消費増税が「景気後退」を招く理由とは?(写真:CORA/PIXTA)

1989年に3%の消費税が導入されて以来、5%、8%、10%に引き上げられました。しかし、世界的に経済が低迷する中、これ以上の消費増税は「景気後退を加速させるだけ」といった見方も。消費増税が「景気後退」を加速させる心理面から見た理由とは? 精神科医の和田秀樹氏による新書『ストレスの9割は「脳の錯覚」』より一部抜粋・再構成してお届けします。

「毎年宝くじを買えば、いつかは一等が当たるだろう」「サイコロを6回ふって、まだ1が出ない。そろそろ1が出てもいいはずだ」

こんな風に考えたことはないでしょうか。一見、納得できる考え方です。しかしよく考えてみると、これにはなんの合理性もないことに、気がつくはずです。

確率論でいえば、1000万分の1の確率で1等が当たる宝くじを、毎年何度買ったって、当選確率は1000万分の1のままです。同じように、サイコロを何度ふろうと、1が出る確率は6分の1のままです。

それなのに、「今年こそは当たりが出るはず」と期待して、都合のよい風に考えてしまうのが、人間なのです。日常生活を送っていると、ある種の期待感から、迷信みたいな不合理なことでも、「うっかり」信じてしまいます。

人間は思ったほど「合理的」に動けない

宝くじやサイコロの例は、心理学の世界では「意思決定における不合理さ」と呼ばれています。

確率論では不合理でも、感情が働いて当たり前のように信じてしまう。人間の考えることは、そもそも土台からして危ういものであり、ときに不合理な判断をする。心理学の世界には、そんな意外な事実を示した研究がいくつもあります。

なかでも代表的なものが、ジョセフ・スティグリッツ、ダニエル・カーネマンによる研究です。カーネマンらの研究は「行動経済学」と呼ばれますが、心理学を経済学に応用したものです。研究によってわかったのは、「人間は往々にして、合理的に行動しない」ということです。

もともと経済学という学問の世界では「経済は合理的に動くものだ」と考えられました。古典的な経済学も、ケインズ経済学も、マルクス経済学も、その点では同じです。ところが、現実の経済は、その理論の通りには動いていません。

それもそのはず、これらの経済理論は次の2つの前提条件のもとで成立していました。1つは、「人々は完全な情報を持っている」。これは売り手だろうと買い手だろうと完全な情報を持った上で、売買の判断をしている、ということ。2つめは「人々は合理的に判断する」。たとえば安ければ買い、高ければ買わないということです。スティグリッツとカーネマンは、この前提に疑問を投げかけたのです。

スティグリッツは、「人々が完全な情報を持っていない」ときの経済行動を研究しました。

例として挙げたのが「レモン問題」です。レモンとは中古車のこと。中古車は値段を下げれば下げるほど売れるかと思いきや、値段を下げすぎると、「完全な情報」を持たない買い手は「これは欠陥車ではないか」と疑うため、逆に売れなくなるのです。

売り手は完全な情報を持っているが、買い手は完全な情報を持っていない。このように情報が非対称であると、消費行動は合理的でなくなるのです。カーネマンは「人々が合理的に判断するというのは嘘だ」と主張しました。

人間は得よりも「損」に大きく反応する

カーネマンが提唱したプロスペクト理論は「人間は得よりも損に大きく反応する生き物だ」というものです。

例えば、100億円持っている人と、10万円持っている人が、どちらも1万円を失ったとします。100億円持っている人にとっては1万円など、さしたる損ではないように思えますが、10万円の人が1万円を失ったときのショックと、ほとんどかわりないことがわかったのです。それは、「まだ残り99億9999万円ある」という富の絶対量よりも、「1万円を失った」という損失のほうに、感情的に反応してしまうからだそうです。

このような心の動きを、合理性を欠いている、とカーネマンは言うのです。カーネマンが言うように、合理的ではない偏った判断のことを、心理学用語では「認知バイアス」と呼びます。

ここからは、「認知バイアス」について、いくつか例を挙げて、説明していきます。次の2つのうち、どちらのほうが、あなたの感情が強く揺さぶられますか?

