原田マハによる同名小説を、山田洋次が89作目の監督作として完成させた映画『キネマの神様』。菅田将暉とW主演を務めるはずだった志村けんの急逝、コロナ禍による公開延期と想像を超えた幾多の困難を経てこのたび、ついに公開されます。 この映画に、RADWIMPSの野田洋次郎さんが出演しています。

演じるのは映画の撮影所で助監督として働くゴウの盟友で、同じ撮影所で働く映写技師のテラシン。ゴウを演じる菅田とは主題歌「うたかた歌」でも共同作業をしました。つくり手として、山田組で受けた刺激とは? 野田さんに聞きました。

野田洋次郎さん PHOTO:黒石あみ

【プロフィール】
野田洋次郎(のだ・ようじろう)
1985年7月5日生まれ、東京都出身。RADWIMPSのボーカル&ギターで、全作品の作詞&作曲を手掛ける。2001年に結成し、2005年メジャーデビュー。俳優としては2015年に映画『トイレのピエタ』で初主演を果たし、『泣き虫しょったんの奇跡』、NHK連続テレビ小説『エール』等の映画・テレビドラマに出演。ウェス・アンダーソン監督によるストップモーションアニメ『犬ヶ島』では吹替えに挑んだ。

山田洋次監督の作品に誘っていただいて、出ない訳にはいかない

――以前「映画をつくっている人に興味があった」とおっしゃって、これまで豊田利晃、大根仁、藤井道人、ウェス・アンダーソンらの映画監督の作品に出演されています。今回、『キネマの神様』へ出演する決め手となったのは、やはり山田洋次監督の存在が大きかったのでしょうか?

「ものすごく大きいです。当初、撮影の間はずっと(RADWIMPSの)ドームツアーがあるはずだったんですよ、コロナ禍がなければ。

ドームツアーは僕らにとっても初めてのものですし、二か月くらいずっとリハーサルをしてきて。スタッフは『スケジュール的に、間違いなく無理だと思いますよ』と。

でも山田洋次監督の作品に誘っていただいて出ない訳にはいかないというか、どうしても出たいと思って。なので、週末はツアーをやって平日は撮影というプランニングでいこうという流れになっていました。

期せずしてツアーは延期になってしまったので尚更、あそこでお断りしていたら後悔していただろうなと」(野田さん以下同)

――例えばコロナ禍のように、現実に起こったことを映画に取り入れる道筋やその考え方等、つくり手としての山田監督の印象は?

「ああ…両方のバランスですよね。計画や準備、下調べと、撮影までのプロセスがとても緻密です。まずロジカルな思考が研ぎ澄まされています。何か月も前から、そして撮影中も毎日毎日、とにかく準備と下調べをして状況を積み上げていく。

かといって撮影に入ったらすべてをそれ通りにやらなきゃいけないと思っているかというと、まったくそんなことはなくて。その場の思いつきや即興性、現場でのアイデア出しや変化を恐れないんですよ。

その二つ、ロジックと柔らかさというか発想の豊かさをとてもいいバランスで持たれているなと」

――演じるテラシンがギターを弾き語りするシーンも、数日前に監督から突然に言われたとか?

「曲が決まったのは3日前とかで一瞬、頭が真っ白になりました。でもやってみたいと思ったし、それに監督に喜んでいただけたのが本当に……。即興的なノリでああいうシーンができたことは、僕が呼ばれた意味があったなあという気がしましたね」

――テラシンという役はどんなふうにつくっていったのですか?

「監督の口から出る言葉、すべてを受け止めようと思っていました。(最初に台本の読み合わせをする)本読みでさえ、監督はいろいろなヒントを、あらゆる表現の仕方で伝えてくれるんですよね。

『人間っていうのはね……』と人間の本質的なこと、どういうときにどんなふうに挙動不審になるか? 瞬きが多くなるとか、そういうちょっとしたこともそうだし、『テラシンという人間はきっと、ゴウのことを思ってここでは……』とか、『淑子ちゃん(永野芽都)のことはこう思っているけど、目なんかきっと見れないよね。ここらへんを見てしゃべるんじゃないかな』とか。

『テラシンって人は……』と撮影中は何十回とアイデアを下さったので、それをすべて受け取って。そうした言葉を自分の中にどんどん蓄えていくと、こうしよう!ではなく、本当にそうなっていくような気持ちになるというか。言葉によって自分がカタチづくられていく、そういう体験だった気がします。いやあ、面白かったです」

――その過程は難しいものではなかったのでしょうか?

「必死でした。違うときはとにかく『全然違う』『全然違う』ってなりますし。『そんなんじゃないよ、もっとこうだろ』って、熱くなるとそういう感じで。『わかりました、もう一回やります』……そんなことがなんどもありました。

途中から監督ご自身も変わっていって、その場の思いつきも育っていくので。だから本当に、一緒につくりあげていただいたキャラクターだなと思いますね」

――ゴウというキャラクターには、撮影所で助監督をしていた監督自身も反映されているように思えます。テラシンにも、モデルとなった人が?

