「僕たちは“普通の関係”ではない。普通の不倫関係でさえない」と康生さんはいう

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 どちらか一方、あるいは双方が結婚していれば、交際そのものが「不倫」と言われる関係になってしまう。本来は、そこに恋心なり愛情なりがあってこそ、不倫の恋なのだが、必ずしもふたりの気持ちが一致しているとは限らない。

「僕は彼女のことが好きなんですが、もしかしたら彼女のほうは単なるアクセサリーみたいに思っているのかもしれません」

 眉間に皺を寄せながらそう言うのは、高田康生さん(36歳・仮名=以下同)だ。大学を卒業後、理系出身を活かしてとある企業に入社したが、27歳のときヘッドハンティングされた。転職先でも化学系の研究をしている。

「実は転職先の会社の社長が、二代目の女性社長なんです。なぜか社長に気に入られて、僕も社長のことが好きで……」

「僕たちは“普通の関係”ではない。普通の不倫関係でさえない」と康生さんはいう

 夫も子どももいる一回り年上の女性社長と関係をもってしまった。当時、康生さんは「心がぼろぼろの状態だった」のだという。

 学生時代からつきあっていた彼女は、転職を機に去っていった。転職を決めてすぐ、障害を持っていた弟が亡くなった。もともと彼には、「しかたのないことだけど、両親は僕より弟をかわいがっていた」という思いがある。いわゆる“きょうだい児”のつらさを彼もじゅうぶんに味わっていた。

「弟が亡くなったときの両親の嘆きを目の当たりにして、なぜか僕は傷ついてしまった。僕自身、弟のことはかわいがっていたから半身をもぎとられるような苦しさがあったのに、それ以上に両親の対応が受け入れられなくて。両親はきっと弟より僕が早く死んだほうがいいと思っているはず、とさえ感じたんです。それはたぶん、幼いころから弟が家族の中心で、僕は決して中心にはなれないとわかっていたからだと思う」

 弟がいる限り、彼は両親から望むような愛情をかけられないと、幼いころからわかっていたのだろう。そして弟が亡くなっても、両親の心には弟しかいないこともまた察してしまったのだ。

「もっと愛されたかった。それを素直に認められない自分。親を責めるより前に、そこが問題だと気づかなかった僕自身が情けないと、今なら思います。ただ、当時の僕はなんだか割り切れない気持ちで悶々としていました」

 そこへ愛情を注いでくれたのが、女性社長だったのだ。彼女は康生さんの不安定な気持ちに気づいてくれた。

「そんなに大きくはない会社ですから、社長と直に話す機会もあるんです。あるとき社長に呼ばれて仕事のことをいろいろ聞かれ、『今度、食事でもどう?』と言われて。それが発端でした」

 社長と深い関係になったことについて「そんな畏れ多いことが起こるとは思わなかった」と彼は言う。だが最初の食事で、彼は帰りに彼女の別宅に誘われてついていった。

「業務命令だと思ったんです。社長は『プライベートな食事のあとで悪いけど、ちょっと仕事の相談をしたいの』と言ったから。マンションの一室で、広いワンルームの部屋でした。少し仕事の話をしていたら、社長が立ち上がって『ちょっと来て』と衝立の向こうに消えたんです。ついていったら大きなベッドがあって。断れませんよね」

 康生さんは、社長が自分より一回り年上だとは知らなかったという。夫は入り婿で専務、ふたりの間に子どもがいることは知っていたが、家庭の詳細など知るよしもない。ふだんはてきぱきしたキレ者の社長だが、一緒に食事をしたその日は、妖艶な色気とときどき見せる茶目っ気に圧倒された。

「関係をもったことが信じられない気持ちでした。社長は特に口止めをすることもなく、『タクシーで帰ってね』とポチ袋をくれました。あとで中を見たら2万円入っていてびっくりしましたね。僕のひとり暮らしの部屋へは2000円くらいで帰れたので」

 翌日、会社でばったり会うと、「おつかれさま」と社長は、いつもと変わらない「できる女の笑み」を浮かべて彼を見た。

やがて「ダブル不倫」の関係に

 社長は週に1度か、2週に1度くらいの割合で彼を誘ってきた。ときには「水族館につきあって」とか「バッティングセンターに連れていって」とか、行きたいところに彼を連れ回すこともあった。だがそれは今思えば、彼自身の癒やしにもなっていたという。社長は当時、彼の心がささくれ立っているのを知っていたのかもしれない。