A:10万円の商品を1万円値引きしてもらって買った
B:10万円で買った商品を別の店で見たら9万円で売っていた

Aはつまり「1万円得した」ケース、Bは「1万円損した」ケースです。もちろん、1万円得すれば嬉しい気持ちになります。しかし現実には、「1万円損した」ときのショックは、それを上回りはしないでしょうか。

実験によると、損と得とではその心理的なインパクトには2.25倍の差があることがわかっています。1万円を損した不快感は、2万2500円を得したときの喜びと、ようやく釣り合うというイメージです。

以上は、カーネマンがいう「人間は得よりも損に強く反応する」ことの一例です。これを「損失回避の法則」といいます。損失回避は、現状維持にもつながりやすいため「現状維持バイアス」と言われることもあります。

損失回避の法則は、人間の判断や行動に大きな影響を及ぼします。例えば、「得をしたい」という気持ちを「損したくない」気持ちが上回ると、新しいものに切り替えられなくなります。

いつも行きつけの飲食店で、毎回同じメニューを頼んでしまうのも、損失回避の働きです。知らない店で初めての料理を食べ、「やめておけばよかった。損をした」とあとで後悔するぐらいなら、いつもの店で、いつものメニューを食べたほうが安心だ、というわけです。

「本日限り50%オフ! まもなくポイントが失効します」と言われると、いま買わなきゃなんだか損する気がするのも、損失回避の働きです。「損をしたくない」という気持ちは人間の自然な心理であり、避けようがありません。問題は「損をしたくない」気持ちが強すぎると、極端に現状維持を好むようになること。何かを変えよう、進歩させようとする前向きな行動が生まれにくくなります。

選挙で現職に票が集まるのも、損失を回避する意味があります。現職が当選すれば、「世の中がそれ以上よくなることもないかわりに、それ以上悪くなることもない」からです。そのため一般的に、現職に多く票が集まるのは、景気がいい時か、少なくとも景気が悪くない時です。

逆に、経済格差に苦しむ人が増えたりすると、「現政権には任せていられない、トランプに投票しよう」といった、改革の機運が高まります。リスクをとっても、現状を変えたいという気持ちが強くなるからです。

一般的には、「減税すると国民が使えるお金が増えるから、景気がよくなる」と信じられています。しかし人間は、使えるお金が増えても物を買わないことがあることを、節約家の私たち日本人はよく知っています。コロナウイルスの感染拡大を受けて現金10万円が一律給付されましたが、多くの日本人は消費に使ったりせず、貯金にまわしていました。「将来が不安だから、今は貯めておこう」という判断ですから、これはこれで合理的です。

そこで私は考えました。カーネマンがいう通り、「人間は得よりも損に強く反応する」というなら、消費拡大のためには、「お金を使わなければ損だ」という心理を刺激するといいのではないか、と。

具体的には、減税して国民の可処分所得を増やすのではなく、むしろ所得税を上げて、そのぶん経費をもっと認めるのです。経費が認められた上に、所得税が上がるとなれば「使わなければ損だ」という心理になります。


かつて景気が良かったころの日本企業は、法人税が高いかわりに大幅に経費を認めてもらっていました。この場合、どんどん経費を使って、営業利益を少なくしていかなければ損だ、という心理が働きます。また、「どうせ税金で持っていかれるぐらいなら、従業員の給料を上げよう」と企業は考えました。こうしてお金が社会を循環し、景気を支えていたのです。

会社員個人に対しても、副業のための経費を広く認めるようになれば、「税金でとられるぐらいなら、経費として使ってしまおう」と考える人が増えて、かなりの消費の底上げが期待できるのではないでしょうか。

消費税増税が「不景気」を招く納得理由

レジ袋の有料化も、損失回避の法則のよい例です。「レジ袋を断ると、2円、値引きされる(得をする)」としていた頃はレジ袋をもらう人が減らなかったのに、「レジ袋を下さいと言ったら、2円取られる(損をする)」ようにしたら、レジ袋をもらわない人が激増しました。

やはり、得よりも損に強く反応したのです。こうした人間の心理からすると、消費税率を上げることは、「お金を使わなければ損だ」ではなく「お金を使えば使うほど損だ」ということになり、消費が停滞し、景気に悪影響を与えてしまいます。

世界の趨勢は消費税を上げる方向ですが、これではますます損失回避の法則が働き、消費は落ち込んでいくことでしょう。