対中国で積極的な産業政策に舵を切るバイデン大統領(写真:Bloomberg)

「深刻な危機を決して無駄にしてはならない」。これは次期駐日アメリカ大使に指名される可能性が高いと報じられているラーム・エマニュエル元大統領首席補佐官がリーマンショックの際に語った言葉だが、再び同じ主張をし始めている。

バイデン政権は発足時にアメリカが対処すべき課題として、パンデミック、経済、人種問題、気候変動の4大危機を挙げたが、それ以外に米中覇権争い、社会の二極化も重要である。

バイデン政権が打ち出している経済政策「バイデノミクス」は短期的な問題解決にとどまらない。「より良く再建する(Build Back Better)」を掲げ、21世紀にアメリカが国際競争力を保持することを目指す。危機をテコに政策の大転換に動き出しており、その中心となるのが「産業政策」だ。

タブー視されてきた「産業政策」の復活

アメリカでは、企業の勝者と敗者を判断する役割は市場が担うべきだと考えられ、政府が介入することに抵抗感がある。したがって「産業政策」は長年、タブー視されてきた。この点、欧州や日本などと異なる。

ただし、20世紀には「産業政策」という言葉は使わないものの、実質、政府は頻繁に産業政策を行った。いずれの場合もその導入を後押ししたのは経済や外交における脅威であり、危機意識の高まりであった。大恐慌から第二次世界大戦までのフランクリン・ルーズベルト大統領(Franklin Delano Roosevelt、FDR)や、戦後の対ソ連冷戦時代初期の大統領は、産業育成・支援を行った。

第二次世界大戦での勝利に加え、現在のアメリカの繁栄の礎を築いたのは「産業政策」であったともいえる。インターネット、ジェット機、バイオ産業など世界経済をリードするアメリカ企業とそれを支える人材は、政府による支援を受けていた。

ただ、過去約40年は、「産業政策」がアメリカ政治の表舞台から姿を消した。1970年代に起きたスタグフレーションの解決策として1980年代に新自由主義が台頭して以降、超党派で小さな政府を掲げる時代に入った。共和党のロナルド・レーガン大統領は1981年の就任演説で「政府は解決をもたらさず、むしろ政府こそ問題」と語った。

小さな政府を掲げる共和党に対し、民主党は有効的な代替策を打ち出すことができなかった。民主党のビル・クリントン大統領も1996年の一般教書演説で「大きな政府の時代は終わった」と訴え、経済政策では北米自由貿易協定(NAFTA)発効など新自由主義を推進した。その後、アメリカが世界経済で指導的役割を担う中、歴代政権では新自由主義が維持された。

しかし、今日では外敵脅威、特に中国脅威論が、アメリカの産業政策復活を後押ししている。第二次世界大戦後、75年以上続いた「パクス・アメリカーナ」は米中ハイテク冷戦により存続が危ぶまれているからだ。自国にハッカー集団をかくまうロシアによるサイバー攻撃の脅威も、産業政策導入の機運を高めている。

「アメリカに残された時間は5年未満」

アントニー・ブリンケン国務長官は、「テクノ民主主義」あるいは「テクノ独裁主義」のいずれかが、今後数十年間の世界を形作ると主張する。前者はアメリカがリードする世界、後者は中国がリードする世界だ。「テクノ独裁主義」が覇権を握る世界では個人情報も中国政府が入手し監視する、民主主義は蝕まれアメリカ国民の生活をも直撃する、というわけだ。

2021年3月、NSCAI(人工知能に関する国家安全保障委員会)はバイデン大統領とアメリカ議会に最終報告書を提出。報告書は、AI(人工知能)分野でアメリカは中国に勝つ準備ができていないと警鐘を鳴らした。政府が早期に対策を講じなければ、AIに限らず量子計算など中長期的に経済を牽引するはずのさまざまな新興技術で、アメリカ産業界は何世代にもわたって遅れを取り戻せないとしている。NSCAI委員長のエリック・シュミット元グーグル最高経営責任者は、アメリカに残された対策期間は5年未満だと主張した。

