ジャック・アントノフ(Photo by Erik Tanner for Rolling Stone)

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現代最高峰のヒットメイカー、ジャック・アントノフが自身のソロ名義=ブリーチャーズの3rdアルバム『Take the Sadness Out of Saturday Night』をリリース。同郷ニュージャージー州のブルース・スプリングスティーンも参加した本作の制作背景、紆余曲折のキャリア、独自のプロデュース論を語ったロングインタビューをお届けする。

ジャック・アントノフは普段から他人との握手を嫌い、飛行機のシートも自分で消毒してから座るような極度の潔癖症だった。だからコロナ禍でも、そう慌てることはなかった。「問題ないよ。いつも備えは十分だったからね」と彼は言う。ソングライター兼プロデューサー兼バンドのフロントマンでもある彼は、未知のウイルスにも怯えることなく、この一年はニュージャージーに住む両親と過ごしたり、もうお馴染みとなったテイラー・スウィフト、セイント・ヴィンセント、ラナ・デル・レイ、ロードら才能豊かなスーパーウーマンたちとの音楽作りに取り組んできた。それと並行して、自身が率いるブリーチャーズの3rdアルバム『Take the Sadness Out of Saturday Night』も仕上げ段階に入っている。

「僕の仕事を細かく見ていくと、皆が思うほど大変でもない。ただハイリスク・ハイリターン的に、いくつかの仕事に集中しているだけさ」と本人は言うが、彼の名前は間違いなくあちらこちらで見かける。例えば急成長中のオリヴィア・ロドリゴの楽曲は、実際にアントノフと直接コラボレーションした訳ではないが(ただし、スウィフト=アントノフによる「New Years Day」のピアノ・リフを挿入した曲はある)、まるでアントノフの作品のように聴こえる。アントノフ作品の特徴を表現するのは、思いのほか難しい。彼は自身も認めるように、80年代スタイルのシンセを多用する。しかし、さまざまなコラボレーターたちとの最近の作品では、オーガニックな楽器を用いた生演奏サウンドへと回帰している(彼は、自身に付けられた「マキシマリスト」というレッテルを笑い飛ばす。実際に、ロードの「Liability」やスウィフトの「The Archer」にその呼び名は到底当てはまらない)。

2021年7月30日にリリースされるブリーチャーズの『Take the Sadness Out of Saturday Night』には、ザ・シンズ風なアコースティック・ポップの「45」から、Eストリート・バンドによる熱狂的な路上ライブを彷彿させる「How Dare You Want More」まで幅広い。ゆったりとした感じのシンセロック・アンセム「Chinatown」には、アントノフの憧れのヒーローで、今は友人となったブルース・スプリングスティーンがコーラスに加わっているが、アルバム全体の雰囲気にぴったりマッチしている。

ニュージャージー州バーゲン郡ののどかな環境で育ったアントノフは、アウトラインというパンクバンドでプレイし、フォークロックバンドのスティール・トレインではフロントマンを務めた。さらにfun.に参加し、バンドのスマッシュヒットとなった「We Are Young」の作曲も担当した(ただし彼曰く、メインの役割ではなかったという)。そして彼は、ブリーチャーズを立ち上げた(いわゆるワンマンバンドで、ニューアルバムでは彼のツアーミュージシャンがプレイしている)。ソングライター兼プロデューサーとしてヒットメイカーを目指した彼だが、意外に早く目標は達せられることとなる。

2021年5月初旬の2日間に渡り、アントノフはエレクトリック・レディー・スタジオの屋上で、自身の類まれなるキャリアについて語ってくれた。彼の腕には、赤ペンのインクが無数に付いていた。彼は、私書箱宛てに届いたファンからの4000通の返信用封筒にブリーチャーズのインフォメーションを封入する作業を、数時間かけて行なっていたのだ。常に愛用している特大のデザイナー眼鏡も、やや歪んでいた。

ーニューアルバムはどのようにスタートしたのでしょうか?

