手持ちのお金が数百円しかないという美恵さん(編集部撮影)

この連載では、女性、とくに単身女性と母子家庭の貧困問題を考えるため、「総論」ではなく「個人の物語」に焦点を当てて紹介している。個々の生活をつぶさに見ることによって、真実がわかると考えているからだ。

今回紹介するのは、「コロナで派遣の仕事がなくなり、現在は施設警備の仕事をしています。でもキツいわりに給料が安く、毎日しんどいです」と編集部にメールをくれた51歳の女性だ。

コロナ禍で派遣の仕事がなくなった

三たび緊急事態宣言が発出されて、都内は街灯以外が消灯した。人の流れを抑制することで経済活動が鈍化し、まず生活に直撃するのは非正規で働く末端の労働者たちだ。ため息をついていたところ、山崎美恵さん(仮名、51歳)からSOSとも読めるメッセージがきた。

「コロナで派遣の仕事がなくなり、現在は施設警備の仕事をしています。でもキツいわりに給料が安く、毎日しんどいです。父親と折り合いが悪く、実家にも帰れません。バツイチ子持ちですが、子どもは自立していて頼りたくありません。年齢、体力的にしんどいことが多く、家で泣いてしまうことも。情けない限りです。持病があり、病院代もありますし、生活はキツキツです。お恥ずかしながら薄給のため、交通費も出せず、遠くには行けません」


この連載の一覧はこちら

美恵さんは、千葉県在住。持っているお金は数百円しかなく、定期券で行ける場所までしか行けないという。

シングルマザーだった美恵さんは、ずっと大手ECサイトの倉庫でピッキングや梱包する派遣労働者だった。コロナによって失業し、あらゆる非正規やパート労働を断られた果てに、昨年5月にようやく施設警備の仕事を見つけている。

「もうずっと収入が低くてボロボロです。コロナの時期に倉庫の仕事がなくなって、ほかの仕事もまったく見つからなかった。最終的に行政に貧困や就労の相談に乗ってもらって、ようやく警備の仕事が見つかって生き延びています。17年前、子どもが10歳のときに離婚して、元夫に養育費を踏み倒されました。それからずっと徹底的に貧しい。普通の暮らしはしたことがありません」

使い古した量産型格安ブランドの春物コートに身を包み、ボロボロのスニーカーを履いていた。お金がないことは見た目でわかった。彼女は賃金があまりに安いことで普通の暮らしができない典型的な非正規労働者だった。

「ピッキングの仕事のお給料は手取り12万円くらい。週4日とか5日やってそれくらい。交通費がでないので2、3万円は交通費です。最寄駅までバスを使って40分かかる団地に住んでいて、バスも1時間に1本とか2本しかない。始業は8時、朝4時に起きて5時12分の始発のバスに乗って通勤です。それで幕張本郷か海浜幕張駅から派遣会社が用意したバスに乗って、海沿いの倉庫に行くんです」

ピッキングとは企業の巨大な倉庫から品物を集める仕事で、企業が派遣会社に依頼して派遣労働者が従事する。労働条件は悪く、最低賃金に近い日当で社会保険は当然、交通費もでなかった。手取り12万円の賃金で交通費がでないと、生活保護の最低生活費並みの収入となる。

「時給は900円くらい。数年間続けたので最終的に1100円まで上がりました。当時は労働者派遣法が改正されてなくて交通費はでません。それで最低賃金に近い時給だったので、本当に苦しかった。ピッキングの仕事をはじめたのは43歳から。その年齢になると普通の仕事はなくて、コンビニもファミレスも断られます。派遣の仕事しかないんです」

ずっと前から40代の女性からよく聞くのは「(コンビニ、スーパーなど)パートの面接に落ちる」ということ。人によっては何十件も落ちることもあるという。40歳を一線にして最低賃金に近い仕事でも、相手から選別される立場になるようだ。

美恵さんを含む派遣社員は、長年時給に交通費が含まれる労働条件で働いた。働き方改革で正規、非正規の格差が問題視され、同一労働同一賃金が進み、昨年4月に労働者派遣法が改正された。法改正によって派遣社員にも交通費が支払われるようになった。

