お寿司を食べると、どうしても思い出してしまう味がある。

 私は、生まれも育ちも群馬の田舎、いわゆる生粋の海なし県民である。

 幼い頃、お寿司と言えば生協さんのパック寿司か、企業努力によって成り立っているチェーンの回転寿司しか知らなかった。どちらも美味しいし今でも大好きなのだが、ただでさえ我が家は一年に1、2回しか外食をしなかったので、俗に言う「回らないお寿司」とは非常に縁遠い生活をしていた。 


写真はイメージです。

 しかし、そんな私にはお寿司屋さんの親戚がいた。

 遠い東京の地に店を構えており、私が5歳くらいの頃に一度伺ったらしいのだが、その時の記憶は曖昧だ。仕事で洋上研修に行く父を見送りに行った帰りであり、大好きな父と引き離されたことにショックを受け、ネズミのぬいぐるみを握り締めて号泣していたせいである。(※ちなみに父は10日後には元気に戻って来た)

 よって、私がしっかりと意識のある状態でそのお店の暖簾をくぐったのは、大学入学で上京した際、「お祝いにごちそうしよう!」とご招待してくれた、18の春が最初であった。

 母に連れられ、慣れない電車の乗り換えにひーこら言いながら辿り着いたのは、根津だった。昔ながらの町並みの中、静かにたたずんでいたお寿司屋さんこそが、「鮨処 八車」(すしどころ やぐるま)である。

 暖簾をくぐった瞬間、気持ちのよいお店だ、と思った。

 扉を開けてすぐにニコニコと綺麗な笑顔の女将さんが出迎えてくれると、板場からは大将と板前さんが揃って「いらっしゃい!」と歯切れよく声をかけてくる。そんなに大きくないはずなのに広々と感じられて、みずみずしい花がさりげなく活けてあった。店内の空気は澄んでいて、ガラスケースの中のネタが宝石のように光って見えた。

「おう智里、よく来てくれたな。今日はいっぱい食べていけよ!」

 カウンター席に着くと、ちゃきちゃきの江戸っ子口調の大将ことおじさんがニカッと笑いかけてくれたのだった。その瞬間、号泣しながらうろうろしていた5歳の私が、ようやくカウンター席にきちんと座れたような気がした。

 アレルギーなどはないので、お寿司のラインアップは全てお任せすることにした。

 そうして最初に青い笹の上に置かれたのは、まぐろだった。すすめられるままに醤油をネタにちょっとだけつけ、恐る恐る口に入れ――私は爆発した。

 な、なんだこれ! 私の知ってるまぐろじゃない!

 あまりに甘くとろけるので、驚きを通り越してびびってしまったのだ。

 脂がのっているからこその甘みだと思うのだが、全然くどくない。食べ終わった瞬間に「もっと食べたい!」と、それまで緊張して縮こまっていたお腹と舌が悲鳴を上げる始末だった。

 おじさんは、あふあふ言う私がしっかり味わえるように、ちょっとずつ世間話をはさみながら、絶妙なタイミングで次のお寿司を出してくる。

 ぷりぷりの白身魚は噛んだらなんだか分からないよい香りがした。

 甘いタレのアナゴはふわふわで、柚子の風味がして、いくらでも食べられそうだった。

 ウニはあまりにトロトロでキメが細かくて、明らかに私の知らない何かだった。

 貝が好きだと言ったら貝尽くしを出してくれたのだが、それも私の知っている貝じゃなかった。当然のように、これもとびきり美味しかった。

 だが、特にわけがわからなかったのが、かっぱ巻きだった。

 ただのかっぱ巻きと侮るなかれ。その包丁さばきは魔法のようだった。

 胡瓜を細く長く割いていくようにしてシャシャシャ、と軽く動かすだけで、一本の胡瓜は異様に細かい千切りになってしまう。お寿司にこんな表現をするのは失礼かもしれないが、噛んだ瞬間の軽い歯ごたえはサクサクしていて、まるでメレンゲのようだった。