ジャック・アントノフ:曲は、長い時間をかけて書いた。初めは、ちょうど彼女(レナ・ダナム)と別れた直後の暗く沈んでいる時期で、どん底の状態だった。でも一筋の光が見えて前が開けた時というのは、いい曲が書けるチャンスでもある。作った曲の中にも、絶望感が漂っている。これは「ニュージャージーから出てきた時の感覚と同じじゃないか」と気づいた。別の人生を切り開こうと必死だった頃だ。

そうやってアルバムのフレームワークができあがったのさ。その後、新型コロナウイルスのパンデミックという信じられない事態が起きた。まるでアルバムの最後を飾る楽曲のようだった。僕の曲作りというのは、新たな境地の開拓を夢見るようなものだからね。初めて、生きるためのエネルギーについて考えさせられた。久しぶりに、何千という観客の前でプレイしたいと夢見ていた少年時代に戻った気がしたよ。そういうエネルギーは、実際には存在しないところで生まれるものだ。だから僕は、ツアーメンバーをスタジオへ集めた。ある意味、スタジオ内でツアーを再現したのさ。

ー最初にどの曲が完成しましたか?

アントノフ:「Dont Go Dark」だった。文字通り、関係の終わりをテーマにしている。お気に入りの曲のひとつだ。ラナ(・デル・レイ)が手伝ってくれた。”Run, run ,run, run with the wild”と歌う僕に、彼女が”Do what you want”と応える。もしもフィルムに収めていたら、ものすごくいい映像になっていただろうね。「素晴らしくダイナミックなコーラスだ」と思った。それで彼女も、作曲者にクレジットされているという訳さ。

ーテイラー・スウィフトと「Getaway Car」のサビを短時間で作った時の様子は、まさしく映像に収められています。コラボレーターとのそういった瞬間は、よくあることでしょうか?

アントノフ:曲作りのあんな奇跡の瞬間が録画されていたなんて人生初だ。曲の全体像を流出させるなんてレアなことさ。このサビのように、あれこれいじったりシャウトしたりしながら、「ああ、いいね! 何が起きたんだ? こんなことってあるのか?」という感じで進んでいくんだ。まるで映画のようだね。

ブルース・スプリングスティーンとの交流

ーアルバムの冒頭を飾る「91」は、どのように作られたのでしょうか?

アントノフ:僕にとって曲作りは魅力的だ。人は無力な存在だからこそ面白い。時々頭の中で「嫌な感じだ。こんな感覚は好きじゃない。これを曲にしてみよう」と考えるんだ。だから「91」は、ある意味で僕の典型的な楽曲だといえる。母親、別れた彼女、僕の将来などを並べて切り貼りして作った。当初は「Mother Ex-Lover」というタイトルだったんだが、紙に書いてみると、「これは問題の多いタイトルだ」と気づいたのさ(笑)。だから「91」にした。アルバムの中でも好きな曲のひとつだ。それから大好きなゼイディー・スミス(イギリスの作家)が、全体的な構成を整える助けになってくれた。

ーつまり、ゼイディー・スミスが直接あなたの曲作りを手伝ったのでしょうか、それとも彼女の作品を読んで参考にしたということでしょうか?

アントノフ:僕の作った歌詞を彼女へ送って、彼女が構成を見てくれたんだ。音楽関係以外の人と仕事をするのは初めてのことだったから、素晴らしい経験だったよ。この曲には、さらに面白いストーリーがある。僕がカリフォルニアのスタジオでザ・チックスのプロデュースをしていた時、隣の部屋でニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズもレコーディングしていたんだ。僕は「91」を(バッド・シーズの)ウォーレン・エリスに聴かせると、その場で彼が曲に合わせてバイオリンを弾き始めたのさ。そして曲の最後のピースは、セイント・ヴィンセントことアニー・クラークだ。彼女は曲にストリングをアレンジしてくれた。僕が特にリスペクトする人たちに支えられてできあがった楽曲だと思っている。

ーゼイディー・スミスとは、どういった経緯で友人になったのでしょうか?

アントノフ:覚えていないな。彼女とは、この辺りの街角で偶然会ったのが最後だと思う。彼女が僕のレコーディングしていたスタジオへ遊びに来てくれた。彼女は僕の曲を聴きながらメロディーを書き留めていたが、それが完璧だった。僕がリスペクトし、心から信頼しているひと握りの人たちからもらえる意見は率直で、シニカルでもない。アーティストとして最悪なのは、鏡に向かって叫んでいる自分自身へ向けた批判を、こちらへ向けてくる人々の存在だ。そんな人との会話は支離滅裂で成り立たない。アーティストとして、とても危険な状況だ。音楽作品が、同じようにめちゃくちゃにされているのをよく見かける。自分自身の作品に対する思いを、こちらの作品への辛辣な批判としてぶつけてくる人もいるんだ。

ーその他に、あなたに対して前向きなフィードバックを与えてくれる人たちはいますか?

