来日が急遽中止に...「オルファ」のカッターを愛するペルー人女性の気になるその後...:世界!ニッポン行きたい人応援団

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ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

今回は、ニッポンへのご招待を伝え、来日が決まっていたにもかかわらず急遽中止になってしまった外国人の方を紹介する「ご招待が決まっていたのに来日できなくなった、ニッポン行きたい人応援団」をお送りします。

「オルファ」愛が止まらない! リモートでオルファ本社の皆さんと交流


紹介するのは、南米ペルーの首都・リマに住む、オルファのカッターを愛するグロリアさん。


誰もが一度は目にしたことがある黄色いカッター。実はニッポンの製品なのです。発明したのは、大阪にある「オルファ株式会社」。1956年にカッター第一号が誕生し、国内シェアは約6割。100を超える国や地域でも販売されている、世界的なメーカーです。

オルファのカッターの最大の特徴は、刃を折って切れ味を保つ技術。研ぐ手間をなくしたこの技術こそが、オルファを世界に広めた要因なのです。考案したのは、オルファ創業者・岡田良男さん。ガラスの破片と板チョコが発明のヒントになったそう。
1950年代、靴職人はガラスの破片を使って靴底を削り、切れ味が鈍くなると割って使っていました。そこに、進駐軍が持っていた溝に沿って折れる板チョコのアイデアを重ね合わせ、刃を折ることで切れ味を保つ世界初のカッターを誕生させたのです。ちなみに、オルファのブランド名は、この「折る刃」からつけられたもの。世界展開を目指し、Hを発音しない国もあることから、OLHAのHをFにし「オルファ」になったのだとか。


「オルファ製品しか使いません」というグロリアさん、ニッポンにはまだ一度も行ったことがありませんが、通販などで取り寄せたオルファのカッターは50種類以上! 円形の刃が特徴的な布専用のロータリーカッターや、コンパスを使うように円形に切れるコンパスカッター、ミシン目を簡単に入れられるミシン目ロータリーなども持っています。オルファが生み出した製品は200種類以上あり、「このような素晴らしい製品がどういう風に生まれるのか...いつかオルファの開発者の方に会って聞いてみたいんです」。

グロリアさんの仕事は、住宅の完成予想モデルなど、建築模型の製作。オルファのカッターを使い、わずか1cm四方のテーブルセットなど、木材を1mm単位で加工しています。


「私がこのような作品を作れるのは、オルファのカッターが、使う人の便利さを追求して常に進化してきたからだと思うんです」。

さらに、オルファにもう一つ感謝したいことがあるそう。グロリアさんの父・ホセカルロスさんは、船などのエンジンを組み立てる仕事をしていましたが、グロリアさんが10歳の時、36歳の若さで亡くなってしまいます。建築関係の仕事に転職したいと夢見ていた矢先の出来事でした。そこでグロリアさんは、父の遺志を継ごうと建築の道を志し、大学に進学。そこで出会ったのが、オルファのカッターでした。「オルファがなければ、父の夢を私が受け継ぐことはできませんでした。感謝を伝えにニッポンに行きたいです」。

そんなグロリアさんが見せてくれたのは、2日かけて製作した通天閣の模型。もちろんオルファのカッターで作ったもので、展望台の時計や難しい日本語の文字も忠実に再現されています。「オルファ本社や工場がある大阪のシンボルだから作ってみました」。


ニッポンのオルファ本社に行って、感謝の気持ちを伝えたい......。放送後、グロリアさんの熱い想いをオルファ社にお伝えすると、快く受け入れてくださることに! 去年2月にニッポンご招待を伝え、3月12日、いよいよペルーを出国することになりました。
ところが、飛行機のチケットを手配し、迎えた出発前日。WHOが新型コロナウイルスの世界的な感染拡大についてパンデミックと宣言。12日の出国は一旦取りやめ、しばらく様子を見ていましたが、しだいにペルーの感染状況が悪化し、飛行機での渡航が禁止に......。来日は急遽中止になってしまいました。