「最初は僕も執事のように仕えている気がしていたんですが、つきあっているうちに、彼女のかわいいところや魅力的なところがたくさん見えてきて、どんどんはまっていきました。一方で、彼女の夫が専務なので、恨まれたらどうしよう、バレたらどうなるのかと考えると怖くもあった」

 最初は周りの目を気にしてびくびくしていても、不倫の恋は人を鈍麻させるところがある。だんだんバレないと思うようになった。30歳を間近に控えたころ、彼は社長からひとりの女性を紹介された。

「彼女と結婚してダブル不倫としてつきあっていこうという、社長からのメッセージですね。僕はそうとらえて、その女性、優子と結婚したんです」

 優子さんは社長の遠縁にあたる女性で、康生さんの3歳年下。かわいらしくて素直な性格だった。結婚式も社長と優子さんがすべて段取りしてくれた。結婚して2年後には長女が、その2年後には長男が生まれた。

「家庭は優子のおかげで、ほのぼのとした温かい居場所になっています。社長が気を遣ってくれて、週に何度か家政婦さんを派遣してくれる。だから妻も忙しいけど、イライラしないですんでいる。ふたりでいつも社長に感謝しているんですよ」

 社長が自宅に来たこともあるのだそう。そのときばかりは康生さんも、社長を社長として見るのが難しかったと言った。

「会社にいるときは社長として見られるんです。気持ちが切り替わっているから。だけど自宅で社長を社長として迎えるのはつらかった。社外では、社長ではなく、ひとりの女性なんです、僕にとっては」

 社長にとって、自分はどういう存在なのか。本当はそう聞いてみたい。だが康生さんはそれを言葉にはしない。そういう性格だから彼女は自分と長くつきあっているのだろうと察知している。

「妻は何か知っているのかと勘ぐったこともありますが、どうやらそういうことは考えないタイプみたいです。社長のことですから、どういう女性なら自分と僕との関係を続けられるのか、そのあたりはお見通しなんでしょう。社長と僕はふたりで妻を騙している。それがときどき、妙に苦しくなりますね」

僕はどういう存在なんだろう

 いつもニコニコと家庭を守っている妻は、彼が遅く帰ると、「お帰り」とテーブルの上にメモを置いておくような女性だ。彼は妻を全面的に信頼しているし、愛してもいる。だが、それと社長への思いは異なる。

 もし、もうつきあえないと言ったら、社長はどうするだろうと彼は考えたことがある。おそらく、怒ることもなく、さらりと「じゃあね」と言われるはずだ。康生さんと自分の遠縁の女性を結婚させたのだから、彼女を困らせるようなことはしないだろうし、社内での彼の立場を悪くするようなこともないだろう。

「社長の夫である専務は、どこまで知っているのかわかりません。ただ、下の子が生まれたあとだったかな、専務と話す機会があったんです。そのとき専務は『きみも大変だね』とニヤッとしたんですよ。そのときはふたり目が産まれて大変という意味かと思いましたが、あとから、もしかしたら専務はお見通しなのかもしれないと気づいて背筋が凍りました。実は社長には他にも男がいるんじゃないか。妻が浮気ばかりしている夫婦なのではないか、そんなふうに思ったこともあります。だからといって僕には何もできないし、社長を束縛するわけにもいかないけれど……。ますます、僕は社長にとってどういう存在なんだろうとは思います。公私ともに飼われているだけなのか」

 康生さんは、誠実に社長に尽くしている。社員としても、ひとりの男としても。社長も康生さんにはよくしてくれる。家庭ごと面倒をみてくれているのだ。それはそのまま康生さんへの愛情なのではないだろうか。

「確かに僕たちは“普通の関係”ではない。普通の不倫関係でさえないですよね。それが僕にとっては、どこかもどかしさを感じる原因になっているのかもしれません。彼女のほうが力をもっていて、決して僕が優位には立てない。もちろんそれでもかまわないんですが……」   

 力関係ができあがっているからこそ、自分の気持ちをストレートに表現できない。彼女への特別な感情が伝わっていないのではないか、自分の気持ちが軽んじられるのではないか。康生さんにはそんな恐れがあるのだろうか。「特別な恋」は、追っても追っても満たされることがないのかもしれない。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮取材班編集

2021年4月14日 掲載