21世紀の戦争は、戦車や戦闘機の数ではなく、技術のプラットフォームを握るか否かで競われる。これを制覇した国が経済そして軍事で世界をリードする。そのためには国内で強力なイノベーションの仕組みを維持することが不可欠だ。

だが、この点でアメリカは危機的な状況にあると、シンクタンク・情報技術イノベーション財団(ITIF)のデビッド・アトキンソン氏はいう。同氏が提唱する「成功するイノベーショントライアングル」を一国で創造するには、(1)ビジネス環境、(2)規制環境、(3)イノベーション政策の3点すべてが揃わなければならないのだという。アメリカはビジネス環境と規制環境の2点では満足できる状況にあるが、最後のイノベーション政策については政府による大幅なテコ入れが必要だと説く。

共和党も対中国で産業政策を支持

大きな政府へのシフトはリーマンショックからの復興をリードしたバラク・オバマ政権時代から徐々に見られ、バイデン政権に始まったことではない。民主党のクリントン政権時代に新自由主義を掲げて幅を利かした民主党指導者会議(DLC)はオバマ政権時代に解体された。

民主党に限らず、共和党でもパラダイムシフトが見られる。従来の自由経済を掲げる勢力は衰え、2016年そして2020年に財政拡張や保護主義を唱えたドナルド・トランプ氏が党の指名を獲得したのも時代の変化を反映しているといえよう。

従来、小さな政府を掲げてきた共和党が産業政策への支持を強めている背景にも、安全保障面での懸念がある。軍民融合の中国が新興技術でリードすれば、経済面だけでなく、安全保障面でもアメリカによって脅威となる。前述のNSCAIもトランプ政権時代に共和党が上下両院で多数派を握っていた議会によって設立されたものだ。

ピュー研究所によると国民の67%が中国に対しネガティブな見方をしている(2021年2月調査)。またギャラップ社によればトランプ政権においても政府の役割拡大を望む国民は54%にも上っていた(2020年8〜9月調査)。大きな政府は時代の潮流のようだ。

一般的には、バイデン大統領は民主党穏健派の大統領と位置付けられているが、過去を見ると時代の変化に合わせて支持する政策を変えてきた政治家である。今は「大きな政府」の波にうまく乗ろうとしているにすぎない。だが、その波は大きく、中長期的にアメリカの競争力を高め、社会を変革する可能性がある。

短期的利益を追求せざるをえない民間に任せていては将来、アメリカ経済を支える技術が開発されないおそれがあるため、政府による市場介入はある程度、重要だと考えられる。

市場任せにしたことの失敗例が次世代通信技術の5Gや半導体の製造だ。政権入りしているハーバード大学のマーク・ウー教授は国家資本主義の中国を「China Inc.」と称する。中国に対し、アメリカ政府も産業界を強力に支えなければ、ハイテク冷戦に負けてしまうとの危機意識は有識者の間で広がっている。

バイデン政権もそれを理解し、ハイテク冷戦の戦時体制を整え始めており、大統領のトップダウンによる「産業政策」導入に動き出している。まずは中国に勝つための計画および戦略の策定、そして議会を通じた資金確保に動き出した。

「大きな政府」でFDRを目指すバイデン大統領

6月初旬、バイデン政権は100日間かけて実施したサプライチェーン検証報告書を一般公開。中国対策法案やインフラ整備法案など巨額投資も、政権と議会で検討されている。いずれも国民には人気が高く、成立の可能性が高い。1957年にソ連が人類初の人工衛星「スプートニク」の打ち上げに成功したのをきっかけにアメリカ政府は産業政策を本格化した。半世紀以上経過した今日、中国版「スプートニク・ショック」がアメリカで起きつつあるようだ。

2021年1月20日、バイデン大統領就任式が行われている最中、執務机の向かい側に前述のFDRの肖像画が新たにかけられた。FDRは危機克服のために大きな政府、産業政策導入に舵を切り、「変革をもたらした」大統領として知られる。毎日、その肖像画を眺めながら仕事するバイデン大統領も、時代の潮流に乗りFDRと同様にアメリカ社会に変革をもたらす大統領として歴史に名を刻みたいと願っているのだろう。