あれから1年6ヵ月。グロリアさんの近況を、オルファの皆さんに観ていただきます。

新型コロナウイルスの影響で、模型ではなく3D画像を使ったリモートでのプレゼンが主流になり、去年3月から建築模型の需要がなくなり、無職になってしまったグロリアさん。博物館も閉鎖されてジオラマ制作の依頼もゼロになってしまいました。
そんなグロリアさんを再び救ったのがオルファでした。カッターの技術を磨こうと空いた時間で消しゴムハンコ作りを始めたのです。すると、腕前はメキメキと上達。作品をSNSにアップしたところ、「売ってほしい」「作ってほしい」という反響が!
依頼主のほとんどはコロナで仕事をなくし、自分でビジネスを始めた人たち。会社のロゴや名刺など、次々発注を受け、今まで700個作り、そのうち600個を販売しました。しかし、材料費を抜くと利益はほとんどなく、貯金を切り崩しての生活が続いています。


真剣に消しゴムハンコ作りに取り組むうちに、憧れの存在ができました。それは、ニッポンを代表する消しゴムはんこ作家・田口奈津子さん。高度なカッター技術で細かいデザインを得意とし、芸術性が高い作品を生み出す、消しゴムはんこ界のトップランナーです。実は田口さんもオルファ好きという共通点が! 「もしニッポンに行けたら、田口さんにもぜひお会いしたいです」。

懸命に努力を続けるグロリアさんですが、実は今年3月、新型コロナに感染。味覚がなくなる症状は出ましたが、重症化はしなかったそう。しかし、近所に住む方々が何人もコロナで亡くなったといいます。悲しみにくれるグロリアさんのもとに、ある贈り物が届きました。オルファカッターの全てを網羅したムック本、その名も「オルファ魂」。来日が中止となったものの、グロリアさんとの絆を大切にしたいオルファからのささやかなプレゼントでした。

グロリアさんは「宝物です! 最高! 最高! 最高! なんて素晴らしい会社なの!」と大感激。オルファの皆さんも、「想像以上にオルファ好きでいらっしゃる」「この人が持つと価値がありますね」と笑顔に。

オルファを心から愛しているグロリアさんは、SNSでオルファの設立日を日本語でお祝いし、会社の歴史をスペイン語で翻訳して広めています。祖母が亡くなり、悲しみに暮れていた時も、オルファを手にすると心が鎮まったそう。「オルファは私に喜びを与えてくれ、悲しいときは支えてくれる大切な存在です」。

さらに、オルファの素晴らしさを多くの人に伝えたいと、始めたことがありました。それは、オルファのカッターを使った消しゴムハンコ作りのリモート講習会。SNSで参加を呼びかけると、すぐに12名の生徒さんが集まりました。カッターなど消しゴムハンコ作りに必要な道具と材料は、グロリアさんが準備して参加者に送付。カッターの持ち方から丁寧に指導し、左利きの人には、一度分解して刃を反転させて使う方法まで教えています。オルファの方によると、全ての製品を左利き用にできるわけではなく、社員でもどの商品が左利きの人向けになるか全部把握している人は少ないそうで、「うちの商品を一つひとつ詳しく知ってくれてるんやな」と感心。

ニッポン行きが中止になって1年6ヵ月。グロリアさんのオルファへの愛は、深く大きくなるばかり......。「将来を考えると不安ですが、私にはオルファがあります。ニッポンに行ける日が来るまで頑張ります」。

近況報告を観た営業企画本部・畑中悠さんから、「私たちもグロリアさんに直接会って、いろいろとお話をしたいなという気持ちが強まりました」というお言葉が。そこで翌日、中継を結び、グロリアさんへの思いを直接伝えていただきました!