「派遣社員は駅からバスで倉庫に運ばれて、言われたままピッキングの仕事をします。東京ドーム何個ぶんかの倉庫をずっと歩く。一日中、端から端まで歩く。終業時間まで延々。持病もあるし、年齢的にもツライ。お昼は食堂もあるけど、みんなお金がないからスーパーのおにぎりとかカップラーメン。お湯のでるところに並んで食べます。栄養のこととか考えたことないです。そんな余裕はなかったです」

コロナ禍で仕事は「週1」に

始発のバスに乗って集合の最寄り駅へ行く、派遣会社が用意するバスに乗って海沿いの倉庫に運ばれ、延々と商品を集める単純労働。派遣労働者に暴言や罵声を浴びせる担当者も多い。ポチるだけで商品が届く便利な社会になり、わかっていたことだが、改めて現場の話を聞くとなかなか過酷だ。そして交通費込み時給900円台、日給7000円台前半の最低賃金に近い報酬が振り込まれる。

派遣労働者は派遣会社に登録、電話かインターネットサイトから仕事の予約をいれる。ECサイトはコロナによる悪影響はなかったはずだが、美恵さんは昨年2月から思うように働くことができなくなった。毎日、黙々と単純労働するだけの派遣労働者には情報も人間関係もなく、どうして働けなくなったのか彼女にはわからない。

「ずっと週5日予約を入れてました。コロナの前は希望通り働けていたけど、コロナ禍になってから入れなくなった。週5日が4日になって3日になった。最終的には週1日に。月収にすると4万円とか。生活ができないどころか、生きていけません。ほかの場所を探して仕事があっても、大網とか館山とか、とても通えないところ」

非正規社員や派遣社員は、企業にとっては雇用の調整弁だ。有事が起こったときに真っ先に非正規や派遣の雇用を切って調整する。人手が足りなくなれば、膨大にある派遣会社に依頼すればいいだけ。支えてもらっているはずの労働者の生活は、企業は知ったことではないという立場になる。

家賃が収入によって変動する市営団地に住んでいる。実際に家賃1万4000円と安い。そのおかげで低賃金でもなんとか生きてこれたが、収入が4万円では家賃と光熱費ですべてなくなる。美恵さんはこのままでは餓死してしまうと恐怖にかられ、必死になって仕事を探した。


働ける場所は派遣しかなかったと話す美恵さん(編集部撮影)

「何件かのコンビニ、スーパー、喫茶店、あとファミレス、漫画喫茶に応募したけど、全部落とされました。たぶん、年齢が理由。働ける場所は本当に派遣しかなくて、派遣で仕事がないとどうにもなりません。最終的には食べ物は買えないし、交通費もなくて仕事もいけない、電気が止められて携帯の充電もできないみたいな状態に。どうにもならなくなって、ずっと折り合いが悪かった父親に、頭を下げてお金を借りました」

コロナ禍となった昨年3月〜4月、どれだけ応募しても最低賃金のパートすら決まらなかった。死も想定にはいってきて就労支援センターに相談、その場で警備の仕事を薦められた。現在は大学の施設警備をしている。

「いまも低賃金で手取り1日7000円くらいだけど、正社員です。すごく苦しいけど、なんとか生きていけています。こんなことになったのは、やっぱり女だからだと思う。離婚したシングルマザーで夫に養育費を踏み倒されたら、もうどうにもならない。死ねって言われているようなもの。普通に生きてきたはずなのに、自分が本当に無価値な人間だって嫌というほど思い知らされました」

先日、世界経済フォーラムが男女格差を測るジェンダーギャップ指数が発表された。日本は156カ国中120位と低スコアだった。相変わらず国際的に男性優位社会であると認められた。彼女は女性、中年、ひとり親と複数のマイナス要因を抱える。始発に乗って出勤して精一杯働いても、普通の暮らしもできない。そんな状況がずっと続けば「死ねと言われているようなもの」と思うのは無理はない。

