コロナ禍の自粛要請で空いた時間は、どのように過ごすべきなのか。実業家の堀江貴文さんは「資格の勉強にあてるのはムダだ。それよりも遊びの方が、はるかにビジネスチャンスにつながる」という――。

※本稿は、堀江貴文『破戒のススメ』(実務教育出版)の一部を再編集したものです。

撮影=柚木大介
実業家の堀江貴文さん - 撮影=柚木大介

■準備が整っているほど「想定外」のときの落胆は大きくなる

コロナウイルスは感染力が強く用心が必要ではあるけれど、現在の自粛要請は行き過ぎで、不要不急を犠牲にするなど噴飯ものだ。

無警戒でいい、とは言わない。感染対策はしっかりしておくべきだ。だが、政治家を含めた社会の大部分の人たちは、きちんと科学知識を学ばず、ペスト禍の再来のようなパンデミックを恐れている気がする。

恐怖感の蔓延を引き起こしたのは、リテラシー不足もあるけれど、一番の要因は「ネガティブな未来思考」だろう。日本人が農耕経済に縛られていたころの、悪しき名残だ。

学校でも家庭でもビジネスの場でも、未来を考えることが一人前の大人であり、大切だと説かれる。だいたいトラブルや事故など、ネガティブな事態を想定してのことだ。きたるべき未来に備えて、保険をかけたり、事前の準備が奨励される。

未来思考は、リスクを回避するためのマネジメントの基本だという。

けれど、おかしくないか?

未来思考は、意識が「いまここ」にない状態だ。

つまり、起きてもいないトラブルを想定した未来を、意識上に「予約設定」している。それが人の幸せに結びつくとは、どうしても思えない。

未来を予測しようとか、安全にしていこうと事前準備することに、メリットはこれっぽっちもない。あるのだったら、教えてくれないだろうか。病気とか裏切りとか、想定にない障害や躓きが現れるのは当たり前で、準備がきちんと整っているほど落胆は大きくなる。

■不要不急を我慢しても未来の不安はなくならない

繰り返すが、未来を想像して、いいことは何もない。行き当たりばったりが、一番落胆が少なく、生産的に動けるのだ。

「知らない明日を迎えることが、人生の醍醐味である」と、思い出してほしい。明日、想像していた通りの安全な未来が訪れたとしても、ちっとも楽しくないだろう。

想像通り、安心感に満ちた人生は、ケガはしないかもしれないけれど、つまらないものだ。

過去に派手に転んだり、傷を負ったことを、あなたは後悔しているだろうか?

貴重な失敗体験として、苦境から立ち直るのに役立っているはずだ。

未来を想像するのは、不安の種を育てることだ。

コロナ禍でも、ほとんどの人たちは「感染したらひどく苦しむ」「治療法はないから死ぬかもしれない」「周りから村八分にされる」という、未来の可能性に怯えている。感染予防に努めればいいだけなのに、起きていないネガティブな事態を自分で決めつけ、右往左往しているのだ。

心配したいのが好きならいいけれど、少し冷静になってみよう。不要不急を犠牲にしたって、未来の不安はなくならない。不安を消すために何かを我慢して、不安がパッとなくなった経験を、誰か持っているだろうか?

未来にではなく、機会損失にこそ怯えてほしいと思う。不要不急を減じて、新しい楽しみに出会うチャンスを失う方が、恐ろしいのではないか。

■後のことを考えない方が未来は豊かになる

未来思考と不要不急は、相性が良くない。どちらかを優先すれば、どちらかが邪魔になってくる。選ぶべきなのは当然、不要不急の方だ。

未来のネガティブな失敗ばかり心配して、リスクから逃げるように暮らすのと、とりあえず後のことは考えずに、やりたいことを望むままやってみる。豊かな未来づくりに役立つ思考は、どちらか? 考えるまでもないだろう。

2021年7月の段階でワクチン不足が起きるほど、ワクチン接種は急速に進んでいる。ワクチンの副作用リスクは根強く問われているが、ゼロリスクはありえない。いずれにしても、遠くないうちに日本では全体免疫を達成できるだろう。コロナ前の社会を、年内には取り戻せるかもしれない。

あえて言うが、僕はコロナ前・コロナ後という区分が嫌いだ。コロナウイルスは僕たち人類と共に、太古の昔から地球上に存在していたのだ。突然現れた怪物ではない。区分があるとしたら、「我慢強制前」と「我慢強制後」だ。

僕たちは我慢を強いられたことで、不要不急の必要性をあらためてたしかめただろう。これからは、不要不急の社会への脱出だ。

ワクチン接種の成功により、コロナと共存する社会が、リスタートするのだ。

■人間の身体はほとんどが不要不急のDNA

コロナ禍の広がっていた2020年の夏に、解剖学者の養老孟司先生が専門誌で論じている。ヒトゲノムの4割は、ウイルス由来だ。その4割が、どのような機能を持つのか、まったくの不明らしい。

ゲノムの中で機能が明らかにされているのは、全体の2%程度。つまりヒトゲノムは現代科学の分析では、ほとんどが不要不急のジャンクDNAで構成されているというのだ。ジャンクの方が量的には、全体を占めている。「要であり、急である」ことが、実は生物学的には例外なのだと、養老先生は述べている。

いまはジャンクで無用、でも後々に必要とわかる。それが生物界では当たり前の認識だ。何の役にも立たないと思われていた体内機関や細胞が、研究によって命を支える重要なものだったと判明する例は、後を絶たない。

人間社会も同じだ。不要不急は、感染予防のために禁止されるべきではない。むしろ健全で健康な営みを保つのに、最も貢献している。

自粛の同調圧力を打ち破り、不要不急を楽しむ運動を取り戻そう!

