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尽力とは後手後手になる宿命!

本日も愚かで滑稽な情報が飛び込んでまいりました。あるのかないのかすらいまだハッキリしない東京五輪・パラリンピックのため、使うんだか使わないんだかわからないのに用意された表彰式アイテム(表彰台・表彰式で流れる音楽・エスコートをするボランティアらの衣装・メダルトレイ)がお披露目されたのです!ワー!ワーワー!パチパチパチパチ!



東京五輪開会式まで50日と迫った6月3日夕刻。無観客の有明アリーナでお披露目式はひそやかに行なわれました(※大々的に告知すると荒らされそうなのでひそやかにやった説)。まず会の冒頭、挨拶に立つ橋本聖子組織委員会会長は「あと50日でこの舞台に皆様をお迎えして大会を開催できるところまできた」「ソフトボールのオーストラリア選手団も来日してくれた」「海外からの足音が聞こえる」と力強い言葉を述べ、開催への意欲と表彰式アイテムへの期待感を語ります。

もちろん心ないインターネットでは「できないだろ」「そんな足音は聞こえない」「エスパーか」などの声も上がりますが、橋本会長の視線は未来をまっすぐ見つめています。あまりに真っ直ぐ見つめているので「視線の先に原稿でも置いてあるのかな?」と思ってしまうほど、真っ直ぐに未来を見つめています。この難局のなかでも貫かれる強い意志は、さすが五輪の申し子です。最終的に東京五輪が「ソフトボール開幕戦兼決勝戦・日本VSオーストラリア」だけになったとしても、この会長は揺らがないだろう…改めて頼もしく思います。

↓橋本会長は「中止はない、再延期もできない」と力強い意志で、開催へひた走ります!

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橋本会長につづいて挨拶に立つP&Gジャパンのスタニスラブ・ベセラ社長は、P&G協力のもとで制作された、史上初となる「使用済プラスチック容器を再利用した表彰台」について誇らしげに紹介し、持続可能な社会へと力強い意志を示します。壇上にはゲストアスリートとして、かつてメダルセレモニーを体験した村田諒太さん、岩崎恭子さん、河合純一さん、大日方邦子さんらが登場し、表彰台のお披露目をいまや遅しと待っています。

司会をつとめる松岡修造さんは、岩崎恭子さんの名言をうろ覚えで引き合いに出し「(岩崎さんは)今までの人生のなかで、今の私が一番幸せだ、と言いました」「東京2020へ今向かっている、僕は幸せです!」と改めて東京五輪・パラリンピックへの情熱を燃やします。あまりに名言がうろ覚え過ぎて「全然違うじゃねーかよ」「今まで生きてたなかで一番幸せです、な」「意味しか合ってない」という顔で岩崎さんは苦笑いしていますが、それもまた微笑ましいもの。

そして迎える表彰式アイテムお披露目の時。東京都交響楽団らの演奏による表彰用音楽、表彰台、エスコートをするボランティアらの衣装、メダルトレイが、まさに表彰式さながらに現れてきます。静かで抑揚はないけれど力強い楽曲。リサイクル繊維を利用し、和装の伝統技術を取り入れ、被災地の工場で制作されたという衣装。使用済プラスチックで制作された組市松紋様の表彰台。何度もやり直しをさせられてきた東京五輪・パラリンピックですが、多くの学びを経て洗練されてきたな…と感慨深い思いで僕はそれを見つめます。落ち着いて、品があり、物語がある。いいアイテムたちです。これならばやり直しの必要はない、そう思います。

↓使われるのか使われないのかわからないけれど、用意されたアイテムたち!


↓この音楽のなかで表彰式が行なうことができたなら、きっと「光」は倍増することでしょう!




お披露目に立ち会ったパラリンピアン河合純一さんは、こんなことを話しました。自分たちパラリンピアンの多くは人生の途中で障がいを負って、昨日までの当たり前が変わってしまった。そんななかでも、楽しさや新しい目標を見つける上手さ、しなやかさをパラリンピアンは持っているんじゃないか。それを感じてもらって、みなさんのなかにも可能性が秘められているんだと感じてほしい、と。それはまさに今この難局を乗り越えていくためのヒントでした。

どんな難局からでも楽しさや目標は見い出せる。何かが失われても、また新しく見い出せる。今求められる「あろうが、なかろうが、尽力する」という姿勢は、まさにそういうしなやかな強さだろうと思います。今は、「ある」に向かって全力を尽くす。もし「ない」となったら、また新しい楽しさや目標を見い出す。どちらか一方に可能性を限定して、逆目を引いたときにポッキリと折れてしまう…分断されてしまうのではなく、未来がどちらだったとしても強く生き抜いていくという意志と、しなやかさがそこにはあると思います。

「ある未来」と「ない未来」が別々にあるのではなく、「あろうが、なかろうが」同じ未来がつながっているのです。人生の途中で障がいを負ったとしても、そこからまったく新しい人生が始まるわけではなく、同じ人生がつながっていくように。だから、このお披露目に立ち会った人たちは、真っ直ぐ強く未来を見つめていたのだろうと思います。これから先どうなろうが、未来はひとつの同じものがつながっていくのだから、見つめる先は変わらないのだと。あろうが、なかろうが、進んでいくのだと。視線の先に原稿が置いてあるからではなかった。

このお披露目もそうですし、代々木公園に作られようとしていたパブリックビューイングの会場もそうですが、「あろうが、なかろうが、尽力する」と往々にして愚かで滑稽になります。未来を分断して、そのなかのひとつに限定してしまえば物事は簡単でスッキリします。「ない」と決めてしまえばお披露目も会場整備もやらなくて済むことです。そうして未来を限定すれば、何事も先手先手でスマートに見えるでしょう。

一方で、未来を分断せず最後まで尽力をすれば、何事も後手後手で、愚かで滑稽になります。けれど、「ない」と思って手を止めれば何も起きなかった場所に、「ある」を尽くした結果としてワクチンの大規模接種会場が生まれました。それが「批判をかわすための手段」だとしても、先手先手でスマートに批判をかわしていれば公園でしかなかった場所が、後手後手で無様に批判をかわしたことで新たな活用法が生まれたのです。それは愚かで滑稽ですが、しなやかで強い未来だと思います。「ない」と思っていれば「できない」ことでした。

そういうしなやかな気持ちで、これからの日々を歩んでいきたいなと思います。

よく議論にあがる「あるのか、ないのか」「有観客なのか、無観客なのか」なども、最後まで尽力し、その後手後手をしなやかに受け止めていきたいもの。どの道、その日まで何が起きるかわからないのです。当日になって急に「ない」と言われようが、当日になって急に「ある」と言われようが、どちらでも僕は構いません。ふいの夕立ちで野球が中止になることも、朝からの大雨が急に晴れて野球が始まることもどちらもよくある話のように、「ある」でも「ない」でもどちらでもしなやかに受け止めていきたいと思います。使わないかもしれないけれど、もし使うことができたらきっといい表彰式になる…そういう準備を見ながら、自分もまた頑張ろうと思う僕なのでした。

「あろうが、なかろうが、尽力する」の心で。

どうなってもいいような準備を怠らずに。



用意しなければ何にも使えないけれど、用意しておけば新しい使い道を探せる!