アントノフ:最高の音楽作品というのは、信念を持った少数の人たちによって作られるもの。僕の場合は、僕とマネージャーとA&R担当だった。A&R担当だった彼はもう僕のレーベルには所属していないが、僕にとって身近な人間だ。それから僕の家族と、ラナ(・デル・レイ)のようなアーティストも僕のグループの一員だ。僕はエラ(・イェリッチ・オコナー、ロードの本名)とも多く共作しているし、もちろんテイラー(・スウィフト)ともコラボしている。

ブルース(・スプリングスティーン)は、僕のグループの重要な一員だ。つい先日も2人でドライブしながら、僕のアルバムを一緒に聴いたよ。世間の誰にも受けるアルバムを作りたければ、僕は世界中の全員とコラボするだろう。でも僕は、自分の好きな人たちのためだけに作品を作りたい。そういう人たちのためにプレイしているんだ。

ー周囲の人たちからは、どのようなフィードバックを得られているのでしょうか?

アントノフ:エンドレスさ。僕は「91」をアルバムのオープニングにすべきかどうか、全く確信が持てなかった。でもブルースは「いや、そうすべきだ」という感じだった。以前はテイラーが「I Wanna Get Better」をシングルとして強く推してくれた。彼女には(2014年に)ブリーチャーズの1stアルバムの全曲を聴いてもらったんだ。あのとき、僕としては「Rollercoaster」を1stシングルにしようかと思っていた。今となっては、「I Wanna Get Better」を選んでよかったよ。「Rollercoaster」をシングルにするのは、あまりにも安易過ぎるアイディアだった。

「I Wanna Get Better」は、人生に起きたことを3分間に凝縮したんだ。僕はテイラーを本当にリスペクトしているから、彼女のアドバイスを聞き入れた。結果として、世界中の人々が共感してくれた。それから母親からのアドバイスも役に立つね。

ー「Chinatown」にはブルース・スプリングスティーンも参加しています。彼や彼の妻のパティ・スキャルファとはかなり親しいようですが、夫妻との関係はいかがでしょうか? パティの作品をサポートするという話も耳にしました。

アントノフ:パティともコラボした。彼らはアーティストとして本当に大切な人たちだ。同時に、人間としても素晴らしい。彼らは相手を尊重してくれる。アーティストとしても人としても自己を頂点まで高めるには、最も誠実な人間になることだ。多くのものを生み出してきた彼らと一緒にいると、とても楽しい。

ある時、彼らの家に遊びに行った。それぞれが自分の曲をプレイする中で、僕は「Chinatown」の初期バージョンを披露した。すると「スタジオに入ろう」ということになり、全員が「Chinatown」に合わせて歌ったのさ。もしも僕が「ブルースとの共作を作りたい」と最初から考えて作っていたら、きっと上手くいかなかっただろう。意外だったのは、その後の展開がとんとん拍子に進んだことだった。彼が入って来て、いい意味でぶち壊してくれた。でも、まるでバンドの一員である友人が歌っているような感じがした。僕の友だちが僕の歌を歌っている、という点が特別な部分だ。彼とは一緒に出かけたりジョークを言い合う仲だが、ジョークを言いながらもブルースは、人生や音楽について素晴らしい話をいろいろしてくれた。そして今の彼は、昔よりもすごいんだ。最近の何枚かのアルバムなんて、特に見事な作品だと思う。

ユダヤの血、プロデューサーとしての変化

ー「How Dare You Want More」には、コアなメッセージが込められているように聴こえます。多くの罪悪感が込められているようです。

アントノフ:”Be careful, dont tempt the evil eye. Dont try to have too good a life.”(気をつけろ、邪眼に魅入られるな/身の程知らずな生活を夢見るな)という感じだね。素晴らしい人生、素晴らしい家族、素晴らしい愛に恵まれたい、と望む僕の心の声だ。正に”how dare you want more”(これ以上望むとは何ごとだ)ということさ。

