(写真:MediaFOTO/PIXTA)

今なお「お笑いの中心的存在」であり続けるタモリ、たけし、さんまのビッグ3、先鋭的な笑いを追求して90年代に台頭したダウンタウン、M‐1グランプリから生まれた新潮流、そして「お笑い第7世代」……。新著『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』では、日本社会の「笑い」の変容と現在地を鋭く描き出しています。

本稿は同書より一部を抜粋・編集しお届けします。

お笑い芸人vs.ユーチューバー

ユーチューバーを代表する存在と言えば、HIKAKINやはじめしゃちょーだろう。彼らが投稿する動画の内容は、商品紹介やゲーム実況などさまざまである。ただそのなかで、笑いの要素は大きな比重を占めている。そうした類の動画が、視聴回数を稼ぐ傾向にあるからだ。

その典型として、動画タイトルに「〜してみた」とつくようなチャレンジものを挙げることができるだろう。はじめしゃちょーの動画「コーラ風呂に体中メントスで入ってみた」(2014年7月公開)は、本人がメントスを体中に張り付けてコーラ風呂に入る(2つを混ぜると泡が噴出することが知られている)とどうなるかを実験したもの。

またHIKAKINの動画「【もはや鏡】アルミホイル2日間ハンマーでたたいたら超ピカピカの鉄球出来たw【ボール】」(2018年3月公開)は、タイトルにあるように、球状にしたアルミホイルをたたき続け、磨いてピカピカの鉄球にする工程を映したもの。いずれも1000万単位の視聴回数を記録している。

これらに共通するのは、本気でやる人がいないようなくだらないことにわざわざ手間暇かけて挑戦するということである。ただし、彼らはお笑い芸人ではない。動画投稿を始めた頃、HIKAKINはヒューマンビートボクサーであり、はじめしゃちょーは一般の大学生だった。笑いに関して、2人とも素人である。

とはいえ、彼らのやっていることは、お笑い芸人がテレビのバラエティー番組でやっていることと本質的には変わらない。例えば、「電波少年」シリーズでの芸人・なすびによる往年の人気企画「電波少年的懸賞生活」を思い出してもらえば理解しやすい。ひたすら懸賞に応募し、その賞品だけでいちから生活必需品を手に入れていくという内容は、普通だったら誰もやらないが、やってみたらどうなるか興味のあることだろう。それを企画化したという点で、いま挙げた2人の動画と共通している。

はじめしゃちょーに「同情」するさんま

しかし、笑いの評価という点では、お笑い芸人はユーチューバーに対して、しばしば厳しい目を向けてきた。その立場を代表するひとりが、明石家さんまである。

さんまとはじめしゃちょーのテレビ初共演となった『さんまのまんま35周年SP』(フジテレビ系、2020年6月19日放送)に、次のような場面があった。

はじめしゃちょーが「芸能界のかたがYouTubeに来たり……」と最近の傾向を語り出したところ、さんまは「これはユーチューバーの人に謝らなあかんねん」と切り出す。なぜなら、YouTubeはさんまにとって「素人の領域」だからである。「だから、そこへプロが参入したらあかんと思ってた」のである。YouTubeが盛り上がるので芸能人の参入は歓迎するとしつつも、一方で「ちょっとヤベえな」と思うと語るはじめしゃちょーに、さんまは「かわいそうやんか」「せっかく素人が開拓してきた場所やのになあ」と同情気味に話していた。

この話題になる前段で、さんまは自分がテレビの全盛期に育ち、テレビに大きな憧れを抱いた世代であることを語っている。そのうえでさんまは、演者の立場から、テレビとYouTubeはまったく別物だととらえている。そして、プロと素人という区別の仕方、「かわいそう」という言い方からは、笑いにおいてテレビとYouTubeは対等ではなく、あくまで中心はテレビにあるという意識が見え隠れする。

では、なぜYouTubeの笑いは、さんまのような芸人からは否定的にみられてしまうのだろうか?

それはおそらく、ユーチューバーの動画には「オチがない」からだ。正確に言えば、オチを前提にした構成にはなっていない。例えば、「〜してみた」という動画の場合、やってみた結果、意外なハプニングや展開が生まれ、それがオチのようになって笑いを生むことはある。しかし、必ずしもそれは意図して導かれたものではない。

さんまのような、つねに笑いをとるための計算をしている立場からすると、こうした動画はそこに潜む笑いの可能性を最大限には引き出せておらず、「ヌルい」ものとみなされる。つまり、「お笑い怪獣」のさんまにとって、笑いへの貪欲さが足りないのである。

しかしながら、ユーチューバーの動画は、お笑い芸人のネタとはそもそもベクトルそのものが異なっている。ユーチューバーにとって、結果がどうなるかに関係なく、視聴者が求めているだろうことをやってみせるのが最も重要なのであり、やってみた時点で所期の目的は達せられている。別の言い方をすれば、視聴者の代表としてなんでもやってみること、そして視聴者の共感を得てバーチャルなコミュニティーを形成すること、それがユーチューバーの目指すものなのである。