ある日突然、夫が帰ってこなくなった

彼女は地元の商業高校を卒業し、専門学校に進学。新卒で地元の中堅企業に入社している。入社してすぐ3歳上の同僚と社内恋愛し、21歳で結婚。寿退社して23歳のときに長男、27歳で長女が生まれた。

「33歳まで普通の家庭で収入も悪くなかった。ある日、突然夫が帰ってこなくなった。出会い系で知り合った女にハマった。いつもは19時には仕事から帰ってきたのが、帰ってこなくなった。次の日になっても帰ってこない。すぐに浮気と思いました。帰ってこない理由は、それしかないって」

夫は家にまったく帰ってこなくなった。家族は夫の親の持ち家に住んでいて、家賃はかからなかったが生活費がなくなった。小学生と幼稚園の小さな子どもが2人もいる。自分の親も、相手の両親も頼れない。途方に暮れた。

「専業主婦だったので収入が途絶えました。突然無収入です。働いても次の月じゃないと給料がでない。うちの親に子どもたちの食費って名目で借りて、幼稚園の園長先生の家に朝一番で子どもを預けてホテルで働きました。それで一番最後17時半くらいに娘を引き取って、みたいな。一番最初に預けて、一番最後に迎えに行ってました」

ベッドメイクの就労収入は手取り12万円ほど。それに子ども手当。家賃がなかったので、なんとか生活することはできた。

「まったく帰ってこなくなった夫と離婚ってなったのは、出て行ってから3年後です。離婚届のハンコを押しにも帰ってこなかった。離婚してないから児童扶養手当はもらえないし、本当に厳しい。やっと離婚ってなったとき長女が18歳になるまで、毎月5万円の養育費を振り込むという約束を書面で交わしました。届けを役所に提出したのが6月。養育費は7月、8月は払われたけど、9月から入ってこなくなった。連絡がとれない。電話もでない、メールも返ってこない。着信拒否されて、どういうことって」

相手の親に連絡すると、2回ほど肩代わりしてくれたが、すぐに払えないと言われた。家も出て行ってほしいと言われ、現在の団地に引っ越した。

「この頃は本当に苦しくて、悔しくて泣きました。子どもたちが眠ってから泣きっぱなし。ベッドメイクの仕事では2人は育てられない。長男は親に引き取ってもらって、ずっと実家で暮らしています。奨学金で大学に行って就職しました。長女も高校からバイトしながら専門学校で保育士資格をとって家をでました。それで働いても、働いても、まだ普通の暮らしができない私が残った感じです」

「女がそんな仕事してかわいそうに」

美恵さんは結婚し、子どもを生み、朝早く起きて働きながら子どもを育てた。でも苦しい、ずっと苦しい。いったい、なにが問題だったのだろうか。

「シングルマザーに優しい社会であってほしい。いまは別れた相手から養育費を強制的にとれるようになったみたいだけど、そういうことをもっと早くしてほしかった。給料差し押さえとか、徹底的にできるようにならないと、残されたひとり親の女は生きていけないです。世間では養育費を払っている男性が偉いみたいな風潮。とんずらして逃げ得みたいな男性が多すぎる」

いまは警備会社で勤務する。警備の仕事は男社会だ。居心地が悪く、働きづらい部分もある。男性が多い職場に女性が入ると、同僚や上司にマウンティングされ、パワハラを受けがちだ。そのような風景は容易に想像がつく。

「あと男性だから女性だからって言わないでほしい。女だからダメだってめちゃ言われる。女の警備員はダメとか。同僚の男性とか通行人とか。通りすがりのおじいちゃんとかおばあちゃんに、女がそんな仕事してかわいそうにとか。男とか女とか、仕事ができていれば関係ないじゃないですか。女のくせにって言ってくる人がたくさんいて、お前はダメだ、女だからダメだって何度言われたかわからない」

正社員になった今も年収200万円を超えるか微妙だ。餓死することは回避できたが、働いても苦しい低賃金は変わらない。そして、男性たちにパワハラされる悩みが増えた。ずっと社会の底辺近い場所で働く美恵さんは「これだけ男女平等って言われているのに、現実は全然違う」と言っていた。

本連載では貧困や生活苦でお悩みの方からの情報をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。