一見等間隔に見える列車ダイヤでも、目的地などによって「穴」がある場合が存在する(写真:Graphs/PIXTA)

たった数分の差で1本の列車を逃すと、すぐ次の列車に乗っても目的地に着くころには何倍もの遅れになってしまうというケースがある。筆者は2021年2月25日付記事「数分違いで大遅刻『乗り遅れたらヤバい列車』」でこのような路線・列車について取り上げた。これは列車の間隔が不均等だったり、ダイヤの周期が路線によってバラバラだったりするために起こることだ。

だが、ダイヤにひそむ罠はほかにもある。今回はほとんどの時間帯は一定間隔、例えば10分おきなのにたまに20分開いてしまう、あるいは一定間隔なのに実質的には使える本数が限られてしまうという「ダイヤホール」(ダイヤの穴)などと呼ばれる実態について紹介したい。

ホームが短い駅だけ40分待ちに

時刻表を見ればわかる単純な例から紹介しよう。JR総武快速線は、平日日中の東京駅の発車時刻を見るとほぼ05・15・25・35・45・55分(時間帯によっては3分程度前後する)と、列車の間隔が均等で一見わかりやすいダイヤだ。


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ところがなぜか11時台と13時台は35分発に相当する列車がすっぽり抜け、25分発を逃すと20分近く開いてしまう。ただ、13時台は39分に特急「しおさい」がある。25分発に乗り遅れたら次の快速(13時台は43分)まで18分待つか、特急料金を払って間に合わせるか、悪魔の選択を迫られる瞬間である。

また、内房線の千葉―木更津間は日中毎時3本、平均20分おきで走っているが、木更津の1つ東京寄りの駅、巌根だけは1時間に1度、40分程度間隔が開いてしまう。

これは毎時3本のうち1本が総武線から直通する15両編成の快速であるためだ。この快速が千葉―木更津間で通過するのは巌根だけ。これは同駅のホームに15両編成が停まれないからで、ラッシュ時などに運行される10両編成の京葉線直通快速は停車している。

一見すると等間隔のダイヤなのに目的地によっては一部の列車が使えないという例はほかにもある。上野発の常磐線下り快速電車は日中、毎時02分を基準に10分おき(02・12・22・32・42・52分)に発車するが、天王台と取手へ行く場合は毎時42分発の列車が使えない。

なぜ天王台と取手に行く場合は42分発の列車が使えないかというと、この列車は我孫子から成田線に直通するためだ。取手方面に行くためには我孫子で後から来る上野駅52分発の快速に乗り継ぐことになる。つまり32分発を逃すと実質20分待ちになる。

実はこれは、鉄道工学の第一人者である曽根悟・東京大学名誉教授に直接伺った例だ。曽根名誉教授は「このタイミングだけ、我孫子折り返しの常磐線各駅停車を取手へ延長できないのか」と話していた。

西武池袋線の「乗り遅れたらヤバい列車」

私鉄でもこういった例はある。西武池袋線所沢駅では、概ね10分おきに都心方面への速達列車が出ている(有料の特急を除く)。

09分発:急行 池袋行き
19分発:準急 池袋行き
25分発:準急 新木場行き
29分発:快速急行 元町・中華街行き
38分発:急行 池袋行き
49分発:急行 池袋行き
52分発:準急 池袋行き
54分発:準急 新木場行き
59分発:快速急行 元町・中華街行き

09分・19分…とほぼ10分おきのパターンを崩さず、そのうえでさらに列車を走らせていて1時間に9本を確保しており、便利そうに見える。

だが、池袋行きの準急(19分・52分)は練馬で後続の快速急行に追いつかれてしまう。また、新木場行きの準急(25分・54分)は地下鉄直通であるものの、地下鉄方面と池袋方面の乗り換え駅である練馬には後続の快速急行が先に着く。

そうすると、池袋まで最速で行ける列車は実質的に09・29・38・49・59分発と、12分発の各駅停車のみだ。19分の準急は乗り換えなしで池袋まで行けるメリットはあるものの、練馬で29分発の快速急行に追いつかれてしまうので、10分待って快速急行に乗っても結局池袋の到着時間は同じだ。つまり、09分から29分までは実質的に20分開いてしまうのだ。ということは毎時09分発の急行は「乗り遅れたらヤバイ列車」である。

ただ、毎時22分には池袋行きの有料特急「ちちぶ」がある。所沢駅で09分の急行を逃したら、29分の快速急行で遅れに甘んじるか、特急料金を払って間に合わせるかの選択を迫られることになる。

これと似た例が、常磐線の土浦―藤代間の各駅から日暮里以南へ行く場合だ。土浦駅は毎時00・14・30・45分(一部時間帯はやや異なる)に上野方面行きの列車があり、このうち00分発が特別快速、このほかは快速(取手まで普通)だ。特快は上野まで58分で結び、快速より10分以上早く着く。

だが、00分発特快の前の45分発快速は途中駅での特急通過待ちなどで足が遅い列車のため、北千住で後続の特快に追い抜かれてしまう。つまり30分発の快速を逃すと、日暮里以南へは実質的に次の特快まで30分待ちになるのと同じだ。

さらに、西武の所沢駅と違って土浦駅の場合は特急が毎時25分発なので、30分発の快速に乗り遅れても特急料金を払えば間に合う、といったことはない。ダイヤの事情はあるのだろうが、こういうところでJRの商売の下手さを感じる次第である。

ダイヤの「穴」が発生しやすい条件は?

