シャープが、補聴器に新たに参入した。9月17日から発売したワイヤレスイヤホンスタイルの耳あな型補聴器「メディカルリスニングプラグ MH-L1-B」は、同社通信事業本部が開発した補聴器であり、スマホと連携したCOCORO LISTENINGサービスにより、リモート環境でフィッティング調整を行うといったシャープらしい新たな提案が特徴だ。これまでの補聴器にはない新たな仕組みは、シャープの通信事業、クラウドサービス事業で培ったノウハウが活かされており、補聴器市場におけるデジタルトランスフォーメーション(DX)を促進するものになるともいえそうだ。シャープが補聴器市場に参入した狙いを追った。

耳あな型補聴器「メディカルリスニングプラグ MH-L1-B」。スタイリッシュなデザインは、眼鏡や時計のように日常的に身に着けたくなるものを目指した


○実は普及が進まなかった補聴器、コロナ禍でニーズ高まる?

日本国内に難聴自覚者はどれくらいいるのだろうか。

日本補聴器工業会の調べによると、2018年時点で、約1,430万人に達し、全人口の約11%を占めるという。そのうち、耳元で話されても聞き取れない重度難聴者は約2%、普通の会話が聞き取れない高度難聴者は6%。それに対して、普通の会話が聞きづらい中等度難聴者は52%、小さな声が聞きづらい軽度難聴者は39%を占めているという。

だが、補聴器を所有していない人はかなりいる。重度難聴者および高度難聴者でも、半数以上となる57%が補聴器を所有しておらず、中等度難聴者および軽度難聴者では88%が所有していない。

調査では補聴器の所有率の低さが目立つ


シャープ 通信事業本部デジタルヘルスソリューション事業推進部長の石谷高志氏は、「コロナ禍では、マスクの着用やソーシャルディスタンスの確保によって、会話が聞き取りにくい状況が生まれたり、オンライン会議でも聞き取りづらさを自覚したりする人が増加。コロナ前に比べて、聞こえづらさを感じている人は1.5倍に増えている」とする。

同社の調査では、日常生活で聞こえづらさを感じている人が、新型コロナウイルス感染拡大前に15.9%だったものが、感染拡大後には23.4%に増加。現役世代の50代でも、5人に1人が聞こえづらさを感じているという。

コロナ禍で、「会話が聞き取りにくい」という人が増えている


だが、補聴器の普及が進まない理由がある。最も多いのが、年齢が若い、あるいはまだ困らないという理由だ。シャープの調査では、75.0%の回答者が、それを補聴器を買わない理由にあげている。2つめが、価格が高いという点で16.7%を占めている。一般的な補聴器は両耳で約30万円かかるとされており、投資額が大きい。そして、3つめが、補聴器を装着していることが格好悪いというものだ。、難聴であることを他人に知られたくないということもその背景にあり、11.3%の人がそう回答している。4つめが、調整や扱いが面倒というもので、10.0%を占めた。補聴器を購入すると、販売店に出向いて、聴力をチェックし、フィティングと呼ばれる調整作業が行われる。補聴器による聞こえ方は、最初は言葉と雑音が混ざったものに感じるため、脳を慣れさせるというトレーニングも必要だ。そのため、利用者が満足するまでの調整回数は3〜10回に達するというデータが、日本補聴器工業会から発表されている。これを煩わしいと感じる人も少なくない。

石谷部長は、「シャープが市場投入する補聴器は、こうした課題を解決することを目指して開発したものである。とくに、まだまだ現役でバリバリ働きたいが、聴力の低下で仕事を続けられるのか、あるいは、パフォーマンスが落ちないかといった不安を持っている、40歳代、50歳代の中等度難聴者や軽度難聴者を対象に開発した。聴く力が健康な状態を維持する『健聴寿命』を伸ばすことで、厚生労働省が推進する『生涯現役社会の実現』に貢献したい」とする。

「メディカルリスニングプラグ」をお披露目するシャープ 専務執行役員兼ICTグループ長の津末陽一氏(左)と、同 通信事業本部デジタルヘルスソリューション事業推進部長の石谷高志氏(右)