ー邪眼に魅入られるという考え方は、東欧のユダヤ人にも伝わっています。

アントノフ:ホロコースト。精神的に落ち込むよ。僕にもユダヤの血が流れている。転落へのくだらない道筋だ。自分の祖先について、「私たちはこんなひどい経験をしてきた。だから音楽でも何でも、あなたが望む道を進んでほしい」などと言われたら、なおさらそう思う。僕の2世代前は、殺されずに生き延びることが人生における大成功だった。だから生き延びられなかった人々のために、がんばるんだ。でも付け上がってはいけない。

ー最近は、あなた自身の作品もコラボレーター向けの作品も、よりオーガニックになっているように感じます。

アントノフ:そうだね、間違いない。違った表現や違ったものが出てくるからね。5年前の僕は、サンプリングを切り貼りしてマルチメディアPCで流すばかりだった。そんなやり方は、もう2年前から押し入れの奥にしまってある。気持ちを同じにする人が集まることで、僕が上手くやっていけるグルーヴが形成できるのだと思う。

何かを作り出す時には、欲するものがはっきりと見えていない状態の中でこそ、自分の価値が最も発揮される。例えば、ニュージャージー・サウンドに僕の方法論をミックスして、バンドで盛り上げて何かを生み出す感じだ。

僕もラナもテイラーも、それぞれがイメージを共有できた。ラナの作品もテイラーの『folklore』も、ブリーチャーズの今回のアルバムと全く異なるオーガニックの効果が出ている。でもどのプロジェクトも、「他の誰もできないようなことを始めよう。とにかく集まってプレイしよう」というようなところからスタートしているんだ。

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ーテイラー・スウィフトの作品をプロデュースするまで、あなたはプロデューサーになれないと言われていたというのは本当でしょうか? 映画監督を目指す脚本家のような感じですね。

アントノフ:テイラーの「Out of the Woods」(2014年)には全身全霊で臨んだ。何か大きな制作の仕事をしたいと思っていたところなので、ちょうどいいタイミングだった。彼女からのリアクションは、「リリースが待ち遠しいわ」という感じだった。僕は「それだけ?」と思ったが、彼女は「そうよ。パーフェクト」と言ってくれた。

それから突如、プロデュースの仕事が増えた。喜ばしいと同時に腹立たしくも感じたよ。なぜ自分がプロデュースの仕事と距離を置いていたかがはっきりしたからね。みんなまるで悪徳弁護士のようだ。お前は何を聴いているのか、という感じさ。僕の過去の作品が急に売れ出すなんてことが、何度も繰り返された。奴らが僕の楽曲を初めて聴いた時の評価を聞かせてやりたいよ。

10代の記憶、これまでの音楽遍歴

ーあなたが女性アーティストとしか組まないという意味ではないですよね。あなたにとって女性アーティストがますます重要な存在になっているとしても、全ての男性ミュージシャンに当てはまる訳ではありません。

アントノフ:そう、違う。僕は女の子受けするロックが嫌いだ。青春時代を過ごした90年代は、フィオナ・アップルとビョークが全盛だった。僕はスマッシング・パンプキンズが好きだ。でも彼らにはマッチョさを感じなかった。スタジオでもこの手の議論をよくしてきたが、最終的に「マッチョ」と「タフ」の違いだという結論に行き着いたのさ。ある面は魅惑的だが、他方では不快だ。タフは素晴らしいが、マッチョはよくない。フリートウッド・マックはタフで、キッスはマッチョだ。

ー当時あなたは、ニューヨークのラジオ局Z100をよく聴いていたと思います。ポップとオルタナティブを融合したようなラジオ局でした。

アントノフ:メリッサ・エスリッジはポップな曲でヒットした。スヌープ(・ドッグ)もポップのヒットを飛ばし、グリーン・デイもポップな曲で売れた。そしてニルヴァーナは、ポップのラジオ番組で流された。スマッシング・パンプキンズ、ドクター・ドレー、トード・ザ・ウェット・スプロケット、ランシド。でも90年代の終わりにはラップ・メタルが登場した。マッチョ、マッチョ、マッチョ。タフはどこかへ行ってしまったよね? だからその頃の僕は、パンクやハードコアに走った。ニュージャージーのシーンは進んでいたのさ。10代半ばから後半にかけての時期は、迷える子羊のようなものだ。でも僕の場合は、ノーム・チョムスキーを愛読するようなビーガンたちを見習って、本当によかったと思う。僕はP&Gによる動物実験について両親に噛み付くような子どもだったんだ。


