新型コロナウイルス感染対策をめぐっては、政府も自治体も強力な規制をかけず、外出自粛や休業要請など「お願い」ベースの対応を続けてきた。なぜそれが大きな効果を発揮してきたのか。同志社大学の太田肇教授は「欧米に比べて一見弱腰なようだが、実はより強力な体制なのだ」と指摘する――。

※本稿は、太田肇『同調圧力の正体』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

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記者会見する菅義偉首相=2021年6月17日、首相官邸 - 写真=時事通信フォト

■自主的活動なのに「全員参加」の謎

「自主的活動だが全員参加が原則」。かつて日本の産業界で一世を風靡したQCサークル(※1)をはじめとする小集団活動において、社員に向けられたメッセージがこれだった。この言葉こそ、日本の組織がメンバーと向き合うスタンスを象徴的にあらわしている。それを詳しくみていこう。

※1:QCサークル 製造業などの現場における品質管理を自発的に行う活動のこと

日本の組織は共同体化しやすい。共同体化した組織を私は「共同体型組織」と呼んでいる。共同体型組織は一見するとメンバーにとってやさしい。典型的な官僚制組織のようにいきなりルールを盾にとって強制したり、取り締まったりしない。ときにはルールに違反しても見逃されることがある。

コロナ禍のもとにおける国や自治体の対応にも、そのような姿勢があらわれていた。2020年の春から夏にかけて新型コロナウィルスが世界に蔓延し、感染者が急増したとき、欧米など海外の国々は次々とロックダウンに踏み切った。そして、外出制限に違反した者には罰金を科すなど強硬な措置をとった。

それに対し日本では、緊急事態宣言を出した際にも欧米のような強制ではなく、店舗には営業の自粛を、国民にはいわゆる「三密」を避けることを要請するなど、「お願い」ベースで対処した。強硬措置をとらずとも活動を自粛し、爆発的な感染を防いだ日本人は「民度が高い」と自賛して差別的だと批判された大臣もいたものだ。

■規則はあるのになぜ最初から前面に出さないのか?

小集団活動にしてもコロナ対応にしても、イソップ童話の「北風と太陽」にたとえるなら太陽路線であり、日本は人に対してソフトで優しいという印象を与える。

しかし、それはあくまでも一面に過ぎない。裏側には組織としてのルールや権限が厳然と備わっていることを見逃してはいけない。かりにルールや権限が存在しなくても、ソフト路線が行き詰まったときにルールをつくればよい。つまり、いざとなれば強面の顔があらわれるのである。たとえていうなら「衣」の下に「鎧」をまとっているようなものだ。

だったら、なぜ最初から規則を前面に出さないのか?

その理由としてまずあげられるのは、容易に想像できるように強制力を行使しないほうが相手の反発が小さいことだ。訴訟のリスクも免れる。つまり本来は組織が担うべき責任を共同体の自助努力(当然ながらそこでも同調圧力が働く)に転嫁できるわけである。したがって権力者にとっては、可能なかぎりその行使を控えたほうが得だという計算が働く。

■「○○しなさい」ではなく「○○しましょう」という誘い文句

しかし、もっと重要な理由がある。注目したいのはリーダーの発言だ。職場で上司が部下に、学校で教師が生徒に、首長が住民に何かを働きかけるとき、日本では「◯◯しなさい」という命令調ではなく、「◯◯しましょう」といった誘いの形がとられる。それは自分と相手をある意味で対等な立場、すなわち同じ共同体のメンバーだと意識させることによって、相手からいっそう大きな貢献や譲歩を引き出せるからである。

文脈はやや異なるが、コンフリクト(争い)への対応について、組織学者のJ・G・マーチとH・A・サイモンはつぎのように述べている。少々難解なので、かみ砕いて説明しよう。

当事者の利害が根本的に対立するときは「バーゲニング」(取引)や「政治的工作」の方法が、いっぽう根っ子の部分で一致しているときは「問題解決」や「説得」の方法が適している。しかしバーゲニングや政治的工作の方法をとれば、双方の利害が対立していると認めてしまうことになる。

そうすると、組織はより有利なコントロールの手法を用いることができない。そのため組織はたいていの場合、根本的には利害が一致しているとみなして問題解決や説得の方法をとろうとする(※2)。

※2:J・G・マーチ、H・A・サイモン(土屋守章訳)『オーガニゼーションズ』ダイヤモンド社、1977年

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SARINYAPINNGAM

■共同体の一員だと自覚させれば貢献を要求できる

コンフリクトが生じているか否かにかかわらず、実際に運命共同体であること、すなわち双方の利害が一致していることを持ち出すのはたいてい組織の側、あるいは管理職、教師、親といった上位者の側である。それによって従業員、生徒、子から自発的な服従と超過的な貢献を引き出せると考えるからである。

たとえば親と子の意見が対立したとき「家族なので譲り合おう」と説得するのはたいてい親のほうで、「価値観が違うから放っておいて」というのは子のほうだ。

このように利害を共有する共同体のメンバーだという建前をとることで、組織は超過的な貢献を要求することができる。

先に述べたように小集団活動は建前上、自主的な活動とされている。そのため実質上は参加が半ば強制されているにもかかわらず、当初は勤務時間外に無報酬で行われた。

■政府や首長からの「お願い」に潜む真意

制度によって参加を強制するなら当然、勤務時間内に行わせるか、超過勤務手当を支払わなければならない。半ば日常的に行われているサービス残業や休暇の取り残しにしても、損得抜きで仕事をこなすのが当然といった空気が背景にある。いずれも会社が共同体だという前提が存在するから、受け入れられるのである。

