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2回の優勝を獲得したアリエル・アトム

text:Matt Prior(マット・プライヤー) translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
AUTOCARの年末恒例企画、その年の1番を決めるベスト・ドライバーズカー・コンテスト(BBDC)。2度の優勝を獲得し、詳細テストでも満点の評価が与えられているのが、アリエル・アトムだ。

【画像】ベスト・ドライバーズカーの製造現場 アリエル・モーター社 アリエル・アトム4とノマドR 全74枚

そんなクルマを生み出すアリエル・モーター社も、負けじと素晴らしい会社だった。今回は、その本社へお邪魔する機会を得た。


アリエル・アトム4(英国仕様)

アリエル・モーター社を初めて訪ねる人は、気付かずに前を行き過ぎてしまうかもしれない。英国南部、サマセットのクルーカーンにオフィスはある。小さな納屋か工業施設のように見えるレンガ造りの建物、数件で構成されている場所だ。

一見すると、世界をリードするようなスポーツカーが生まれる場所には思えない。右手にサービス部門、左手に生産ラインと本社オフィス、研究開発部門や技術スタジオがある。拡張計画はあるというが、うまく組織だてられている場所に違いないのだろう。

アリエルは、何かに取り組むならキチッと仕上げる。実際に中へ入ってみると、素晴らしい場所だった。アトム4が美しく組み上げられる理由も、良く理解できる。

筆者は今回、アリエルの日常を取材しに来た。ゼネラルマネージャーを務めるトム・シーバートの仕事ぶりは、良く知っている。AUTOCARとは、何年にも及ぶ長い付き合いがある。

刺激的な彼だから、2日と同じ日はないだろうと期待したが、そんなことはないらしい。「日常的な流れがあります。今のところ。朝の7時45分にオフィスに来て、10時までEメールを確認します」

バイク好きなことがモデル製作を助けている

「それから電話の応対。お客様やビジネス関係者など。仕事の大半は人事に関することですね」。シーバートが説明する。

シーバートは数年をかけて、アリエル社を創業した祖父のサイモン・サンダースから日々の業務を受け継いできた。「わたしの仕事は、すべてを整理すること。予算や顧客との取り引きのほか、床のタイルを仲間が直すことについても」


アリエル・アトム4の製造現場

アトム社に電話をかけると、クルマの開発をともに進めるトムの兄弟、ヘンリー・シーバート・サンダースや、創業者のサイモン・サンダースが出る可能性はある。トム・シーバート本人も。

顧客との会話やメディア対応は、シーバートの仕事で一番楽しい部分だという。「長い間、適切なビジネス構造の構築に力を注いできました。スタッフを細かく管理しなくても、すべてが機能するように」

「以前は、サイダーを飲みながらクルマを作りたいと考える、男の集まりでしたね」。かつてのアリエル社の姿を、シーバートが表現する。そんな彼らが、素晴らしいクルマを作ってきた。

タイヤが2本のモデル、つまりバイクのエースは、アトム4やノマドより仕上がりが一層良い。「われわれがバイク好きであることが、モデル製作の助けになっています」

「(メカニズムなど)すべてが表に見えるので、エンジニアリングの視点では素晴らしい必要があります。つまらない部品でも」

シーバートが話を続ける。「実際に仕上がったクルマへ触れる時は興奮します。運転も好きですし、調整を加えることも好きです。最終的には、チームとしての努力の成果です」

新しいノマドの開発が進行中

「われわれの実力以上を求めているので、必要なこと。全員からアイデアを集め、サイモンとヘンリー、わたしの3名で方向性を決めていきます。自分は会社の立ち上げ当初からいるので、モデルの知識も持っていますから」

祖父のサイモン・サンダースは1996年、英国モーターショーに出展されたライトウェイト・スポーツカーのコンセプトを気に入り、アトムとして具現化させた。彼は当時、友人と2人で会社を経営していた。


アリエル・アトム4の製造現場

「わたしは子供の頃からバイクに夢中でした。クルマへの興味はそれほど」。シーバートが打ち明ける。「バイク・ショップに就職し、離れて住んでいました」

「ある日、母から電話があり、おじいさんが困っているから助けて欲しいと頼まれたんです」。祖父の友人が病気になり、当初は3か月だけ手伝う予定だったという。「それ以来、ずっとここにいるんですよ」 

2000年8月のことだった。クルマへ興味のなかった人物が、今では同社に欠かせない人物になっている。「当初は、アトム1を5台か6台作る程度の規模でした。初歩的なクルマでしたが仕上がりは良く、不思議なことに多くは日本へ輸出されています」

「その中の1台は手に入れたいと思っています。ミュージアムへ飾るために」。現在は新しいノマドの開発が進められているが、プロトタイプには至っていない。続いて、レンジエクステンダー・エンジンとバッテリーを載せたEVが続くという。

次のアリエル・アトムも、再び英国ベスト・ドライバーズカーの栄冠を掴むのだろうか。

アリエル・アトムがBBDCを獲得した理由

英国製のクルマが、AUTOCARの英国ベスト・ドライバーズカー(BBDC)に選出されることは珍しい。しかしアリエル・アトム4は、これまで2回の優勝を掴んでいる。2020年の優勝を受けて、2021年はコンテストに参加することはない。

濡れた路面に低い気温で開催された2020年のコンテストは、アトムにとって好条件とはいえなかった。運転するドライバーにとっても。しかし、最も純粋なドライビング体験を与えてくれるクルマだった。


アリエル・アトム4(英国仕様)

俊敏で動力性能に余裕があり、素晴らしくリニアで情報量豊かな操縦性を備えていた。ドライバーは運転というすべての動作に惹き込まれ、クルマの状況を正確に把握することが可能だった。

本物のドライバーズカーとして、非常に重要なカギを併せ持っている。目的に叶う類まれな能力と、クルマの状況をドライバーに伝える能力。アリエル・アトム4は、これを見事に両立させている。

アリエル・モーター社の起源

アリエルは、1870年代の自転車にまでさかのぼる。ペニー・ファージングと呼ばれる、巨大な前輪にペダルが付いていた時代の自転車だ。アリエルのものはワイヤースポークのホイールを備え、同時期の競合製品より軽く仕上がっていた。

社名は、その空気のように軽い作りから来ている。1898年にエンジンを載せたトライクを開発。1901年には四輪自転車を手掛け、2輪のバイクを1902年に発売した。しかし当初は、自転車メーカーの域を超えていなかった。


アリエル・アトム4(英国仕様)

その後は一度破産。BSAモーターサイクル社との合併を経るが、1970年にブランド名は途絶えてしまう。

自動車デザイナーで大学講師も務めていたサイモン・サンダースが、1999年にアトムを発表する際、ブランド名としてアリエルを復活させた。オリジナルは彼の学生、ニキ・スマートがデザインしたライトウェイト・スポーツカーだった。

現在のアリエルは、英国南部のクルーカーンに拠点を置く。各年代のアリエルのコレクションも進めているという。