Photo by Erik Tanner for Rolling Stone

ーティーンエイジャーの頃のトリップ経験について聞かせてください。

アントノフ:僕が18歳の時、妹が(ガンで)亡くなった。それから僕はツアーに出た。家族が死んで、人生がバラバラになりそうだった。家にもほとんど連絡しなかったが、レコード会社と契約できた。家族は「好きに生きなさい」という感じだったが、こんな状況では不条理に聞こえた。18、19歳の頃、バンドのメンバーとバンに乗ってツアーに出た。何をやっても楽しかったし、音楽にどっぷりのめり込んだ。友だちの中にはドラッグをやる奴もいた。

僕は友だちに勧められて、アシッドとマッシュルームを何度か試した。妹を亡くしたショックを引きずったまま旅に出た子どもにとって、最もやってはいけない行為だ。大失敗だったよ。ひどい状態に陥って、まともになるまでにかなり長い時間がかかった。今では理由もはっきりわかる。僕は悲しみの初期段階にいたんだ。そんな状態の人間が麻薬に手を出してはいけない。しかも今の時代のマッシュルームとは違うしね。友だちが持って来た麻薬を煮て食べたり、お茶にして飲んだ。たぶん過剰摂取だったと思う。酷い状態だったので、病院へ行って医者に事情を話した。「もう元通りには戻れない」と思った。

ー医者には何と言われましたか?

アントノフ:「統合失調症を引き起こすかもしれない」と言われた。本当に怖くて泣きそうだったよ。僕にはたくさんの夢があり、家族は大きな喪失感を味わったばかりだった。自分の人生を台無しにするところだったよ。自分ではコントロールできない経験をしたことで、今では作曲する上での試金石になったと思う。それまでは、2カ月も家を空けたことなどなかった。本当によくなかった。こうして話すだけで、酷い感覚が蘇ってくる。だから、無理に精神を高揚させるようなことはしないようにしているのさ。

ースティール・トレインが活動終了し、fun.が活動休止するなどさまざまな難局を経験しながら、あなたは音楽のプロとしての自信を失わなかったように見えます。

アントノフ:それぞれの年代で、人によって経験もさまざまだ。18歳になって同級生が大学へ進む中、自分は小さいながらもアルバムの契約を取り付けた。もう王様になった気分さ。ところが21歳で周囲の友だちが将来設計を考え始める中で、僕はバンの中で麻薬をやっていた。完全に負け犬だ。そして25歳になって皆が「人生に行き詰まった」と感じる一方で、麻薬を吸っていた僕の人生が、突然上向き出した。自活できないから引越しもできず、音楽で生計を立てて両親の家から出るなんて生活を描くこともできなかった。27歳になるまで毎日が手探り状態だった。アーティストを目指す過程で経験する妄想のようなものだ、と思っている。僕の場合、もしも実家暮らしを続けて仲間内から人生の敗者だと思われたなら、それが僕の人生だった。

ースティール・トレイン時代の楽曲「Better Love」では、学生時代に付き合っていたスカーレット・ヨハンソンをファーストネームで呼んでいます。彼女は当時既に有名人で、誰もがスカーレットが何者か知っていました。わざわざ隠すこともないような気がしますが、何か意図があったのでしょうか?

アントノフ:自分でも理解できないくらいナイーブな時期だったと思う。たぶん、全部を明からさまにして炎上させたいと思う自分がいたのだろう。正直に言って、名前を入れたいと考えていた自分を理解できない。

ーたぶん、気を引きたかったのではないでしょうか?

アントノフ:たぶんだって? たぶん、僕は関係を断とうとしていた。当時は19歳でシュールな時期だ。あのアルバムの楽曲は超具体的な内容だった。死をテーマにしたり、聴いていて不愉快な曲もあった。魅力的な曲を集めたアルバムとは言えないな。

ロードやテイラーとの共同作業

ーあなたの私生活上のできごと(アントノフとロードとの噂)を理論的に説明しようとしたパワーポイント資料が、ネット上に出回っています。自分の私生活の詳細を知っているなどと主張する人々に対しては、どう思いますか?

