世間のナラティブなど経済学者たちにとっては領域外というが……(写真:sidelniikov/PIXTA)

経済学がずっと無視してきた、物語と経済の関係を解き明かそうとする野心作『ナラティブ経済学』の邦訳がついに刊行された。本書から、経済予測の精度とナラティブの関係に関する記述を、抜粋・編集してお届けする。

ナラティブは経済学の領域ではない?

ほとんどの経済学者たちは、世間のナラティブなど「我々の領域ではない」と考えたがる。追及すると、大学のジャーナリズム学部や社会学部など他の学部に行ったらどうと言うかもしれない。


だがこうした他の分野の学者は、経済理論の領域に入ってこられない。おかげでナラティブ研究と、その経済事象への影響の研究にはギャップが残る。

1930年代以前に大恐慌が世界的に拡大することをきちんと予測できた経済学者は一人もいないし、2005年のアメリカ住宅バブルの崩壊や、2007〜2009年の「大不況」「世界金融危機」を予測した人もごくわずかだった。

1920年代末の経済学者の一部は、1930年代には繁栄が新たな高みに達すると論じ、その正反対を主張した学者もいた。労働節約機械がずっと人間に取って代わり続けるから、失業は高止まりするというわけだ。

でも、10年にわたりきわめて高い失業が続き、それから通常に戻るという実際の出来事を予測した公開の経済予測はなかったようだ。

データを検討する経済学者は伝統的に、抽象的な理論モデルを作ったり、短期経済データを分析したりするのに手腕を発揮してきた。数四半期先のマクロ経済的変化を正確に予測できるが、過去半世紀にわたり、1年後についての彼らの予測は全体として役立たずだった。

1年後にアメリカGDP成長率がマイナスになる可能性はどれくらいだろうか? 経済学者の予測は実際のその後のマイナス成長率とはまったく関係ない。

ファゾムコンサルティングの調査によると、国際通貨基金(IMF)が各年で発行する『世界経済見通し』で行っている、194カ国における1988年以来の不景気(前年比でその国のGDPが下がった場合と定義)469件のうち、IMFが正しくマイナス成長を予測したのは17件でしかない。そして不景気になると予測したのに実現しなかった例は47件あった。

こんな予測実績でも、天気予報に比べればマシだと思うかもしれない。天気予報だってほんの数日先がせいぜいだからだ。

でも経済的な判断では、人々は普通は何年も先のことを考える。子どもを高校に行かせるか、4年も大学に行かせるかを考え、30年の住宅ローンを組むかを考える。だから今後数年の景気が好調か不調かが、少しくらいはわかりそうなものだ。

専門の経済学者が無視してきたもの

経済予測者たちは、これでも精一杯やっているのかもしれない。だが経済事象が繰り返し、何の理由もなくやってくるように見えるのを考えれば、経済理論には根本的な改善の余地があるのではとそろそろ思うべきではないだろうか。

専門の経済学者が、過去を解釈したり未来を予測したりするとき、ビジネスパーソンや新聞記者が考える状況を引用したりすることはほとんどないし、ましてタクシー運転手の考えなどを聞くことはない。

でも複雑な経済を理解するには、経済的な意思決定に関連する多くの対立する世間的なナラティブやアイデアを考慮しなくてはならない。そのアイデアが正しいかまちがっているかは関係ない。

ナラティブの感染を経済理論に組み込む必要がある。さもないと、経済変化の仕組みとしてきわめて本物で、きわめて明らかで、きわめて重要なものを無視したままとなってしまうし、また経済予測の決定的な要素も採り入れられない。

ジョン・メイナード・ケインズ:ナラティブ経済学者

1919年の著書『平和の経済的帰結』でケンブリッジ大学の経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、第1次世界大戦を終結させたヴェルサイユ条約が科している重い賠償金により、ドイツが深い遺恨を抱くと予測した。

終戦時にそんな予測をしたのはケインズだけではない。たとえば平和主義者ジェーン・アダムズは敗北したドイツ人に情けをかけようというキャンペーンを主導した。

だがケインズは、自分の議論を経済的な現実をめぐる議論と結びつけた。ドイツには本当に賠償金を支払う能力がなく、それをドイツ人に無理強いする危険性についてケインズの予測は正しかった。賠償金や、ドイツが戦争犯罪で有罪だと主張する条約の関連条項について、ドイツ人がどう解釈しそうかをケインズは予言した。

ケインズの洞察はナラティブ経済学のお手本だ。というのもそれは、人々が経済条件の中でヴェルサイユ条約の物語をどう解釈するかに注目しているからだ。それはまた予測でもあった。というのも1919年の外交政策の「安っぽいメロドラマ」の中で、来るべき戦争を警告するものだったからだ。

意図的に中欧の貧窮化を目指すのであれば、敢えて予言するが、復讐心が薄れることはないだろう。
そうなれば、反動勢力と、革命という絶望的な痙攣との最終的な内戦を先送りできるものは、何もなくなってしまう。その争いに比べれば、かつてのドイツ戦争の恐怖など無の中にかき消えてしまうだろうし、だれが勝利するにしても、私たちの世代の文明と進歩は破壊されてしまう。

ケインズの言うとおりだった。第2次世界大戦は、20年後にも残る怒りの中で開始され、6200万人の命を奪った。彼の警告は経済学に根ざし、経済的な規模感と結びついていた。

だがケインズは今日の私たちが理解するような純粋経済学について話しているのではなかった。彼の、「復讐心」「革命という絶望的な痙攣」という用語は、人々の活動のもっと深い意味合いにまで到達するような、道徳的な基盤でいっぱいのナラティブを示唆している。