○「健聴寿命」を伸ばすデジタル時代の補聴器デザイン

「健聴寿命」はシャープによる造語だ。多くの人たちに聞こえやすい環境を提供し、健聴寿命を延ばすことは、シャープの補聴器事業が目指すゴールだといえる。

ターゲットとしたのは、中等度難聴者、軽度難聴者で補聴器を所有していない1,134万人。カラーはブラックのみだが、調査では、女性でもホワイトよりはブラックの方がいいという声が多く、それを反映している。

シャープが商品化した「メディカルリスニングプラグ MH-L1-B」には、3つの特徴があり、それによって、補聴器が抱える問題を解決することができるという。

ひとつめは、「リモートでのワンストップサービス」だ。

シャープでは、スマートフォンと連携し、自宅にいながら、聞こえ具合の調整などのフィッティングが受けられる「COCORO LISTENING」サービスを用意。補聴器のプロが、リモートでのフィッティングからアフターサービスまでを、ワンストップでサポートする。

一般的に、補聴器は設定が落ち着くまでにある程度の調整が必要になる


「フィッティングには専門知識が必要であるため、認定補聴器技能者や言語聴覚士の資格を所有しているプロのフィッターが、新サービスのために専属で対応。ユーザーは、スマホアプリを使って、サポートを受けられる」という。

リモートフィッティングでは、フィッターが一人ひとりの聞こえの状態に合わせて、様々な音響パラメーターをリモートで調整しながら、スマホアプリを経由して補聴器に設定する。そのため、販売店に通わずにプロによるフィティングが可能になる。時間や手間が省けるだけでなく、コロナ禍における対面サービスへの不安も払拭できる。

COCORO LISTENINGのサービスで、プロによるリモートフィッティングのサービスが受けられる


また、スマホアプリを通じて、音量や音質の細かい調整ができたり、アシストボタンを押すだけで、いつでもフィッターとチャットで相談できる。さらに、アプリを通じて、聴力チェックによる設定や、聞こえ具合の調整をはじめとした各種フィッティング作業、聞こえのトレーニングや、使い始めてからのビデオカウンセリングなども受けることができる。

スマホアプリの画面イメージ


加えて、働く人にあわせたシーン設定をプロがあらかじめ用意。オフィスで働くビジネスパーソン、建設現場のエンジニア、ホテルやレストランの接客スタッフなどのシーンのほか、通勤時や休日の団らん時など、10シーンを用意。スマホアプリを使って、補聴器本体に最大4つのシーンまでを登録できる。

あらかじめ用意されたシーン設定から最適な設定を選んで使うことができる


2つめの特徴が、購入しやすい「リーズナブルな価格」の実現だ。

シャープの補聴器では、管理医療機器の認証を取得し、補聴器としての性能、品質、安全性を備えながら、両耳で9万9,800円(非課税)という価格を実現した。先にも触れたように、一般的な初期費用は平均30万円程度。それに比べると、3分の1の価格を実現していることになる。

これにはからくりがある。一般的な補聴器の場合、購入時には、補聴器本体の費用に加えて、調整や相談などの技術料が含まれた価格設定となっており、期限なしでサービスを受けることができる。

だが、シャープでは、60日間の無償サービスは付属するものの、5年間の長期間の保証サービスなどはケアプランとしてオプション設定。3万3,000円(税込み)で提供する。2021年10月末までに加入すれば半額で済む。また、さらに60日間のフィッティングサポートの追加ができる「リモートフィットサービス」も用意している。こちらの価格は1万1,000円(税込み)だ。

「長期間サービスをオプションとしたことに加えて、リモートによってサービスを提供する体制を敷いたことも、初期費用を抑えることに貢献している」という。

これまでの補聴器にはない、新たな形のサービス体系としている。

そして、3つめが、「スタイリッシュ」なワイヤレスイヤホンのようなデザインを採用したことだ。

「メディカルリスニングプラグ MH-L1-B」の本体。見た目はワイヤレスイヤホンのよう


スマホで操作をする仕様にしていることからで、スイッチなどは搭載せず、ワイヤレスイヤホンのようなデザインを採用。「眼鏡や時計のように日常的に身に着けたくなるスタイリッシュなワイヤレスイヤホンスタイルに仕上げた」と自信をみせる。

