中国に大逆転勝利を飾った水谷・伊藤ペア /(C)JMPA

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「美誠には小学3年生くらいから卒業するまで教えていましたが、負けん気の強い子でしたね」

こう語るのは、小学生時代の伊藤美誠選手(20)と水谷隼選手(32)を2人の地元・静岡県磐田市で指導した今福護さんだ。

水谷とタッグを組んだ卓球混合ダブルスで金、女子シングルスで銅を獲得し、史上初の快挙を成し遂げた伊藤。その活躍は地元でも話題に。伊藤の実家近くの住民は目を細めながら幼少期の彼女を振り返る。

「美誠ちゃんはお母さんと祖父母の4人暮らしで、いつもニコニコしていて元気な子。大人が遊びで卓球をしても誰も勝てませんでした(笑)」

そんな伊藤を金メダリストに育て上げたのがシングルマザーの美乃りさん(45)だ。2歳から自らの希望で卓球を始めた伊藤だったが、自身も卓球選手として全国大会に出場したことのある母の指導は苛烈を極めた。

4年前、美乃りさんは本誌のインタビューで「1日最低7時間は訓練」「美誠がトイレで居眠りしていたらドアをたたいて起こす」と明かし、別のインタビューでもこう語っていた。

《化け物みたいな子にしたかった。対戦相手が「なにこれ?」「どうすればいいの?」「化け物と試合してる」と感じてしまうような子》(『卓球王国』’15年12月号)

母の“鬼の指導”を乗り越え、日本を代表する選手となった伊藤。混合ダブルス決勝での2セットビハインドから中国を破った大逆転劇には“相棒”であるラケットとの絆があった。

伊藤が小学1年生のころからラケットを提供しているという老舗卓球メーカー「ニッタク」の松井潤一企画開発部長はこう明かす。

「伊藤さんのラケットはオーダー品ではなく弊社の既製品で、’14年から同じものをずっと使われているんです。新商品が出ればすぐ試すトップ選手が多いのですが、伊藤さんは『3年ぐらい使っていると感覚がわかるんです』と仰っていました。同じラケットを徹底的に使いこむことで本来の特性を引き出して力に変えているんでしょうね」

“7年ラケット”とともに今後も伊藤の不屈の闘いは続く。