久保建英も!攻撃的MFなのに「変な背番号」だった7人の選手
今週末、親元であるレアル・マドリーと対戦するヘタフェ久保建英。
リーガではトップチームの背番号が25番までと決まっているため、ポジションには似つかわしくない番号を与えられることもある。久保の5番もそうだ。
ここでは、攻撃的MFには似合わない番号をつけた選手を取り上げてみる。
2番:本田圭佑
日本を代表する攻撃的MF。パチューカで着けた02番は衝撃的だった。
10番も4番も空いていなかったため、世界平和とピースにちなんで2番にしたとか。
ちなみに、背番号に寛容なメキシコでは、ユース選手がトップチームで3桁の番号を着けたりもする。
3番:アテム・ベナルファ
Espera. Espera. ¿Que Ben Arfa llevará el dorsal número 3? Ese regate sí que no me lo esperaba, crack. pic.twitter.com/ESB9ica0R4
— Guille Glez (@Guille_Glez_) January 28, 2020
チュニジアにルーツを持つ天才ドリブラー。ただ、性格面に難あり。
半年間の無職期間を経て、シーズン途中に加入したバジャドリーでは3番をつけることに。
8、12、15番も選べたはずだったが、「(3番が)このユニフォームにはかっこいいと思ったから」というのが理由だそう。
4番:セスク・ファブレガス
スペイン代表でこそ10番を付けたものの、アーセナル時代から4番を好んでおり、近年のサッカー界において代表的な「攻撃的な4番」となっている。
これは「5月4日生まれ」、「家の番地が4番」だったこと、憧れだったジョゼップ・グアルディオラも4番だったこと、アーセナルの先輩パトリック・ヴィエラが退団してこの番号が空いていたことに由来する。
4番:本田 圭佑
また登場の本田圭佑。
もともとは代表の「10番が欲しい」と公言していたものの、日本代表に入った当時には中村俊輔が、その後は香川真司が出現したためその夢は叶わず。
別の番号を模索した彼は3か4に絞ったが、当時3番を付けていた駒野友一にやんわり断られたため4番になったという。
5番:ジネディーヌ・ジダン
背番号5の攻撃的選手として真っ先に思い浮かぶであろうレジェンド。
フランス代表では10番、ユヴェントスでは21番だったが、レアル・マドリーではまさかの番号に。
ミラレム・ピャニッチやジョルジニオ・ワイナルドゥムはジダンに憧れて5番を着けているとか。
6番:ケヴィン・デブライネ
現世界最高の攻撃的ミッドフィルダー。
チェルシーに引き抜かれた後に貸し出されたブレーメンで6番を着けた。現在、ベルギー代表では7番、マンチェスター・シティでは17番を背負っている。
1番:オズバルド・セサル・アルディレス
“オジー”の愛称で知られるオズバルド・アルディレス。
日本のファンにとってはJクラブを率いた監督の印象が強いだろうが、アルゼンチン代表だった現役時代はMFであった。1982年のワールドカップでは背番号1を着用。
その理由は、当時のアルゼンチンの背番号はアルファベット順だったため(マラドーナの10番は例外)。
【写真】サッカー史上最も奇妙な「背番号1〜11番」を背負った男たち
ちなみに、1978年大会では「2」をつけた。