尾を引くフジテレビのステマ騒動。悪いのは女子アナなのか?(写真:Ryuji/PIXTA)

フジテレビの女性アナウンサーによるステマ騒動が波紋を広げ続けています。4月14日の「文春オンライン」による第一報では、7人のアナウンサーたちが、ある美容室に通い、無料でサービスを受ける代わりに店のインスタグラムに写真の掲載を認め、広告塔の役割を果たしていたことなどが伝えられました。

これを受けたフジテレビは、「バイキングMORE」「ワイドナショー」で報道の内容にふれたうえで、「事実関係の詳細は現在確認中ですが、いわゆるステルスマーケティングに該当する行為はないと考えております」という見解を表明。この間、SNSやニュース記事のコメント欄ではフジテレビや女性アナウンサーたちへの批判が飛び交っていたものの、番組出演などに変更はなく、「このまま時間とともに収束するのかな」というムードが漂いはじめていました。

しかし4月21日、「文春オンライン」は第2弾として女性アナウンサーたちが美容室を利用した回数と金額などを詳報。「7人で100回超、200万円超」などの数字を見た人々から、「全員番組を降板させるべき」「重い処分や謝罪が必要」「女子アナは勘違い女ばかり」「学生時代から男にお金を出してもらうのが当然だったから麻痺したのか」などの厳しい声が殺到しました。

厳しい声を浴びせる人々への矛盾

ただ、今回の騒動は単に「女子アナのステマなんてけしからん」という論調に終始しがちですが、本当にその見方は適切なのでしょうか。見る角度を変えると、騒動の本質が浮かび上がり、むしろ厳しい声を浴びせる人々への矛盾も浮かんできます。

ステルスマーケティング(ステマ)は、主に「消費者に広告であることを気づかれないように行われる宣伝行為」を指す言葉。その点、今回のケースは、「実際に来店してサービスを受け、その内容に満足していた」「もともと有名人が通うほどのいい店なのかもしれない(女性アナウンサーの宣伝効果は限定的)」「報酬を得て宣伝しているわけではない」などの理由から、「ステマ」とは言い切れないところがあります。

もし芸能人なら出演料として報酬が支払われていたかもしれませんが、会社員であるからかアナウンサーたちには、それがありませんでした。法的な問題も詐欺的な手法も見当たらず、頻度の多さを問題視する向きは理解できるものの、図式としては、一般人のカットモデルが店のインスタグラムに掲載されているケースとさほど変わらないのです。

また、店サイドに目線を移すと、これはインフルエンサーを使ったマーケティング戦略であり、大きな問題はないでしょう。ただ、同じ会社に所属する7人もの女性を対象にしたこと、繰り返し行い続けてきたことが、「やりすぎ」という悪い印象を与えてしまいました。

こういうときは必ずと言っていいほど、「報道に関わるアナウンサーは中立性が求められ、説得力がなくなるから、いかなるサービスを受けてはいけない」という声が挙がりますが、これは100かゼロかの極論であり、過剰な懲罰感情そのもの。利害関係の薄い他人であり、公職ではないビジネスパーソンに対して制限をかけすぎであり、社会的な影響の出るレベルのもの以外は、そこまでの清廉さを求める必要性はないでしょう。

もともとテレビ局におけるステマの概念は、あいまいなところがあり、今回はフジテレビだけがやり玉にあがっていますが、どのテレビ局も似たような状況があるのです。

グルメ番組はすべて「ステマ」?

たとえば現在、情報番組やバラエティーでは、外食チェーン、コンビニ、ファストファッション、雑貨や家電メーカーなど、大手企業関連の特集が多く、売り上げランキングをクイズ形式で出題したり、新商品を紹介したりなどの企画が量産されています。これらは「無料で商品の提供を受けて宣伝する」「番組で取り上げることが広告出稿(報酬)につながる」などの意味で、「ステマに近いものがある」という見方もできるでしょう。

さらに言えば、グルメ番組で飲食店を取材するとき、スタッフが料金を払うことはほとんどありません。また、芸能人が、あるメーカーを取材したとき、「ぜひ使ってください」と商品をプレゼントされることが当たり前のようにあります。加えて、これらの取材時に芸能人やアナウンサーが写真を撮ってSNSにアップするケースがよく見られます。

店にしてみれば「番組で宣伝してもらえるから、無料で提供している」のであって、これらも「ステマ」とみなしてやめさせるべきなのでしょうか。あるいは、芸能人やアナウンサーが気に入って自分のSNSで紹介しようと思っても、「これは広告です」と表記しなければいけないのでしょうか。

テレビ番組の中には、「絶対にステマではない」と言い切れないものが多く存在しますが、ただ「その多くは視聴者に不利益を与えるものではない」というレベルにすぎず、目くじらを立てるほどのものではないのです。

一般人も「ステマ」をしている?

