■「選手がやってくる」から一転、負担に

東京五輪の開幕まであと100日を切った。3月下旬からは各地を聖火リレーが周り始めている。そんな中、コロナ禍前まで、全国各地の地方自治体が積極的に誘致を行っていた「事前合宿」が、政府から厳しい感染対策を求められる中、次々と受け入れを断念。合宿中止が相次いでいる。

写真=時事通信フォト
東京五輪・パラリンピック公式マスコット像除幕の式典終了後、笑顔を見せる小池百合子・東京都知事(左)と遠藤利明・東京五輪・パラリンピック組織委員会副会長=2021年4月14日、東京都庁[代表撮影] - 写真=時事通信フォト

「事前合宿」はオリンピック・パラリンピック(以下、オリパラ)の本大会に参加する選手たちが大会直前に最後の調整を行うキャンプのことを指す。いわば、選手村へ正式に入村する前の「自主トレ」に当たるものだ。国内の多くの自治体が国際交流や街おこしなどの理由で、リオデジャネイロ五輪が開催された2016年ごろから着々と誘致活動を進めてきた。

誘致に成功した自治体は「わが街にオリンピアンやパラリンピアンが合宿にやってくる」と諸手を挙げてよろこんだわけだが、今では外国人選手が街を訪れることへの不安に反転している。この結果、受け入れ断念を決めた自治体が次々と報道発表する事態になっている。

「事前合宿地」として準備を進めている自治体の実数資料は発表されていないが、少なくとも3ケタに達する市区町村が関わっているとみられる。

■時差ボケを調整する大事な期間だが…

選手にとって事前合宿は、時差ボケを調整しながらコンディション作りを行う機会となる。一方、受け入れ側の自治体は練習場や関連施設だけでなく、宿泊機関や食事の準備など仔細な内容をしっかり詰めて選手らの来訪を待たねばならない。加えて、これをチーム側に理解してもらえるよう外国語で説明しなければならず、事前合宿の準備はただでさえ困難を伴うものだが、ここへきて「コロナ感染対策」という重大なタスクが新たに襲ってきた。

自治体に厳しい感染対策が課される中、組織委などオリパラ運営側としては、本大会前に事前合宿の運用実績を作っておきたい。しかし、政府内での調整がまとまらなかったようだ。

例えば、静岡県富士市は、4月にいったん予定された国際水泳連盟(FINA)主催のダイビングW杯(五輪最終選考会)に出場するスイス代表チームの事前合宿実施に向け準備を進めていた。しかし、変異株が流行する中、外国チームの合宿実施に対しての特例が認められず、結局断念という決断に迫られることとなった。

■陰性証明に移動制限…条件は厳しい

内閣官房が提示している「アスリートトラック」の名で、事前合宿を実施する自治体やチームらに求めているコロナ感染対策は次のようなものだ。

アスリートトラックの概要
●選手の自国出国前
・出発前の14日前から検温実施
・出国前72時間以内に検査し「陰性証明」を取得。
●選手の日本入国時
・日本の到着空港において検査
●選手の入国後〜合宿先にて
・原則として公共交通機関を利用せず、専用車で移動。
・入国後14日間は、練習場と宿泊機関との往復に限る。
・受け入れ自治体は、選手が感染対策ルールを破らないことへの誓約書や滞在先での活動計画書を事前に提出する。
・練習場や宿泊機関では他人と接触しないように施策を行う。

これらは、日本側が「最低限の条件」として設けているものだ。これに加えて国際オリンピック委員会(IOC)はさらに条件を突きつけている。各選手に許される選手村の滞在期間は原則として、自身が出場する競技開始日の5日前から、終了後3日後まで。時差ボケ調整の手段として、自主トレ目的で自由なプランでの日本への先乗りも禁止されており、選手らにすれば「頼れる先は事前合宿地のみ」という状況に陥っている。

■練習予定の施設がワクチン会場に

自治体はコロナ禍という前例のない状況下で、厳しい感染対策を検討しながら選手の受け入れに向けた準備を進めてきた。

だが、「なんとか合宿を実現しよう」と努力する自治体が多数ある一方、コロナ禍による前提条件の変化で「合宿実施は無理」と判断した自治体も続々と出てきている。筆者が調べたところ、辞退または契約解除などで中止となった理由として次のようなものがある。

・合宿中のコロナ感染リスクを鑑み、相手国の判断で選手村に直行。
・国が提示したコロナ対策が厳しく、自治体が「対応不能」と判断。
・相手国側の都合で、日本国内の合宿先を統合。
・練習予定会場だった施設がワクチン接種場所に指定され、実施が不可能。

まだ正式発表はないものの、この他にも水面下で、合宿断念の方向で調整中の自治体が相当数あるようだ。国際水準の競技施設を擁する自治体の関係者によると「他の自治体で予定していた合宿が中止となった。貴市の施設で行いたいが、対応は可能か?」といったメールが各国のチームから続々と寄せられているという。

そうした優れた施設はもう数年前から強豪チームに押さえられており、100日を切ったこのタイミングで調整がつくはずもないのだが、合宿先のなくなった各国の焦りがうかがえる。