 かっぱ巻きひとつで、まるで芸術品のよう。

 八車において、私のそれまで培ってきた「寿司」の概念は完璧に崩壊したのである。

 うまいうまいと半泣きになる私に、板場のおじさんはそうか、そうか、とやっぱりニカッと笑ってこう言った。

「東京にいるなら、またおいで!」

 そのお言葉を本気にした私は、以来、ちょくちょく理由をつけて、八車にお邪魔するようになったのである。

 その度にお願いするのは、やはりあのかっぱ巻きだ。サクサクでふわふわ、その風味は梅や紫蘇の香りもしたけれど、季節によっては柚子もあったかもしれない。

 魔法のような包丁使いにびっくりしたメニューは、もうひとつある。

 それは、たくあんのおつまみだ。おじさんが棒状のたくあんに刃先を軽く添えただけで、するすると、まるでまな板の上で巻物が開かれたように、一瞬で桂剥きが出来上がってしまう。紙のように薄く広がったたくあんに、繊細に千切りにされた胡瓜を載せて、紫蘇の葉と海苔でさっと巻く。それを薄く切って、最後にぱらりと胡麻を振って「はいお待ち」と差し出してくれる手並みは鮮やかで、もう、その一連の流れを見ているだけで感動してしまうほどであった。一種のアトラクションである。

 味についてはもはや何も言うことはない。しかし、このお店の本当の素晴らしさに気付いたのは、何度か通うようになってからのことであった。

 笑顔の素敵な八車の女将さんことおばさんは、いつも、こちらのタイミングを見計らって熱々のお茶を出してくれる。だが一度「猫舌なので」とそれを断ると、次に行った時、湯気の立つ湯呑の中には、小さな氷が浮かんでいたのである。その時同行していた熱いもの好きな母の湯呑には氷は入っていなかったから、私が猫舌なのを覚えていて、あえて、飲み頃のお茶を出してくれたのだ。おばさんはお客さんが帰る際には外まで見送りに出るような人だったので、いつもすごいな、と思っていたのだが、その気遣いの細やかさには感動してしまった。

 そして、おじさんはお寿司を作る合間合間に、お客さんとよくおしゃべりをしていた。

 ネタの説明をする時の口調は滑らかで小気味がよく、お客さんの話への相槌は絶妙で、お客さん同士が話しているのを黙って聞いている時も、全く押しつけがましさがなかった。 

 常連さんもそのあたりの空気をよく心得ていて、カウンターの雰囲気はいつもしっとりと落ち着いているようだった。しかし、ひとたび私が大将の親戚で田舎から出て来たのだと聞くと、「これ、食べたことある?」「あそこには行ってみた?」と面白がるように色々なことを教えてくれたのだった。

 当時アルバイトもしたことがなかった私にとって、全く知らない世界に生きる大人と会話する機会はほとんどなかった。ある意味で、とてもよい社会経験をさせてもらえたと思う。

 適度にしゃべって、食べて、笑って、良い香りのお茶を飲んで、女将さんに見送られてお店を出る。静かな根津の町を駅に向かって歩きながら、「ああ、美味しかったなあ!」と思う瞬間の満足感といったらなかった。

 お寿司の味の良さについてはもはや言うまでもないことだが、大将や女将さん、板前さん、常連さんが織りなす、あのゆったりとした空気そのものが、八車の「美味しさ」なのだろう。

 ――今までの語りが全て過去形であることですでにお気付きだろうが、私の大好きな「鮨処 八車」は、おじさんのお年を理由に、数年前に閉店してしまった。お店の雰囲気も含めて「味」が出来るのだということを教えてくれたあのお店は、今でも私にとって特別で、きっと、これからもずっとそうなのだ。


小さい頃の阿部智里さんとお母様(左)


©阿部智里

阿部智里(あべ・ちさと) 1991年群馬県生まれ。2012年早稲田大学文化構想学部在学中、史上最年少の20歳で松本清張賞を受賞。17年早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。デビュー作から続く著書「八咫烏シリーズ」は累計130万部を越える大ベストセラーに。松崎夏未氏が『烏に単は似合わない』をWEB&アプリ「コミックDAYS」(講談社)ほかで漫画連載。19年『発現』(NHK出版)刊行。「八咫烏シリーズ」最新刊『追憶の烏』発売中。

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