間内には終わらせよう」という雰囲気がただよう。
自分が好きなのは、その土地のおいしいものがある店ですね。当たり前か(笑)。お酒は最初はビール、そのあとは料理にあわせて、九州なら焼酎、東北は日本酒と、柔軟に対応します。
昔はウイスキーが苦手だったけど、いまはお酒自体がおいしくなったんでしょう。ハイボールも普通に飲めるようになった。自分が慣れたのではなく、昔の酒がまずかったんだと思うんです。
コロナ禍で、2年近く表立って酒が飲めない日が続きましたよね。そこで気がついたのは、もしかすると、自分はお酒が飲みたくてこの仕事してるんじゃないかって。
映画の現場って他のどんな仕事よりもお酒を飲むことに抵抗が少ない仕事だと思うんです。乱暴な言い方をすれば、飲もうと思えばいつでも飲める。朝からだって飲むことが許される。いや、飲まないけど。それが楽しいから、この仕事を辞めずここまできたんじゃないかって思います。最近は飲み会がなくて寂しいですよ。
■「キャメラマンが痛風で来れません」では驚かない
そのせいなのか、この業界に痛風は多いですね。
「キャメラマンが痛風で来れません」という報告は何度も受けてますし、『隠し砦の三悪人』という作品を撮った時は、メインスタッフで自分以外はみんな痛風持ちでした。
押井守さんが2001年公開の『アヴァロン』という映画をポーランドで撮影したときは、初日から現地で痛風の発作が出て車椅子に乗って撮影をしたんですって。その時の写真も見たら車椅子に乗って銃撃戦の演出をしてて、まるで晩年のサム・ペキンパーみたいでカッコよかったですよ。
撮影のロケ車でも、先輩たちが痛風談義をしているのは日常茶飯事。痛風とぎっくり腰って、なんだか同情されるレベルが低いんですよね。ちょっと間抜けに聞こえるのでしょうか。
だから、若かった頃は、自分はああはなるまいって思っていたのを覚えています。まさか自分がそんな高尿酸値のポテンシャルの持ち主だとは思いもしませんでしたから。
■女医の態度に変なスイッチが入りかけた
数カ月後、主治医の先生が留学して、担当が変わって女性医師になりました。
3カ月に1度、定期検診があるんですが、その先生がクラスに一人はいた理系女子そのままの見た目と話し方でね。おそらく日本の医学を革新するために必要な、データソースである私に、すごくぞんざいなタメ語で話してくるんですよ。もちろん私の生活が問題だらけだからなんですが。
「君、ぜんぜん数値がよくなってないじゃない」
ちょっとドライな言い方は、「痛風ごときで、私の手をわずらわせないで」という態度にしか私には見えなくて、自分の中の新たな扉が開きそうになってしまうのを感じました。
それまでの担当医は、私という、一人ビッグデータを手に入れたので、手塩にかけて育てたいという思いがあったのではないかと思うんです。だから、きつくあたられることはなかった。私が逃げ出さないように腐心していたのかもしれません。
でも、その女医さんは、きっと自分の研究とは関係ないわけですから、あまりにも自堕落な数値をみて「なにこれ」と怒るわけです。
人間は50年も生きると、誰かに怒られることはほとんどなくなるんですね。宴席なんかでは「よっ、監督っ!」なんてちやほやされることも多い。それが説教をされ頭を下げるような目にあうわけですよ。
最初は衝撃ですよ、もう。
でも少し時間が経つと、じわじわくると。そしてまた厳しい言葉で殴って欲しくなる。
定期検診の3カ月が待ち遠しくてね。「もっと数値を悪くしたら怒られるかな」なんて思いながらも、やっぱり褒められたいから食事に気をつける。改善された数値を見た先生は、「やればできるじゃない」って。怒られるのもいいけど、褒められるのもいいななんて思うわけです。
そして、何度か診察を受けるうち、「仕事は忙しいんですか?」ってきかれまして「実はこれこれこういう仕事をしてて」といったら。「あの映画もそうでしたよね」と作品名をつらつらと並べて、しかもみんなが知っているわけでもないタイトルも入ってたりして、なんだ、俺のこと知ってたのかって! 彼女は私の作品は全部見てるようなありがたい、結構な位の高いお客様だったんです。
そこで私ははたと気づくんですね。
私に対する「君」という呼称は、別に理系でもドSでもなくて、いわゆる「こっち側」の喋り方だったんだと。それを知ってますますキュンとするじゃないですか!
痛風がくれた出会いに感謝ですね。ときめきと健康をありがとう。
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樋口 真嗣(ひぐち・しんじ)
映画監督
1965年生まれ。東京都新宿区出身。特技監督・映画監督・映像作家・装幀家。1984年『ゴジラ』にて映画界入り。1995年『ガメラ 大怪獣空中決戦』で特技監督を務め、第19回日本アカデミー賞特別賞を受賞。他に、『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズなど数多くのヒット映画作品に画コンテやイメージボードとして参加。主な監督作品は『ローレライ』『日本沈没』『のぼうの城』、実写版『進撃の巨人』など。2016年公開の『シン・ゴジラ』では監督と特技監督を務め、第40回日本アカデミー賞最優秀作品賞と最優秀監督賞を受賞。近年公開予定の『シン・ウルトラマン』では総監督を務める。
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(映画監督 樋口 真嗣)