「まさかオルファの方と話せるなんて......言葉が見つかりません」。畑中さんが「オルファ魂」を送ったことを伝えると、「汚さないようにビニール袋に入れて大切に読んでいます」。オルファのものは全て宝物だというグロリアさんは、カッターのパッケージも全て保管しているそう。
ここで、グロリアさんの来日に合わせて用意していたものを見せていただきます。オルファのキャラクターがプリントされた袋に、グロリアさんの写真が入ったオルファ本社の入館証、社員が入社時にもらうジャンパーに、世界に一つだけ!グロリアさんの名前入りカッターまで! グロリアさんは感激のあまり涙が......。


「オルファのことをいろいろな人に伝えてくれて、感謝感謝でいっぱい」と畑中さん。

この日は、さらにサプライズがありました。なんと、リモートで社内を案内していただけることに! まずはエントランスから。創業者・岡田良男さんの銅像に始まり、営業企画本部へ。社員の方のデスクに入っているカッターの数々に大興奮! 社員の方がオススメするカッターは全て持っており、「お揃いですね」と笑顔に。細工カッターで作った、ダンボールの戦艦大和も見せていただきました。

続いては、カッターの新製品を作っている工作室へ。オルファでは新製品を作る際、図面は書かず、原型を機械と手で削り出していくそう。ここでは、グロリアさんのために、ロングセラー商品「万能L型」のミニチュアを作ってくださっていました。

次は、生産技術グループへ。子ども用カッター「キッター」を開発した高嶋洋輔さんにお話を伺います。安全性を高めるため、刃の露出を極力抑えることで怪我のリスクを最小限にし、刃をプラスチックの樹脂で覆った「キッター」。グロリアさんが開発で苦労した点を質問すると、樹脂と金属の刃を一体化させ、なおかつ同時に折れるようにするところが難しかったと話してくださいました。構想10年、特殊な刃を完成させるのに2年かかったそう。「ニッポンに来た時は、一緒に新製品を考えられたら面白いと思うので、その時を楽しみにしておきます」と高嶋さん。

続いて、海外営業グループの南米営業担当・加治原尭彦さんの元へ。グロリアさんの部屋を見て、中南米で売っていない商品が多いことに驚いたそう。「スペイン語圏でオルファを広めていくプロジェクトがあればお手伝いできます」というグロリアさんに、「オルファのチームの一員として、これからもよろしくお願いします」と嬉しい言葉をかけてくださいました。

最後に紹介されたのは、創設者・岡田良男さんの弟で、現在は相談役の岡田三朗さん。三朗さんはパッケージやイラストを担当。兄と共に会社の礎を築き、オルファのことを一番知っている生き字引です。87歳の三朗さんは、今も子どもたちにカッターの使い方を指導。カメレオンやコンドルの紙細工を作っています。「私がお邪魔した時は1枚いただけますか?」というグロリアさんに、「いくらでもあげます。コロナが収まったら一緒に開発しましょう」と三朗さん。


「希望を与えていただき、すごく幸せです。最高の経験でした。ありがとうございました」。皆さんがグロリアさんのために準備していてくれたことを知り、ニッポンに行きたい気持ちがさらに強くなったよう。

「オルファ大好き! 待っていてください」

グロリアさん、もう少しだけお待ちください! お会いできる日を楽しみにしています!

ニッポンに留学体験! アメリカの双子姉妹が愛媛のみかん農園へ


続いて紹介するのは、アメリカ・ヒューストンに住む双子のジェーダさんとジャスミンさん姉妹。


当時女子高校生だった2人はニッポン行きを夢見て、日本語の勉強を続けていました。「ニッポンという国を知ってからはもう夢中になってしまって」「実際にニッポンに行っていろんな体験をして、ニッポンを学びたいです」という姉妹を10代の夢を叶える「ニッポン留学団」という企画でご招待しました!

念願の初来日。メガネをかけているのが姉のジェーダさん、花飾りをつけているのが妹のジャスミンさんです。

向かったのは、2人が憧れていた愛媛県松山市にある道後温泉。兵庫の有馬温泉、和歌山の白浜温泉と並ぶ日本三古湯の一つです。道中で、正岡子規の銅像を発見。1867年、この地に生まれた正岡子規が34歳で亡くなるまでに残した俳句の数は2万以上。2人は正岡子規の影響で俳句に夢中になり、創作もしています。

そしてついに、道後温泉のシンボル、道後温泉本館に到着! 古い建物がきれいに残っていることに驚いた2人は大興奮。松山市道後温泉事務所の柴田仁さんに、建物の中を案内していただきます。靴を脱いで下駄箱に入れるのも初めて。柴田さんに感想を聞かれ、「家を清潔に保てますね」とジェーダさん。