アントノフ:僕の音楽を聴いていない人たちだと思うよ。いわゆるゴシップに飛びつくオーディエンスもいるだろうが、それは僕のファンではない。ネットに出回っている僕に関する理論がなぜくだらないかは、5分で論破できる。でもそれより、すぐに仕事へ戻るよ。

ーバークレイズ・センターでのロードのステージにあなたがゲスト出演した時、ネット上では再び騒ぎ出すライターもいました。

アントノフ:僕らは1曲共演した。エラと僕とはいい友人関係にあるし、クリエイティブな関係を築いている。「あなたはナイスガイでないと書かれた落書きを見ました。コメントはありますか?」とか、「海の底には、共食いする半魚人の住むコロニーがありました。彼ら曰く、あなたはゴミ箱で食べ物をあさっているとのことです。コメントはありますか?」といった感じかな(笑)。

ーその通りですね。音楽の話に戻ると、ロードの『Melodrama』は、あなたが初めて他のアーティストのアルバム全体に関わった作品でした。この経験から何か得るものはあったでしょうか。

アントノフ:他のアーティストのアルバム全部に関わるのは初めての経験だった。いまでは僕の得意とするところだ。最近では、他のアーティストと僕の長所を活かした仕事ができている。テイラーもエラも、こちらを信じて任せてくれるタイプの人間でよかった。なにせ当時の僕には確固とした実績がなかったからね。

『Melodrama』では、僕とアーティストが共に自分たちの能力を確かめながら作業を進めていった。エラは非常に魅力的な立場にいた。彼女の2ndアルバムは大ヒット作であり傑作だ。1stアルバムがヒットした後でプレッシャーが高まる状況だったけど、彼女は自分の方向性に対する明確なビジョンを持っていたし、僕はプロデューサーとしての自分を発見するきっかけになった。だから、2人の才能を発揮できる実感があった。この作品に関わらなければ、今の僕はなかったと思う。

ー『Melodrama』中の楽曲「Liability」のレコーディングには、かなり時間をかけたと聞きました。

アントノフ:その通り。ヴォーカルとピアノだけの楽曲にすると決めたら、どちらもパーフェクトに仕上げなければならない。どんなに時間をかけても、満足の行くまでやりたいんだ。ヴォーカルが味気なくドライに感じたり、少しリバーブをかけたら寂しい感じになってしまったり、グランドピアノを使ったらサウンドがシリアスになり過ぎたりした。録音がローファイ過ぎると、曲の美しさや感情を無理矢理出そうとしている感じがする。バランスを取るのが本当に難しい。

ー「Green Light」の場合はいかがでしたか?

アントノフ:こちらも絶妙なバランスが必要で、あらゆる工夫をした。「オーケー、僕にちゃんとストーリーを聞いて欲しいんだな。それとも僕にバック転でもして欲しいのか?」という感じで、とてもスリリングな経験だった。良くも悪くもならない。すべきことが多かったが、何をすべきかが明確だった。仕上げるべき曲がいくつあるかは関係ない。取り組んでいる曲が自分に何を求めてくるかが重要なのさ。

ーテイラー・スウィフト『folklore』の成功の大きさは、驚きだったでしょうか?

アントノフ:レベルの高さに驚いたね。あの作品は素晴らしいと思った。アーロン(・デスナー)との曲もよかったし、僕がテイラーと作った曲もよかった。

彼女のファンにも響いたと思う。受けるかどうかはわからなかった。彼女は「とにかくやってみましょう」という感じで何度もやり直したし、僕も彼女のアルゴリズムに集中した。「彼女自身が満足のいく作品を作ることができれば、気に入ってくれるファンもきっといる」と僕は確信していた。僕がブリーチャーズで経験した状況と同じだ。万人受けする曲を作ろうとは思っていない。それぞれの街に1万人いるか、100万人いるかは関係ない。何よりも重要なのは、自分のファンを獲得することだ。そうすれば、誰からも文句の出ないくらいにビッグになれる。fun.がどれほどビッグだったか覚えているかい? 僕に質問しようとしなかったね。結局のところ、自分が表現しようとすることを全て会話に組み込むのは難しいということさ。


2021年3月のグラミー賞授賞式でパフォーマンスしたジャック・アントノフ、アーロン・デスナー、テイラー・スウィフト(TAS Rights Management 2021/Getty Images)

ー『Reputation』で初めてテイラーと共作しました。事前に彼女へ楽曲を送っていたそうですね。当時の経験から何を学んだでしょうか?