新型コロナウィルスへの対応にしても、政府は当初から飲食店などには営業禁止などの強制措置をとらず、強制力のない休業要請という手段で臨んだ。そのため休業補償という形ではなく、協力金の支払いですませられた。また欧米に比べて感染者も死亡者も少ないにもかかわらず、地方の知事が「うちの県には来ないでほしい」とか、「帰省しないでほしい」「不要不急の外出は慎んで」と県内外の人に呼びかけた。

法律や条例ならとてもそこまで要求することはできない。さらに「自粛してください」ではなく、「自粛しましょう」と対等な立場で呼びかけたのも、同じ共同体のメンバーとして利害を共有する前提に立とうとするからである。

■「衣」の下には「鎧」がしっかり隠されている

しかし、ここでつけ加えておかなければならないことがある。前述したように、かりに圧力が通用しなかった場合、「衣」の下から「鎧」が顔を出す。その「鎧」すなわち「自主的」な強制力を担保するものはしっかりと用意されている。ただ共同体意識にうったえているだけではないのだ。

小集団活動の場合、活動に参加しなければ当然ながら人事評価に反映される。とくに日本企業では態度や意欲といった情意面がかなりのウェイトを占める。たとえ仕事の能力が高く、業績をあげていても勤勉性や協調性、忠誠心などに問題があると昇進や昇格が見送られる可能性がある。あるいは望まぬ職場へ左遷されるかもしれない。長期雇用の中では、それが社員にとって大きな不利益につながる。

したがって建前上は「自主的」であっても、実質的には全員参加になるのである。

また、かつて日本では官公庁による行政指導というあいまいな手段が頻繁に用いられたが、指導に従わなければ何らかの不利益を被るのではないかという恐れがあった。その後ろ盾があるからこそ、為政者はあえて強硬な姿勢で臨まなくてもすむのである。

■象徴的だったグローバルダイニングの訴訟

そうした「柔」と「剛」二段構えの政策が顕著にあらわれたのが、2020年の末ごろからやってきた新型コロナウィルスの第3波である。

太田肇『同調圧力の正体』(PHP新書)

いわゆる「自粛疲れ」した国民や、利益をあげなければ生き残れない飲食店の経営者は、緊急事態宣言を出しても以前のように自粛しなくなった。そこで政府は方針を転換して特別措置法と感染症法を改正し、正当な理由なく営業時間短縮や休業の命令に従わない店舗や、入院を拒む感染者には過料という罰則を科すことができるようにした。

行政としては二段構えの政策をなんとしても維持したい。そのため「衣」を破ろうとする者には「鎧」があることをみせつける必要がある。

二度目の緊急事態宣言が解除された直後の2021年3月、飲食店グループのグローバルダイニングが時短命令を出した東京都を相手に起こした損害賠償請求の訴訟は、それを強く印象づけるものだった。ほとんどの飲食店が渋々営業を自粛するか、「違反」しても行政が目こぼしできる程度にとどめていたのに対し、同社の経営者は時短営業に従わないことを自ら公表し、自粛依存の政策を真っ向から批判した。

■これは弱腰どころか強力な体制なのだ

店舗数や発言力などからみても、その社会的影響力は無視できないほど大きい。したがって行政の立場からすると「違反」を放置したら自粛している店舗に示しがつかなくなり、営業自粛の要請という手段が使えなくなる恐れがある。そのため同社に対しては、時短命令という厳しい措置に踏み切らざるをえなかったのだと推察される。

会社や役所の中でも内部告発をしたり、職場の慣行を公然と無視したりする者に対してとりわけ厳しい態度をとるのは、そうしなければ「衣」に当たる部分、すなわち共同体の同調圧力によって得られるメリットを失いかねないからだ。

要するに、共同体の圧力による自発的な協力要請と、公式組織の力による強制という二段構えの手段を備えた日本式の共同体型組織は、最初から強制に頼る欧米式の組織に比べて一見すると弱腰なようだが、実はより強力だということができる。だからこそ組織は、なんとしてもその体制を守ろうとするのである。

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太田 肇(おおた・はじめ)
同志社大学政策学部教授
1954年、兵庫県生まれ。神戸大学大学院経営学研究科修了。京都大学博士(経済学)。必要以上に同調を迫る日本の組織に反対し、「個人を尊重する組織」を専門に研究している。ライフワークは、「組織が苦手な人でも受け入れられ、自由に能力や個性を発揮できるような組織や社会をつくる」こと。著書に『「承認欲求」の呪縛』(新潮新書)をはじめ、『「ネコ型」人間の時代』(平凡社新書)『「超」働き方改革――四次元の「分ける」戦略』(ちくま新書)などがあり、海外でもさまざまな書籍が翻訳されている。近著に『同調圧力の正体』(PHP新書)がある。
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(同志社大学政策学部教授 太田 肇)