案内された先にあったのは「神の湯」。源泉掛け流しのお湯は無色透明で滑らか。初めてのニッポンの温泉を楽しみました。


温泉に入った後は、浴衣を着て2階のお座敷へ。抹茶・卵・あずきの餡で餅を包んだ、愛媛名物・坊っちゃん団子をいただきます。

続いて3階に向かうと、ここでスペシャルイベントが! 屋上の振鷺閣(しんろかく)には刻太鼓(ときだいこ)という大きな太鼓があり、1日に3回太鼓を叩いて時刻を知らせています。この大切な役割を、特別に体験させていただけることに。


お昼のこの時間、太鼓を叩く回数は12回。叩き方を教えてくださった曽我部さんによると、外国人で刻太鼓を叩くのは2人が初めてだそう。貴重な体験に「緊張してきました」とジャスミンさん。2人で6回ずつ叩き……無事に役目を果たしました! 明治27年から始まった刻太鼓は、残したいニッポンの音風景100選に選ばれています。


そして愛媛県内を一路南へ。高知との県境にほど近い、南宇和郡愛南町にやって来ました。愛媛といえば、みかん。「ニッポンのみかんを食べてみたいです」「道後温泉がある愛媛県はみかんが有名なんですよね」と話す2人を、「吉田農園」の吉田浩さんが受け入れてくださいました。

「吉田農園」では、1年を通して愛媛みかんやポンカン、デコポンなど8種類のみかんやオレンジを栽培。その栽培技術の創意工夫などが評価され、全国農業コンクールの全国大会で名誉賞を受賞しています。


吉田さんご家族に案内され、みかん農園へ向かいます。次女の茉杜衣(まとい)さん、姪・田中さささんの姿も。2人とも、姉妹と同じ15歳です。実がなっていたのは、和製グレープフルーツとも呼ばれるほど大きく育つ「河内晩柑」。夏に収穫できる珍しい品種で、その収穫量はニッポンのみかん全体のわずか1%にも満たないそう。
試食させていただいた2人は、「美味しい」「ものすごくジューシーです」と堪能。作るには想像以上の手間がかかり、木が15年以上経たないと美味しくならないといいます。

今回は、河内晩柑の収穫を特別にお手伝いさせていただきます。150万個を全て手でとると聞き、びっくり! 木にハシゴをかけて一つひとつ丁寧にとり、収穫を楽しみました。

日が暮れると、吉田さんが歓迎バーベキュー大会を開いてくださいました。この町で育てている「媛っこ地鶏」、地魚のすり身を揚げたじゃこ天などを焼き、瀬戸内海でとれた鯛を丸々一匹贅沢に使った炊き込みご飯のおにぎりが並びます。みかんジュースで乾杯し、じゃこ天からいただきます。大根おろしと醤油を添えてかぶりつくと……「うん!」と頷きながらグッドサイン! 鯛の炊き込みご飯のおにぎりも頬張り、「美味しさをどう表現すればいいのかわかりません」とジェーダさん。心がこもったおもてなしに大満足でした!


翌日。「本当にありがとうございました。素晴らしい経験は絶対に忘れません」「大好きなみかんについて多くを学ぶことができて、とっても嬉しいです」と、感謝の気持ちを「吉田農園」の皆さんに伝えます。「国を越えて、アメリカの女子高生が真剣に取り組んでくれる姿に感動しました」と吉田さん。2人は、お礼の気持ちを形にしたいと、自作の俳句を披露。「綺麗山 美味しいみかん 暑い夏」と、日本語でしたためたものを吉田さんに贈りました。

あれから4年…。双子姉妹からのビデオレターを、「吉田農園」の皆さんの元に届けます。


すっかり大人になった2人ですが、挨拶で声を揃えるこだわりは変わっていません。みかんの収穫は忘れられない貴重な体験だったというジェーダさん。4年前にいただい皮むきの便利道具「ムッキーちゃん」を、思い出の品として大切に使っているそう。ニッポンのみかんは売っていないため、代わりに食べているタンジェリンという果物を、ムッキーちゃんで剥いてくれました。