こちらは装着イメージ。日常に溶け込む自然な見た目に仕上がっている


機能面でもワイヤレスイヤホンのように高音質な音楽鑑賞ができるようにしており、ノウルズ・エレクトロニクス製バランスド・アーマチュア(BA)型ドライバーを採用。「とくに、中高音域は繊細で澄みわたるような広がりのある音を楽しむことができる」と語る。また、補聴器機能とは別に、本体にマイクを内蔵しているのでハンズフリーでの通話も可能だ。

「個人の聞こえ具合に合わせて会話を聞き取りやすくするリスニングモード、ワイヤレスイヤホンのように、スマートフォンなどで再生した動画の音声や音楽などを楽しめるストリーミングモードのほか、本体内蔵のマイクを使って、スマホでの通話時やオンライン会議時などにハンズフリーで会話ができる機能を搭載している」という。

在宅でテレワークを行う際には、ヘッドセットやイヤホンを利用している人も多い。この補聴器は、ワイヤレスイヤホンとしての利用も可能だが、スタイリッシュなデザインを採用しているため、こうしたときにも、相手に違和感を持たせずに使用することもできるだろう。

テレワークのヘッドセットとしてもまるで違和感が無い


さらに、電池内蔵の充電ケースを付属しており、外出先でも収納と同時に補聴器本体の充電が可能になる。これにより、充電ケース併用時で最大約55時間(本体へのフル充電では20時間)の電池寿命を実現。充電ケースは、USB Type-Cケーブルによる充電のほか、スライド式USB Type-Aコネクタを内蔵していることから、パソコンからのダイレクト充電ができる。

充電池内蔵のケースには、パソコンのUSBから直接充電できるスライド式コネクタも備える


○「補聴器」ではなく、「メディカルリスニングプラグ」と呼ぶ理由

シャープでは、今回の製品では、補聴器という呼び方をせずに、「メディカルリスニングプラグ」と呼んでいる。

シャープの石谷部長は、「補聴器という言葉が、あまりいい印象を持たれていないということが調査からわかった。メディカルリスニングプラグという名称には、補聴器ではあるが、従来の補聴器にはないサービスを提供したり、これまでにない使い方をしたり、使ったことがない人たちに利用してもらいたいという意味を込めた。ヒアリングではなく、リスニングという言葉を使ったのも、能動的に会話を聞きとって、仕事をする際にも支障がない環境を実現するという狙いがある。新たなリスニングツールを作りたいという思いがある」と語る。

このネーミングからも、シャープが補聴器市場に、これまでにないアプローチしていることが裏づけられる。

これまでの補聴器の普及において課題となっていた、調整のわずらわしさや価格設定を業界初となる技術サポートのオプション化したり、サポートのリモート化によって解決した。デザインにおいても、いつも持ち歩くスマホのノウハウを活用しており、通信事業本部が持つ通信技術やマイク、スピーカー技術、そしてコンパクトなモノづくりの経験を生かしている。

石谷部長は、「補聴器というハードウェアを作ったというより、新たなサービスを作ったといった方が、我々の感覚に近い」とする。

そして、補聴器の販売ルートだけでなく、シャープのオンラインストアである。COCOROSTOREや他のECサイト、家電量販店、ドラッグストアなどでも販売していく。エディオンやビックカメラ、ヨドバシカメラのほか、ケーズデンキオンラインショップ、ジョーシンweb、ヤマダウェブコムで販売。調剤薬局チェーンのイントロンでも取り扱う。「量販店では、補聴器売り場だけでなく、ワイヤレスイヤホンのコーナーにも展示してもらいたいと考えている。いままで補聴器を使ってもらえなかった人たちに使ってもらい、生活や仕事が快適になった、便利になったという声が出てくれば、シャープが補聴器事業に取り組んだ意味があったといえる」と石谷部長は語る。