そうすれば、巣ごもりで錆びついた社会は、本来の機能を再起動させるだろう。

■STAY HOMEで資格の勉強などするな

自粛要請によって、多くの社会人の生活に、自由な時間がぽっかりと空いた。

移動や会議など、ムダに埋めるだけのスケジュールがなくなり、いかに自分たちが毎日くだらないことで時間をすりつぶしていたか、気づいたことだろう。

みんな空いた時間を使って、趣味や家族サービス、近場の旅行などを楽しんでいると思う。自分のやりたいことのために時間を使う当たり前の人生を、少しずつではあるけれど取り戻しかけている。たびたび言うが、コロナ禍も悪いことばかりではなかった。

一方で、空いた時間を利用して、資格の勉強に勤しんでいる人が少なからずいる。「ヒマができたらいつか読もう」と思っていた資格関連の参考書や資料を、巣ごもりの機会に読みこみ、オンライン講座などを申しこんでいるという。

写真=iStock.com/fizkes
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/fizkes

向学心が高いのは、良いことだと思うが……何だか、もやる気持ちがある。

「いま」資格のための勉強って、意味ある? それって会議や移動で時間を奪われていたコロナ前と、変わらなくね?

■資格なんてどう考えても今後の人生には役に立たない

「創造的休暇」という考え方は、たしかにある。ヨーロッパでペストが大流行していた1600年代後半、ケンブリッジ大学に通っていた学生ニュートンは、現代のように学校が封鎖されてしまったため、郊外の実家に戻っていた。まさに、家からほとんど出られない「STAY HOME」を強いられた。その間、1年半。長くて退屈だったが、時間をすべて独学と思索に費やし、ニュートンの3大業績といわれる「力学理論と万有引力の法則」「流率法」「光学理論」の原型となる理論を確立した。この休暇時代を彼は、創造的休暇と名づけた。

「STAY HOME」は、ときに偉大な発明のゆりかごとなるのだ。ニュートンは、不要不急が禁じられる窮屈な情勢を逆に利用して突破を果たした先駆者といえる。

学びを深めるには、行動せず、ひたすら休んで頭を動かす。そんな創造的休暇を実践するつもりで、学びを進めるのも間違ってはいないだろう。

ただ、やっぱり資格を取ることが目的で学ぶのは、時間のムダだと思う。

勉強が好きでしょうがないというならいいけれど、資格なんてどう考えても、テクノロジーが進んでいく今後の人生には役に立たない。そもそも、コロナ禍で空いたくらいの時間で取れるような資格の需要なんて、たかが知れている。

空いた時間を将来への投資に使いたいなら、好きなことだけ選んでやれ! と言いたい。ニュートンだって、学者として名を成したいのではなく、好きなことを自分なりに独学・研究していたら偶然、新理論が頭の中に降ってきたのだ。

ニュートンクラスの大発見は難しくても、人生にイノベーションを起こすのは、利害なんかに囚われない行動を伴った好奇心だ。

■時間投資のリターンは勉強よりも遊びの方が断然高い

好きなことだけで生きられるのに、どうして資格?

資格が欲しいのは、「資格を持つと仕事の保険がきく」というパターンに、自分をあてはめて安心したいのだろう。要は不安から逃れたいのだ。

いまの生活では、他人の采配で、好機や収入を減らされるかもしれないと怯えている。自分の手を動かし、自力で生きている実感と自信に満たされていれば、不安など感じないはずだ。

堀江貴文『破戒のススメ』(実務教育出版)

昔は、まともな仕事に就くためには、最低限の読み・書き・算盤(そろばん)が必須だと言われた。現代はどうだろう。算盤は当然、必要ないし、字が読めて日本語が喋れれば、さほど仕事に支障はないのではないか。字が読めなかったり、喋れない人だって、きちんと仕事に就けるよう、社会の制度も整っている。

好きなこと、得意なことだけを突き詰めて、ぜんぜん普通に食べていける社会なのに、なぜ資格なんかにこだわるの? と、不思議でならない。

創造的休暇よりも、遊戯的休暇を楽しもう! 学びと遊びは、同じなのだ。遊べば遊んだ分だけ、経験という財産になる。

それでも資格を取りたいというなら、否定はしない。行政書士や司法書士など、法律系の資格は分野によっては必要とされるので、取っておいても「損」はない。

ただ、学べば学ぶほど、気づくはずだ。時間投資のリターンは、勉強よりも遊びの方が断然、高い! 苦労して取った難しい資格より、仲間とのフィールドワークや、Zoom合コンで若い女の子たちから教わる流行の方が、これからははるかにビジネスチャンスにつながるのだ。

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堀江 貴文(ほりえ・たかふみ)
実業家
1972年、福岡県生まれ。ロケットエンジンの開発や、スマホアプリのプロデュース、また予防医療普及協会理事として予防医療を啓蒙するなど、幅広い分野で活動中。また、会員制サロン「堀江貴文イノベーション大学校(HIU)」では、1500名近い会員とともに多彩なプロジェクトを展開。『ゼロ』『本音で生きる』『多動力』『東京改造計画』『将来の夢なんか、いま叶えろ。』など著書多数。
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(実業家 堀江 貴文)