ニワトリは神聖な鳥。江戸時代は鶏肉を食べなかった理由と当時の鳥肉料理を紹介

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いきなりですが、皆さんは「鳥肉」と聞いて何の肉を想像するでしょうか。

「え、鳥の肉と言ったらニワトリ(鶏肉)じゃないの?」

という方が多いと思います(中にはクリスマスの七面鳥や、鴨南蛮のカモ肉などを思い浮かべた方もいるでしょうが……)。

美味しそうな鶏もも肉

多くの日本人が「鳥肉」と聞いたらすぐに思い浮かぶであろうニワトリですが、実は江戸時代後期まで、あまり食べられていなかったそうです。

鳥の肉を食べることがタブーでなかったのは「二本足(後ろ足)で直立するから」とウサギを一羽、二羽と数えて(食べてもよい)鳥と見なしたことからもわかるのに、どうして日本人はニワトリをあまり食べなかったのでしょうか。

今回はその理由と、代わりに食べられていた鳥肉料理について紹介したいと思います。

ニワトリは神聖な鳥だった

実は現代でもそうですが、ニワトリはお伊勢様、つまり天照大御神(アマテラスオオミカミ)の神使(しんし、みさき)です。

天照大御神を招いた長鳴鶏(黄色丸部分)。春斎年昌「岩戸神楽之起顕」より

かつて天岩戸(あまのいわと)に引きこもってしまった天照大御神に現世へお戻りいただくため、常世の長鳴鶏(とこよのながなきどり)を岩戸の前で鳴かせたことに由来します。

太陽の女神であった天照大御神が岩戸へ引きこもってしまったことで世界が闇に包まれ、長鳴鶏の声によって再び光が戻ったことから、鶏は夜明けを告げるために鳴くようになったのでした。

以来、鶏は天照大御神の神使として尊重されたため、それを屠殺して(卵をとることも含めて)食うことは忌み嫌われたと考えられます。

昔の人が楽しんだ鳥肉料理あれこれ

それでは、鶏を除いてどんな鳥の肉を食べていたかと言うと、その一つにハト(鳩肉)があります。

現代の日本ではあまり食べられることのないハトですが、フランス料理など世界各地で食べられており、かつては日本でも焼き鳥や煮物など、さまざまな鳩肉料理が楽しまれていました。

だからと言って、その辺のハトを許可なく獲ってはいけません

濃漿(こくしょう)
鳩肉を細かく叩いてから、味噌と酒で煮込んだもの。山椒を加えるとよい

羽節酒(はふしざけ)
鳩の翼付け根部分を焼いて酒に浸したもの。骨酒(こつざけ)の一種

魚鳥味噌(ぎょちょうみそ)
鳩を丸一羽、白味噌と酒で数日煮込んでからたたき、醤油で煮詰めたもの

※上記の作り方は一例。また、鳩以外の鳥肉でも作っていました。

その他にも、煮てから胸肉や笹身を膾(なます)や刺身に作って山椒味噌酢で食べるなど、身近な食材として親しまれていたようです。

ちなみに、鳥は小骨が多いため、いちいち取り除くのが面倒だったからかそのままたたいて噛み砕いて(あるいは呑み込んで)いました。

しかし口や喉に刺さると大変ですから、もし皆さんが作る時は丁寧に取り除いた方がいいでしょう。

終わりに

現代人の感覚だとハトは「平和の象徴だから(あるいは可愛いから)、食べるのはちょっと……」などと思ってしまいそうですが、時代が変われば価値観も違います。

報道によると、近年では3Dプリンターで人工の肉を作り出す技術も研究されているそうです。

このチキンも、その内……?

もしかすると数百年後、令和の生活文化を調べた未来人たちが

「え、この時代って、生き物を殺さないと肉が食べられなかったんだ……」

などとドン引きしているかも知れません。

それはそうとして、筆者もハト料理はまだ食べたことがないので、今後機会に恵まれたら、是非とも挑戦してみたいものです。

※参考文献:

青木直己『幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版』ちくま文庫、2016年9月江後迪子 『長崎奉行のお献立 南蛮食べもの百科』吉川弘文館 、2011年2月原田信男 訳『料理山海郷』教育者、1988年8月