○シャープならではのモノづくりを活かしてこそ進む市場開拓

シャープには、家電やテレビ、オーディオを担当しているスマートライフグループや8Kエコシステムグループがあるが、この製品がスマホやパソコン、クラウドを担当するICTグループで生まれ、しかも、スマホ事業で培ってきたノウハウを生かすことができる通信事業本部が担当したことは特筆できる出来事だ。

津末陽一専務執行役員兼ICTグループ長は、「シャープのスマホで培った情報通信技術を活用することで、医療領域への事業拡大ができると考えた」とする。

通信事業本部であるからこそ、スマホを活用したサービスを含めた参入が可能になったともいえ、ディスラプターともいえる存在となって、補聴器市場への参入を果たすことができたともいえる。これは、補聴器市場のデジタルトランスフォーメーション(DX)を促すことにつながりそうだ。

そして、こうした新たなサービスによって補聴器事業を展開していくということは、ICTグループが展開しているAIoTクラウドによるクラウドサービス事業や、パソコン事業を展開するDynabookのノウハウも生かしやすい領域になるともいえるだろう。

さらに、シャープは、2020年6月には、医療機器製造販売業者のニューロシューティカルズと資本業務提携を行い、同社が持つ医療に関する多くのノウハウやマーケティング力を活用している。シャープが医療分野における取り組みを加速させる上で重要なパートナーになるのは明らかで、補聴器市場への参入では、その片鱗を示してみせたともいえる。

もうひとつ見逃すことができないのが、ICTグループを統括する津末陽一専務執行役員兼ICTグループ長が、医療分野に精通しているという点だ。2019年6月にシャープ入りした津末専務執行役員は、ソニー出身であり、ソニー・オリンパスメディカルソリューションズの社長を務めるなど、この分野での経験が長い。今回の補聴器市場参入においても、津末専務執行役員が持つノウハウが生かされている。

津末専務執行役員は、「補聴器の製品化に向けて、最もこだわったのは品質。安心して使っていただくためのモノづくりを最優先に掲げた。コンシューマ製品とは異なり、承認が必要だったり、製品だけの品質だけでなく、生産拠点における品質を確保した運用も必要だったりする。ここはハードルが高い部分。今回の補聴器の製品化においても苦労した」とするが、石谷部長は、「シャープが持っていた経験だけでは不十分なところが多々あった。重要なところで指摘を得たことで、改善につなげることができ、短期間に、高い品質の製品を市場に送り出すことができた」と振り返る。

通信事業本部では、すでに数々の健康・医療・介護分野向けの商品企画案があり、それが商品化に向けて動きだしているという。

津末専務執行役員は、「補聴器は1年で製品化したが、なかには、薬機法など業界特有のハードルによって、時間がかかるものもある。だが、通信事業本部からは、第2弾、第3弾の商品が登場することになる。シャープは医療会社ではないが、侵襲性がない分野で展開し、医療従事者や生活者を支援する製品やソリューションを、通信技術をはじめとしたシャープの数々のテクノロジーを活用し、提案していきたい。スマホを発展させたウェアラブルのノウハウを活用したり、バイタルデータを取得し、健康医療に結びつけるといったノウハウも活かしたい」とする。

シャープでは、「Industry」、「Security」、「Smart office」、「Entertainment」、「Health」、「Automotive」、「Education」、「Smart home」の8つの事業分野を中心として、ブランド企業としての成長を目指している。「Health」は重点領域のひとつであり、シャープとしても投資を行っていく分野だ。

今後は、今回の補聴器のように、単一の製品にフォーカスするのではなく、サービスを重視した市場参入や、シャープならではの技術やノウハウを活用しながら、Health分野に展開していく可能性も高い。シャープならではのモノづくりが、医療分野全体のDXを推進する役割を担うのかとどうかにも注目したい。シャープの補聴器は、そうした期待感を抱かせる製品だともいえる。