「ヌルさ」こそ最大の魅力

そうした身近なコミュニティー感覚が人気の源となっているユーチューバー集団が、フィッシャーズ(Fischer's)である。男性7人からなる彼らは、中学校の同級生である。その卒業記念に動画投稿を始めたのがきっかけだった。現在、チャンネル登録者数は663万人に上る(2021年4月4日現在)。

そんな彼らの動画の1つに「英語禁止ボウリングがおもしろすぎて全然集中できない件www」(2018年1月21日公開)がある。3400万回を超える視聴回数を記録しているこの動画では、メンバーがボウリング場でボウリングをする。だが、そこにはルールがあって、英語を使うことが禁じられている。もし使ってしまったら罰ゲームを受けるという企画だ。

実はこの企画は、『志村&鶴瓶のあぶない交遊録』(テレビ朝日系、1998年放送開始)でも恒例だったもの。だから、借り物である。だが、そこで重要なのは、企画の独自性よりも、タイトルの「おもしろすぎて全然集中できない件www」が物語っているように、長年の友人同士で時にはしゃぎながら和気あいあいと盛り上がる空気感を伝えることなのだ。

つまり、「ヌルさ」こそが、この動画の最大の魅力なのである。「ヌルさ」は避けるべきものではなく、むしろユーチューバーが積極的に求めるものである。その意味では、バラエティー番組を「戦場」であると断言し、テレビとYouTubeのあいだに厳しく線を引こうとするさんまは、間違ってはいない。

ところが、さんまが強調するような「プロ」と「素人」、テレビとYouTubeのきっちりとしたすみ分けは、急速に過去のものとなりつつある。

ここ数年のあいだに、有名お笑い芸人のYouTube進出が相次いだ。なかでも2020年6月にとんねるず・石橋貴明が公式チャンネル「貴ちゃんねるず」を開設したことは大きな話題を呼んだ。1980年代からテレビを自分の庭のようにしてきた、「お笑い第3世代」の一角を占めたとんねるずの石橋が、ネットに活動の場を求めたことにはインパクトがあった。

近年、お笑い芸人が次々とネットに進出する背景には、コンプライアンス意識の高まりがあると言われる。かつては許された過激な企画も、昨今の社会規範や社会通念の変化に照らしてテレビでは許容されにくくなった。その結果、より自由な環境を求めた芸人たちがネットに目を向け始めたというわけである。

江頭2:50は「テレビでは見せない一面」を配信

実際、2020年1月に「エガちゃんねる」をYouTubeに開設した江頭2:50などにはそうした面があるだろう。江頭の真骨頂は、体を張った暴走芸。上半身裸の黒タイツ姿で乱入し、暴れ回る。時には勢い余って下半身を露出し、問題になったこともある。

このため、コンプライアンスが重視されるようになってくると、江頭がテレビに登場する機会は減っていった。そこでYouTubeに活路を求めたわけである。この決断が功を奏し、いまやチャンネル登録者は233万人を数える(2021年4月4日現在)。

とはいえ芸人たちは、テレビでやりたいことができないフラストレーションを、ただ単にネットで発散させているわけではない。芸人にとってネットは、テレビでできないことをやる場というより、それぞれの個性に応じて独自のコンテンツを見せる場なのである。江頭2:50にしても視聴回数が最も多いのは、その芸風からは想像のつかない、ザ・ブルーハーツの「人にやさしく」を真剣に熱唱した動画であったりする。

こうした流れを作ったと言えるのが、キングコング・梶原雄太である。梶原と西野亮廣のコンビであるキングコングはNSC在学中から頭角を現し、M‐1決勝にも早々と進出したお笑い芸人のエリート。『はねるのトびら』などバラエティー番組のメインとしても活躍した。

そんな梶原が2018年8月に開設したYouTube公式チャンネルが「カジサックの部屋」だった。2019年7月にはチャンネル登録者数が100万人を突破。このチャンネルで中心になったのは、妻と子どもが出演して仲良く料理を作ったりゲームをしたりするような、梶原家の日常を映したものだった。そこにほのぼのとした笑いはあっても、プロの芸人がやるような笑いはない。そこからは、テレビとネットでは求められるものが違うという、はっきりした意識がうかがえる。

かまいたち・山内の「YouTubeの流儀」

かまいたちの山内健司が、芸人とYouTubeとのこうした関係の変化について、2020年8月22日放送の『ゴッドタン』(テレビ東京系)で興味深い見解を語っている。


かまいたちはM‐1の決勝に進出するなど実力派の芸人であり、いまや数多くのテレビ番組に出演し、自身の冠番組も持つ屈指の売れっ子である。その一方で、YouTubeにチャンネルを持ち、本人いわく「芸人ではなくユーチューバー」として動画制作に力を入れている。この日の番組でも、他人の動画をまねてはいけないといった、「“俺芸人なんで”っていうとがりはまったくいらない」「YouTubeはみんながやってることを自分もやるのがいい」と断言していた。

この山内の考え方は、先述のフィッシャーズの「英語禁止ボウリング」に通じるものだろう。そのことを、いまが旬のお笑い芸人が堂々と主張するところが興味深い。芸人としての実績をテレビで残す一方で、ネットの流儀にしたがってそこでも結果を残そうとする“二刀流”の芸人が活躍する時代が始まろうとしているのである。