ダイヤホールが発生しやすい路線には条件がある。同じ線路にダイヤの周期が違う路線が乗り入れている場合だ。こういった駅はJR東日本の線区でよく見つかる。例えば京葉線・武蔵野線の越中島駅、潮見駅だ。ここは各駅停車のみの停車駅で、京葉線は概ね15分おきだが、武蔵野線は20分おきだ。

平日の日中、東京から越中島・潮見へ行ける列車だけの時刻を示すと以下のようになる。

06分発:武蔵野線 府中本町行き
09分発:京葉線 海浜幕張行き
 <この間14分待ち>
23分発:京葉線 海浜幕張行き
26分発:武蔵野線 府中本町行き
 <この間14分待ち>
40分発:京葉線 蘇我行き
46分発:武蔵野線 府中本町行き
51分発:京葉線 海浜幕張行き
 <この後06分発まで15分待ち>

毎時7本、平均すれば8分35秒おきだが、平日は3分後に次の列車が出ることもあれば、1時間に3回も15分前後間隔が開き、毎時09・26・51分発を逃すと泣きを見る。土休日は幾分かマシだが、やはり12〜13分待ちになる場合がある。

また、平日の京葉線で海浜幕張より先の各駅へ行く場合は毎時4本ある蘇我行きを利用することになるが、このうち1本だけが各駅停車だ。

02分発:快速 蘇我行き
18分発:快速 蘇我行き
33分発:快速 蘇我行き
40分発:各駅停車 蘇我行き
<この後02分発快速まで22分待ち>

しかも、ほかの3本は15〜16分間隔で揃っているのに、この各駅停車だけは1本前の快速の7分後に出る。これは海浜幕張―蘇我間の列車を15分おきに揃えるためにこのようになっているのだが、つまり40分の各駅停車蘇我行きを逃すと22分も待たなければならないのだ。

埼京線・湘南新宿ラインで池袋―渋谷間などを使うときにも罠がある。埼京線は毎時9本の運転だが、池袋―渋谷間で使えるのは新宿折り返しを除いた3本のみ。新宿始発の相鉄線直通列車に乗り継ぐという方法もあるが、新宿折り返しの埼京線とは同一ホーム乗り換えではないうえ、満足な乗り継ぎ時間が確保されていないことがほとんどだ。

となると、渋谷―池袋間で実質的に使えるのは(山手線を除けば)埼京線新木場行きと湘南新宿ラインの毎時7本。だが、ここで1時間に1度はダイヤホールが発生する。

【日中の池袋駅発渋谷方面】(一部列車で時間帯により1〜3分の違いあり)
01分発:埼京線 新木場行き
09分発:湘南新宿ライン 逗子行き
19分発:埼京線 新木場行き
23分発:湘南新宿ライン 平塚行き
 <この間15分待ち>
38分発:湘南新宿ライン 逗子行き
43分発:埼京線 新木場行き
53分発:湘南新宿ライン特快 小田原行き

池袋毎時23分発の平塚行きは「乗り遅れたらヤバイ列車」だ。もちろん、待つより山手線に乗ったほうがいいだろうが、このタイミングの山手線はその前後の列車より混雑しやすい。

不均衡は混雑も招く?

また、渋谷→大宮方面だと毎時14・31・47分発を逃すとその後は15分前後待つことになる。池袋までなら山手線に乗ればいいが、その先へ行く人にとっては残念な話だ。

【日中の渋谷駅発大宮方面】
01分発:湘南新宿ライン 宇都宮行き
09分発:埼京線 川越行き
14分発:湘南新宿ライン 高崎行き
 <この間15分待ち>
29分発:埼京線 川越行き
31分発:湘南新宿ライン 宇都宮行き
 <この間13分待ち>
44分発:湘南新宿ライン 籠原行き
47分発:埼京線 川越行き
 <01分発まで14分待ち>

なぜこのような不均等な間隔になるかというと、埼京線はダイヤが20分周期なのに対して、湘南新宿ラインは15分周期だからだ。つまり、両線の周期が同じになればこのような「穴」はなくなる可能性が高い。長時間列車を待つ人が減ればホームの混雑も緩和されるだろう。

今回は列車ダイヤの不均衡の例を「ダイヤホール」という形でご紹介した。そこまで気にしないという人もいるだろうが、ダイヤが不均衡だと一部の列車が集中的に混雑したり、駅ホームの混雑が悪化したりすることにも結び付きやすい。

このようなことが起きるのは、「路線ネットワーク全体のダイヤを統括してデザインする人がいないからではないか」という指摘もあり、専門家にも話を聞くとあながち間違いではないと筆者は感じた。この「専門家の考え」については機会を改めて記したい。