サッカー継続に向けて続く試行錯誤と避けられないクラスター発生

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広大な領土に27の州があるブラジルでは、州や市ごとに規制の度合いが異なるため、大会の進め方に差が出てしまい、賛否両論を呼んでいる。一方、万全を期したはずのU-18代表合宿ではクラスターが発生し、コーディネーターのブランコ氏が一時、重篤状態に。絶対の安全などないことを再確認した出来事だった。

 全国各地でロックダウンや営業・外出規制がますます厳格に行われているにもかかわらず、新型コロナ感染拡大の勢いが留まる気配のないブラジル。

 2月下旬から3月にかけて各州で開幕した州選手権も、いずれも無観客ではあるが、3月24日時点で、全27州中16州で中断もしくは延期されている。

州や市ごとに異なる規制度合い

 その中には、継続させているがために混乱に陥っている州もある。例えばリオデジャネイロ州では、3月26日からの10日間、多くの規制が実施されるものの、市によってその規制の度合いが違う。リオデジャネイロ市とニテロイ市ではサッカーの試合も禁止されるが、同じリオ州内でも他の市では、現時点で禁止されていない。

 そのため、リオ州選手権では、この期間に行われる3節分のうち、リオ市内を本拠地とするクラブのホームゲームを開催可能な市に移して行う可能性が探られている。すでに直近の1節分は他の市への振り分けが決まった。

 延期が決まったはずのサンパウロ州選手権でも開催地の移行が検討され、実際にコリンチャンスvsミラソウ戦がリオ州ボウタ・ヘドンダ市で開催された。

リオデジャネイロ州ボウタ・ヘドンダ市にあるエスタジオ・ハウリーノ・ジ・オリベイラ。同市では試合が禁止されていないため、様々な試合が開催地を移行して行われる予定となっている(Photo: Caique Coufal/Volta Redonda Futebol Clube)

 サンパウロ州選手権を戦うパルメイラスのキャプテン、フェリペ・メロは各クラブの厳しい経営状態に触れ、サッカーの継続には賛成だとしながらも、その長距離移動に疑問を呈し、自身のSNSで二度に渡って訴えた。

 「他の州にはもうウイルスはないとでも言うのか?」

 「僕らは毎日サンパウロで練習しているのに、なぜサンパウロで試合をしてはいけないんだ? なぜ何キロも離れた他の街、他の州に行かなければならないんだ? もっとウイルスにさらされるためか?」

試合開催地の移行に伴う長距離移動に苦言を呈したフェリペ・メロ(Photo: Thais Magalhaes/CBF)

大会の継続に否定的な声も

 そうやって試合会場を移して大会を継続させる可能性は、ブラジルサッカー連盟(CBF)が運営する全国規模のコパ・ド・ブラジルでも探られている。

 この大会の全92の出場枠には、前年の各州選手権の上位チームも含まれているため、ブラジル全国選手権で4部に属するような小規模クラブも多い。テレビ放映権料はもちろん、1回戦突破から始まる賞金は、選手や職員の給料など、クラブの経営に直結する場合も多い。

 また、南米の大会にも出場するビッグクラブにとっては、中断した場合、再開後の日程がさらに過密になるというスケジュールの問題もある。

 一方で、試合開催地の変更は、そもそもの規制の意味が問われる行為にも思われ、メディアでも日々、議論されている。

 「CBFはきっぱり延期し、感染予防への模範を示すべきだ」

 「CBFはお金があるんだから、今は大会の賞金ではなく、補助金で各クラブの援助をすればいい」

 昨年、コパ・ド・ブラジルと全国選手権が延期された際には、CBFが各クラブに対して多くの援助をしてきた例がある。

 また、3月10日に行われたオンライン会議の映像が、10日以上を経て流出したことが、議論に拍車をかけている。

 CBFとブラジル全国選手権1・2部の全クラブがサッカーの継続について話し合ったものだが、その中でCBF会長がこう語っている。

 「私は全国大会の開催を諦めない。TVグローボ(コパ・ド・ブラジルの中継局)は中断を望んでいない。皆さんのスポンサーも望んでいない。そして、もし中断した場合、いつ、安全に再開できる日が来るというのか?」

 「私が大会の開催を決める。今、各大会が中断してしまったら、クラブはめちゃくちゃになってしまうだろう。私が皆さんの負担を引き受ける」

 大きな責任を背負った決意表明である一方、ビッグクラブの会長の中には「会議は議論する余地のない、一方的な通告のようだった」と戸惑いを隠せない人もいた。

万全を期す中で起きたクラスター

 そんな中、2月25日から行われた9日間のU-18ブラジル代表合宿でクラスターが起きた。U-17、U-20のワールドカップと、その予選を兼ねた南米選手権が中止された中、U-20代表を新たな世代で構成し始めるために行われたものだ。

 外部と完全に遮断するため、ペルナンブーコ州レシフェにあるヘトローFCのトレーニングセンター内で宿泊、練習、親善試合のすべてを行った。さらに当然、代表チームも対戦相手も、しかるべきタイミングで感染テストを繰り返し、陰性を確認しながらの進行だった。

 しかし、その日程を終え、リオに戻る前のテストで、ドゥドゥー監督をはじめとする6人のスタッフの陽性が分かった。また解散後、クラブに戻った時点のテストで3人の選手が陽性となった。

 中でも、下部年代代表コーディネーターのブランコ(トップ画像中央)は、集中治療室で人工呼吸器をつけるまでに重症化した。1994年W杯優勝メンバーでもある彼の容態に、多くのサッカー関係者や国民が衝撃を受ける中、本当に幸いなことに、3月23日の段階で、人工呼吸器外すところまで回復したところだ。

 感染予防に最大限の努力はできるが、絶対の安全はないことを、まさに再確認するしかない出来事だった。

 その中で、サッカーの当事者たちが経営や日程など、様々な事情を抱えながら試行錯誤を続けている。

Photos: Joedson Moura/Retro F.C., Thais Magalhaes/CBF, Caique Coufal/Volta Redonda Futebol Clube