帰国後、ニッポンの味が忘れられず、和食作りにも挑戦。2年前からは毎日作っているそう。今回は、その腕前を披露してもらいます!
小袋に入れた鰹節と昆布で出汁をとり、酒とみりん、切った野菜を入れて味噌で味付け。鶏団子を入れて煮込み、ちゃんこ鍋の出来上がり! 相撲のポーズをとるジャスミンさんを見て、「なるほど。国技を意識して作ってくれたんやな」と吉田さん。来日に付き添った母・メロニーさんも、2人が作ったちゃんこ鍋を「塩加減がバッチリね」と大絶賛! ここで、ちゃんこ鍋で一句。

「関取は ちゃんこを食べて 掴み投げ」(ジャスミンさん)
「鶏肉は スープの中で 茹でました」(ジェーダさん)

メロニーさんも思わず笑ってしまいます。

「帰国後、ニッポンの伝統的な踊りにも興味を持ち始めました」という2人。その踊りとは、なんとパラパラ! 平成時代について調べていた時に知ったそうで、20年前にブームになったパラパラを、ニッポンの伝統的な踊りだと思い、ハマっている様子。そして、ここでも一句。

「かっこいい パラパラ踊る リズム感」(ジャスミンさん)
「手の踊り 渋谷で遊ぶね イケイケ」(ジェーダさん)

そして今回、「吉田農園」の皆さんに報告したいことがありました。2人は、ニッポンの大学への留学を決意したとのこと。実は4年前に立ち寄った宮城県の七夕祭りでも、短冊に「ニッポンの大学に留学したい」と書いていました。


この報告には、皆さんもびっくり! 元々は今年、留学する予定でしたが、コロナの影響で断念。ようやくワクチンで元の生活が戻ってきたので、来年、上智大学への留学を目指しています。現在通っている大学の成績と自由テーマの論文で合否が決まるそうで、テーマに選んだのは「ニッポン愛」。論文には、「吉田農園」での体験、皆さんに親切にしてもらったこと、上智大学でニッポンについて学び、将来はニッポンでの就職を考えていることが書かれていました。

「誠実さというか……そういうのが伝わってきて良かったと思います」とさささん。茉杜衣さんは「吉田農園」について書いてくれたことを喜んでくれました。
「試験官の人にニッポン愛が伝わればいいんですけど」と吉田さん。ジェーダさんは「とにかく今は、論文をパーフェクトに仕上げるために頑張っています! 必ず上智大学に合格します!」と意気込みを語ってくれました。

ジェーダさん、ジャスミンさんをニッポンにご招待したら、留学する夢が動き出していました!

9月13日(月)夜8時放送! 月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」は、ゲストにIKKOを迎えて、【人生変わっちゃった!SP】をお届け!

【ご招待したら人生変わっちゃった!感謝のビデオレターが届いちゃいました!】
“足袋”を愛するアメリカ女性。大正時代創業「むさしや」(東京四谷)で、職人歴57年の足袋職人にオーダーメイド足袋の作り方を学ぶ。
さらに、国内トップシェアで創業102年の老舗こはぜ店「青山産業研究所」(兵庫篠山)で、“こはぜ”作りも! 帰国後、足袋作りが進化したとの報告がビデオレターで…。

【ニッポンの”あるもの”を愛してやまず…そのまま住んじゃった!】
“合気道”が好きすぎてニッポンに住んじゃった! 日本在住6年のアメリカ女性。合気道の総本山・合気会で奮闘する彼女に密着! 毎朝4時起きで稽古!? さらに、初段から弐段への昇段審査に挑戦! 果たして結果は…?
そして、彼女がニッポンの合気道を愛することになった原点が石川県の輪島に…。

【コロナが収まったらすぐにでもご招待したい!】
“江戸つまみかんざし”を愛するハンガリー女性。独学でかんざし作りに挑戦し、5年間で2000本以上を製作!
そんな彼女には、ニッポンに行けたら「ぜひ会ってみたい」憧れの存在が…江戸つまみかんざし職人・海野則明さん。さらに、日本最大級の手芸用品店「ユザワヤ」にも行ってみたい!と夢を語る…。

どうぞお楽しみに!