政府関係者は「合宿が実施できそうな自治体を把握することは現時点では大変だ」と言う。

「予選大会の延期などで出場選手が決まらず、相手国もなかなか訪問予定が決められない。オファーは出していても具体的な返事が得られていない自治体も多い」と説明。「コロナの影響の有無にかかわらず、予選の敗退、合宿先の変更などを理由に相手国から辞退の申し入れが来る可能性が残っている」と話す。

■14日間の自主隔離が免除されているが…

本来、外国から日本に到着した旅客は、基本的に「14日間の自主隔離」が求められる。しかし、オリパラ本大会に参加する関係者らは「特例」として、隔離を免除される可能性もある。現状では最終結論が出ていないが、事前合宿実施を予定するチーム関係者も同様に隔離免除となる可能性が高い。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PeopleImages

合宿先の自治体は、合宿と関係のない一般市民らとの接触一切を隔絶するよう工夫を行うことが国から求められている。しかし、五輪代表選手とはいえ、こうした「コロナにかかっている可能性がある外国人がわが街にやってくる」という状況を一般市民が許容し得るのだろうか。

心配なのは、選手と一緒に活動する自治体関係者をはじめ、ホテルや練習会場のスタッフらへの感染だ。計画によると、こうした「チームに関わる人々」には数日おきにPCR検査を行い万全を期すという。しかし、自治体職員らが合宿中に選手らと関わる一方で自宅や職場などにも出入りしているうちに、いつしかウイルスを一般市民の空間に持ち込んでしまったらどうなるのだろう。想像するだに恐ろしい。

■議論は中断、でも登録は増え続けている

一方、事前合宿がない格好でのオリパラ関連交流プログラムも存在する。これは「ホストタウン事業」と呼ばれるものだ。旗振りを行う内閣官房によると、「スポーツ立国、グローバル化の推進、地域の活性化、観光振興等に資する観点から、参加国・地域との人的・経済的・文化的な相互交流を図る地方公共団体をホストタウンとして登録する」といった定義がなされている。

政府と組織委員会、東京都は、出入国管理や検査医療体制、会場運営等を総合的に検討・調整する場である「新型コロナウイルス感染症対策調整会議」を定期的に開いている。2020年12月までに計6回が実施された。

ところが、年初の緊急事態宣言発令以降、外国人の入国がほぼ不可能になったこともあり、オリパラ関連の選手受け入れに関する論議が中断。前述の「アスリートトラック」の運用も停止されており、調整会議は今年に入ってから一度も実施されていない。

ちなみに、「ホストタウン」への登録申請が内閣官房により承認され、一定の交流行事を実施すると、かかった費用のおよそ半額が国から追って交付される仕組みとなっている。3月30日時点で、登録する自治体数は525に達しているほか、受け入れる相手国・地域数も184(IOC加盟の国・地域は206)となっている。昨年春にオリパラの延期が決まった後もホストタウンに登録する自治体は増え続けている。

■「合宿中止」がドミノ倒しのように増える

選手らを地元自治体まで呼び込むには厳しいコロナ対策が求められるため、ホストタウン事業については、極端に縮小した形でも実施したと認められそうだ。

写真=iStock.com/Pipop_Boosarakumwadi
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政府は4月6日、ホストタウン事業について、オンラインを活用した間接的な交流促進を求める方針を決めた。言い換えると、各自治体に招いて選手らとの直接面会が叶わなくても「交流した」と見なすこととなった。

これについて政府関係者は、「ホストタウン交流における『事前合宿』は活動の一部であり、必須要件ではない」とした上で、「継続した交流を行う自治体を引き続き応援していきたい」との考えを示している。

選手が来なくてもホストタウンとして認められ、かつ交付金も支給されるなら、全国の自治体の間で事前合宿中止の流れがドミノ倒しのように増えてきそうだ。

■いったい誰が責任を取るのか

では、「事前合宿ができないなら、五輪を辞退する」という選手は出てくるだろうか。

先に述べた通り、事前合宿の主な目的は「時差ボケの解消と最終調整」だ。強豪国はいずれも4〜5年前から日本側の競技関係者や施設管理者と接触し、自国選手により適した合宿用施設の確保にしのぎを削ってきた。

それが日本での滞在が選手村での5日間のみに抑えられてしまったら、選手によっては「コンディションを整えるのが難しい」と考えて、出場を断念する可能性さえある。

また仮に、合宿をせずに五輪に臨むチームがいたとしても、行き場所がなくなる選手らを救済する方針はどこからも示されていない。「たかが自治体の行事だから無くなったところで影響なんて微々たるものだろう」などと考えているのであれば、あまりに無責任だろう。

東京五輪は「開幕100日前」までなんとか引っ張ってきた。しかし、選手らにとって本来のパフォーマンスが出せない状況が膨らんでいくのは致命的だ。合宿中止によって出場を断念するチームや選手が続発したら、いったい誰がどう責任を取るのだろうか。

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さかい もとみ(さかい・もとみ)
ジャーナリスト
1965年名古屋生まれ。日大国際関係学部卒。香港で15年余り暮らしたのち、2008年8月からロンドン在住、日本人の妻と2人暮らし。在英ジャーナリストとして、日本国内の媒体向けに記事を執筆。旅行業にも従事し、英国訪問の日本人らのアテンド役も担う。■Facebook ■Twitter
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(ジャーナリスト さかい もとみ)