「ステマかどうかあいまい」「絶対にステマではないと言い切れない」ものが多いのは、テレビ番組に限りません。

たとえば前述した飲食店やメーカーの取材は、週刊誌やタウン誌などでも同じであり、無料でサービスを受けるのが普通。事実、制作費が少ない媒体は、無料での取材を頼りにしていますし、「何かもらえるのではないか」という期待を抱いている取材者たちもいます。さらに掘り下げると、「広告出稿してくれた会社の商品を特集ページでも優先的に紹介する」ことが当然のように行われています。

つまり、「本当にいい商品」「企画に合う商品」だから特集ページで紹介するのか。それとも、広告出稿が決まったから見返りとして紹介するのか。「あいまいな形で混在しているケースが多い」ということ。テレビも雑誌も商品やサービスを紹介する特集と広告との境界線があいまいであり、またそれが「ビジネス上、卑怯な手法とは言えない」など、ステマの定義は難しいのです。

個人に目を向けても、ステマのあいまいさは同様。たとえば、芸能人がサインや写真に応じたあとに何かのサービスを受け、それが店のSNSで公開されたら、「ステマ」「これくらいは大丈夫」という論争が起きるでしょう。

また、芸能人だけでなく一般人も、好意で無料提供されたものを気に入ってSNSにアップしたらステマ?  ツイッターやインスタグラムでリツイートやシェアしたらサービスが受けられるのはステマ? 食べログなどの口コミサイトに称賛コメントを書いて店からサービスを受けることもステマ? それどころか、接待交際費の多くはステマに使われている?

女性アナウンサーのように「有名人ではない」というだけで、世の中には「ステマ」との境界線があいまいなものがあふれているのです。

アナウンサーへの懲罰感情はマイナス

ステマとの境界線があいまいなものが世の中にあふれているにもかかわらず、「表に出ていて攻撃しやすいから」「高収入を得ているだろうから」などの理由で個人攻撃し、「けしからん」と禁じるほど、自分たちも生きづらい窮屈な世の中になっていくだけ。メディアも、それを見る人々も、直情的に誰かを攻撃するのではなく、「1人ひとりが『これは多少の宣伝が入っているのかな』と見極める目を持てばいい」というだけのことでしょう。

とりわけ女性アナウンサーは有名人である一方、一般の人々と同じ会社員であり、撮影現場でも有名人のように振る舞うことはなくわきまえていて、よく言われる「勘違いしている」ような人はほとんどいません。むしろ、制作サイド、他部署の人々、芸能人、スポンサーなど、「多方面の人々に気づかわなければいけない」という一般の会社員と変わらない感覚があり、精神的なストレスを抱えやすいところがあるものです。言わば、彼女たちを叩いている人々に近い立ち位置だけに、必要以上の懲罰感情は無用でしょう。

批判の中には、「『法律や規則上の問題はない』とかではなく、道義的に本人が謝るべき」という声も散見されましたが、これも単なる懲罰感情にすぎません。では、「誰に対して謝ればいいのか」「本当に迷惑を被った人々がいるのか」があいまいであり、むしろ「好きな女性アナウンサーと同じ美容室に行けた」と喜んでいる人もいるでしょう。

また、「ふざけていると思いませんか? みなさん。悪いことしたらちゃんと罰を受けさせましょう」とあおるように呼びかける人もいて、多くの「そう思う」ボタンが押されていました。

このような利害関係の薄い人に対する懲罰感情を抱くほど、負の感情を体に宿し、そんな自分のことが嫌いになり、ひいては、他人の目を恐れて身動きが取れなくなるなど、人生を停滞させていくもの。女性アナウンサーたちにはフジテレビが就業規則などのもとに対処すればいいのであって、利害関係の薄い彼女たちに懲罰感情を抱くことは、意味のないことどころか、自らの人生を停滞させるマイナスなことなのです。

問われるフジテレビのガバナンス

最後にふれておきたいのは、フジテレビの対応について。報道を受けてからの動きは適切とは思えず、批判される要素があったのは事実でしょう。

実際、「ステマには該当しない」「違法ではない」というコメントだけで済ませるのではなく、「どこにどんな問題があったのか」「女性アナウンサーたちにどんな対処をしていくのか」「今後は何らかの改善をしていくのか」などをもっとスピーディーに公表すべきでした。

それらができずに1週間以上が過ぎてしまうなど明らかに対応が遅く、「続報を恐れて様子を見ている」「リークした犯人捜しをしている」「このまま逃げ切るつもりなのだろう」などと言われても仕方がないでしょう。とりわけ現在の世の中は、前述したように表に出る人を叩く傾向が強いだけに、フジテレビにとっても、女性アナウンサーたちにとっても、ダメージコントロールを考えすぎて後手に回らないほうがいいはずです。

また、もう1つ気になるのは、「7人もの女性アナウンサーがサービスを受け、ネット上にアップされていたにもかかわらず、それが見過ごされ続けてきた」というガバナンスのゆるさ。アナウンス室の問題だけでなく、局全体の規範や指針、管理体制をどう見直し、浸透させていくのか。騒動によるイメージダウンを回復させ、人々の信頼を得るためには、明確に打ち出すほうがいいのではないでしょうか。