「それは聞かなかったですね。でも監督はあの時代の撮影所をリアルに経験されていて、それがありありと記憶にある、それは奇跡的なことで。

テラシンは映写技師ですが、『映写技師はね、こんなふうにオタクが多くて。誰よりも映画を観ていて、撮影所でいちばん映画を知っているんだよ』とか、そんな話もたくさんお聞きしました。

当時、映写技師をされていた御年八十何歳の方が僕についてくださって。三週間ほどは毎日、撮影後に練習していました、当たり前のように。

『フィルムが焼けてしまったらすべてがパーになるので、細心の注意を払いながらリールに手際よく巻くんだよ』といわれて。

映写するまでの一連の動作をいかに滑らかに美しくできるか、そこにこだわられていましたね。当時撮影所で使われていた機械を使って。美術のディテールのクオリティも高いんです」

演出中の山田洋次監督。今年90歳を迎える、本物の現役。

左から菅田将暉、永野芽都、山田洋次監督、野田洋次郎。クランクアップも華やか。

『神は細部に宿る』という言葉を僕は信じている

物静かで思慮深く、正直でフラットで、普通の感覚を持っている野田さん。研ぎ澄まされた言葉に聞き入ってしまう。 PHOTO:黒石あみ

――演技そのものが初めてだった映画『トイレのピエタ』では「自分が洋次郎だかその役だかわからないくらいに同化して、こんなに現実と境目がなくなるのかとビックリした」と。その後、俳優としての経験を重ね、演じることへの意識はどのように変化しましたか?

「あのときは本当に初めての映画体験で。演じるということが自分の中でしっくりこなかったからこそ、もうその人を生きるしかないというか……。特に死んでいく役だったので、終盤は辛かった思い出があります。

それでいま、テラシンを演じるときはもう一歩引いて。なにしろ山田洋次監督の映画に出ているわけで、そんな自分をどこかから見て、存分に楽しんでもいました。そういう意味では確かに演じる上でも、何段階かの自分が生まれてきた気はしますね」

――「(映画の)カットとカットの間に神様が宿る」というテラシンのセリフがあります。音楽にもそういう瞬間が?

「『神は細部に宿る』という言葉を僕は信じていて、とにかく諦めないというか……。

いろんな楽器の音が積み重なって曲をつくっていくんですけど、別にいらないんじゃないですか? なんで何時間もこだわるの? と思われるようなところに、その曲の雰囲気や気配を決定づけるなにかが、きっと存在すると信じてつくります。

聴こえるか聴こえないかわからないかもしれないけど、そこに絶対、存在しなきゃいけない音みたいなものはあると。きっと山田監督もそういう人じゃないかなと思うんです。

シーンのいちばん端っこのなにか、色か明かりか、美術なのか照明かわからないですけど、そこに手を抜いた瞬間、そのシーンのすべてが損なわれてしまうという思いがある。細部にまですべてのカットに意味があって、そのすべてのカットが映画自体をつくっている、そういう意識があるのだと思います」

――撮影現場で山田監督の姿を間近で見て、共通点を感じたと?

「ああもう、ものすごく影響を受けましたね。あの年齢になってもきっと初めて監督をした作品からまったく変わらない、映画づくりの熱が加速しているんじゃないかという気もします。

撮影の合間、休憩や移動のときは誰かに支えてもらったりもしてましたが、セットに入った瞬間からもう誰よりも大きな声で、誰よりその瞬間に集中して生きている。それをそこにいたすべての人が感じたと思います。本当にスゴかったです」

インタビュー【後編】に続きます。

文・浅見祥子

(c)2021「キネマの神様」製作委員会

『キネマの神様』
(配給:松竹)●監督:山田洋次 ●脚本:山田洋次・朝原雄三 ●出演:沢田研二 菅田将暉  永野芽都 野田洋次郎 / 北川景子 寺島しのぶ 小林稔侍 宮本信子 ●2021年8月6日全国ロードショー

【Story】
酒とギャンブルが好きなゴウ(沢田研二)は借金とりに追われ、妻の淑子(宮本信子)や娘の歩(寺島しのぶ)にも見放される始末。名画座の館主・テラシン(小林稔侍)とはかつて、かつて映画の撮影所で働く仲間だった。テラシンの映画館で昔の映画を観ながら、若き日の自分を思い出す――。ゴウ(菅田将暉)は映画監督を夢見る助監督で、映写技師のテラシン(野田洋次郎)やスター女優の園子(北川景子)、撮影所近くにある食堂の看板娘・淑子(永野芽都)らに囲まれて懸命に日々を生きていた。やがて夢をつかみ、監督デビューが決まる。しかし撮影初日にゴウ自身が大怪我を負ってしまう。