アントノフ:「彼女とはこういうやり方もできるんだ」と認識した。彼女とのクリエイティブな関係は、果てしなく広がる可能性がある。僕がこういう関係性を築ける人間は、そう多くない。特にクリエイティブな関係だ。しかも明らかにビッグな関係といえる。

ー『Reputation』は素晴らしいアルバムです。本当に過小評価されている作品なのか、それとも少なくとも最初のうちだけそうだったのでしょうか。

アントノフ:繰り返しになるが、本物のファンと、ちょっと聴きかじってコメントする人々との違いだ。カルチャー的にいろいろだし、あれこれコメントするのは簡単だ。でも僕としては好きな作品だ。振り返ってみてもいい作品だと思う。

「有能なコラボレーター」であるために

ーラナ・デル・レイとの共同作業はいかがでしたか? あなたの他のコラボレーターとは全く異なる感じのアーティストだと思います。

アントノフ:全く違う。言葉で表現するのは難しいが、彼女と僕のやり方は全く異なるゾーンにある。目標へ向かうプロセスは皆それぞれだし、いろいろなことが起きるので、いちいち覚えていないことが多い。とにかく一緒に始めたら、とにかく何かをやってみることだ。でも、スタジオで成果を出す準備がこちらにできていない時は、彼女とは何も作業してはいけないことを学んだ。こちらの準備不足を彼女が悟ると、ドアが閉じられてしまうからね。彼女は気分を大切にするタイプのアーティストだ。

ー「Venice Bitch」は10分近い作品です。どのようなプロセスで完成したのでしょうか?

アントノフ:もっとビートを効かせた3分間のバージョンもあった。彼女と僕の曲作りの際に、プロセスはそう重要ではない。成り行き任せだ。彼女が「ドラムだけでやってみない?」と言えば、僕は「オーケー、やってみよう。ではアウトロを長くしてみたらどうだろう」という感じだった。僕のドラムは、正に音を楽しむ感じだ。ヘッドフォンをして長い時間をかけてプレイした。僕自身も演奏に参加できて楽しかった。「ここは静かに、ここはラウドに、ここはクレイジーに、ここはラリっている感じで」という風に進めていった。ラナも、このサウンドは「美しい」とか、これは「嫌な感じ」と言いながら楽しんでいた。

ー女性アーティストとのコラボレーションが多い理由を、何度も質問されたと思います。何か新たなアイディアを得ることがあったでしょうか?

アントノフ:インタビューを受けているという以外は、何も浮かばないね。

ーおそらく最も短絡的でくだらない回答は、妹を亡くした経験のあるアーティストが……というものかもしれませんが。

アントノフ:くだらないとは思わない。ただ、幼稚な分析だとは思う。この手の質問の多くに対する答えはない。むしろ多くの不思議があり、曲作りのプロセスにとって好ましい効果はあると思う。

ー他の誰にもあるように、あなたにもエゴがない訳ではないはずで……。

アントノフ:ありがとう、ブライアン(笑)。

ーお伺いしたいのは、有能なコラボレーターであるために自分を抑えて、パフォーマーとしてのエゴをどのようにやり過ごしているか、ということです。

アントノフ:曲作りが上手く進んでいる時は、自己を意識することはまずない。よくある誤解だと思う。次の曲がいつ来るか待たされることが多く、エゴを出すことによって対処してきたアーティストによく見られるのだと思う。自分を完全にコントロールできる人間などいない。ソングライターとは、毎朝目覚めて、ヒット曲が出ることを祈る人のことだ。上手く行かずにイライラすることもある。また時にはヒットして、ずっと成功が続く場合もある。1年かけても解けない難解なパズルのようだ。

ところがある日、友だちとランチしている時に、1年かけても浮かばなかったアイディアが瞬時にひらめいたりもする。僕の場合は、自分の曲を作る時も他のアーティスト向けの作品を作る時も、同じスタンスで臨んでいる。「自分はやり方をよく心得ているし、自分の一部になっている」という自信が入り混じった感じだ。それから、ものすごい好奇心も必要だ。自信と好奇心の両方を持つことができた時には、とことんまで突き詰めるべきだ。

From Rolling Stone US.


ブリーチャーズ
『Take The Sadness Out Of Saturday Night』
2021年7月30日(金)発売
試聴・購入:https://SonyMusicJapan.lnk.to/Bleachers_TSOSNRS

日本公式WEBサイト:
https://www.sonymusic.co.jp/artist/bleachers/