去る5月4日は、詩人であり劇作家あり評論家でもあった寺山修司氏の命日だった。没後38年だそうだ。20代のころ、私は寺山さん主宰の演劇実験室「天井桟敷」の公演はほぼ全部、観に行っていた。同郷の友人が劇団員だったので、彼女を応援するのが目的だったが、おかげで素晴らしき寺山ワールドをこの目で観て、感じることができたのだ。

 

当時の天井桟敷のスターは若松武史さんで、彼の演技は迫力満点だった。その若松さんが今年4月に癌で亡くなられたことをニュースで知り、すぐに友人にメールをした。彼女は懐かしい寺山さん、若松さんたちとのエピソードを思い出し偲んでいた。そして「百年の孤独」、「レミング」、「奴婢訓」などの台本を探し出し、台詞の数々を読み返し、寺山さんの才能を改めて感じ、作り出された言葉の数々は今もまったく色あせていないと言っていた。

 

言葉を友人に持ちたい

今日紹介する『ポケットに名言を』(寺山修司・著/KADOKAWA・刊)は、いわゆる格言集ではない。寺山さんがそのときどきで「これは!」と思った言葉をノートに書き残していたものを集めたユニークな一冊なのだ。サルトル、サン・テグジュぺリ、アルベール・カミュ、太宰 治、三島由紀夫の引用があったり、懐かしい映画の台詞が出てきたり、歌謡曲の歌詞もある。寺山さんが何に興味を持ち、何に感動し、それを自身でどう消化していったのかが、ほんの少しだけ垣間見える書でもある。

 

老いた言葉は、言葉の祝祭から遠ざかってゆくが、不逞の新しい言葉には、英雄さながらのような、現実を変革する可能性がはらまれている。私は、そこに賭けるために詩人になったのである。言葉はいつまでも、一つの母国である。(中略)本当にいま必要なのは、名言などではない。むしろ、平凡な一行、一言である。だが、私は古いノートをひっぱり出して、私の「名言」を掘り起こし、ここに公表することにした。まさに、ブレヒトの「英雄論」をなぞれば「名言のない時代は不幸だが、名言を必要とする時代は、もっと不幸だ」からである。そして、今こそ、そんな時代なのである。

(『ポケットに名言を』から引用)

 

寺山ワールドを作り上げていった言葉とは?

本書は1977年に出版されたものだが、今、この時代にこそ読んでおきたい一冊ともいえる。まずは章立てからみていこう。

 

1 言葉を友人に持とう 私にとって名言とは何であったか

2 暗闇の宝探し 映画館の中での名セリフ

3 好きな詩の一節

4 名言

5 無名言 やくざのスラング/さみしいときの口の運動

6 時速100キロでしゃべりまくろう 私自身の詩と小説の中のことば

 

「さよならだけが人生だ」

寺山さんが学生だったころ、最初に出会った「名言」は井伏鱒二の「花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ」という詩だったそうだ。

 

私はこの詩を口ずさむことで、私自身のクライシス・モメントを何度のりこえたか知れやしなかった。「さよならだけが人生だ」という言葉は、言わば私の処世訓である。

(『ポケットに名言を』から引用)

 

この一節は、井伏鱒二の「厄除け詩集」にある。言葉は、時には思い出にすぎないものもあるが、時には、その言葉が世界全部の重さと釣り合うこともある。若き日の寺山さんにとって「さよならだけが人生だ」という一言が、葛藤を乗り越えるときなど様々な場面で大きな支えになっていたようだ。

 

名言は軽く着こなし、脱ぎ捨ててゆけばいい

本書は1968年に「青春の名言」(大和書房)から出されたものを、10年近く経ってから改訂し出版されたものだ。寺山さんは「古い住所録を書き直すように」、いくつかの名言は消し、また新たな名言を書き加えたそうだ。ところで、寺山修司にとっての名言とは何か? の定義も書かれているので引用しておこう。

 

一 呪文呪語の類

二 複製されたことば、すなわち引用可能な他人の経験

三 行為の句読点として用いられるもの

四 無意識世界への配達人

五 価値および理性の相対化を保証する証文

六 スケープゴードとしての言語

とでも言ったことになるだろうか?

(『ポケットに名言を』から引用)

 

さらに、名言などは、シャツでも着るように軽く着こなしては脱ぎ捨ててゆく、といった態のものだということを知るべきだろう、とも記している。

 

この本は第4章の名言が当然ボリュームがあり、「人生」「孤独」「恋」「幸福」「快楽」「冒険と死」「朝」「文明」「望郷と友情」「忘却、「真実」「地上的な、苦痛な」「善と悪」「革命」という見出しが立てられ、それぞれに〔私のノート〕として寺山さんが名言を選んだ背景が書かれている。

 

ドストエフスキー、ゲーテ、サルトル、マルクス、アルベール・カミュ、アンドレ・マルロー、井伏鱒二、太宰 治、三島由紀夫などの書からの一句もあれば、突然に、映画「燃えよドラゴン」ブルース・リーの台詞が出てきたり、あるいは西田佐知子が歌った「東京ブルース」の歌詞もあったりするのがユニークだ。

 

寺山修司に名言はない?

最終章が寺山さん自身の言葉の数々で、「詩集」「歌集」「毛皮のマリー」「あゝ、荒野」などから選ばれた一句、一節が上げられている。

 

言いたいことは暗黒星雲アンドロメダほどもある。そしてまた、言いたいと思って口に出した言葉が音になったとたんに、易く私を裏切ってしまうような気さえするのである。だから残念ながら、私には「名言」はない。私は、ただ時速一〇〇キロでしゃべりまくるだけである。

(『ポケットに名言を』から引用)

 

紹介したい言葉ばかりなのだが、それは本書を読んでいただくとして、氏が一番目にあげている有名な詩を引用しておこう。

 

一本の樹のなかにも流れている血がある

樹のなかでは

血は立ったまま眠っている

(「詩集」より)

 

【書籍紹介】

ポケットに名言を

著者:寺山修司
発行:KADOKAWA

世に名言、格言集は多いけれど、どれもなんだか説教臭くてつまらない!? もっと気楽に、もっと楽しく、Tシャツとジーンズを着るように、名言を自分のものにしませんか ? 小説や映画の一節、サルトルやマルクス、詩、短歌、歌謡曲、演劇などなど、寺山修司ならではの感性で選んだフレーズの中に、あなたの心のポケットにぴったり合う言葉がきっと見つかるはず。

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