ロックバンド「クリープハイプ」のボーカル・ギター尾崎世界観さんの小説『母影(おもかげ)』(新潮社)が1月に発売されました。

マッサージ店で働く母の姿をカーテン越しに見つめる少女の視点からつづられた物語で「第164回芥川賞」の候補作品にも選ばれました。「今が一番幸せ」と話す尾崎さんにお話を伺いました。前後編。

「少女」を主人公にした理由

--『母影』を読んで何とも言えない嫌な気持ちにもなったんですが、それが逆に心地よかったです。子供の頃にうっすらと感じていたことやなかなか言葉にできなかった何かを思い出しました。読者からの反響はいかがでしたか?

尾崎世界観さん(以下、尾崎):今おっしゃったように自分の話として作品に入り込んで疑似体験するような読み方と、「自分には関係ない」と切り離す読み方の半々という印象ですね。いい悪いではなく、「自分がいるところから降りてきて作品に入り込む人なんだ」とか「この人は自分がいるところから動かずに作品に向かう人なんだ」と、その人の感覚が分かるのが面白いです。

(物語に登場するのは)決して裕福で幸せそうな人たちではないのですが、だからと言って“不幸な人たち”を書きたかったわけではないんです。ただそこに暮らす人たちがいて、その生活を淡々と描きたかった。

--「少女」を主人公にしたのは?

尾崎:前作(『祐介』)が自分自身のことを書いた作品だったので、今回は違う題材で書きたかったんです。それに「ミュージシャンが小説を書いた」と先入観を持たれることも分かっていたので、自分とは違う存在を書こうと思いました。

でも、小説にはどう頑張っても自分が出るので、どうせなら自分から極力遠いところにボールを投げて、止まったところ―今回でいえば小学校低学年の女の子―と思い、そこから始めました。でも結局、自分から離れれば離れるほど、自分が出てしまう。それは不思議な経験でした。

僕の場合、特に子供の頃の記憶が強く残っているほうだと思うので、それを思い出しながら書いていきました。子供の頃は自分の気持ちを言葉にして話す機会が少なかったので、冷凍保存されているみたいにしっかり記憶が残っているんです。人と話して言葉にするとだんだん気持ちがそがれていって、記憶も良い意味で壊れていくと思うんですけれど、子供の頃はそういうことがなかったので、しっかりと原形のまま残っている。そういう記憶を小説に書くことで、自分の中で昇華するような感覚がありました。

--「まだ言葉になる前の段階で保存されている」というのは分かる気がします。

尾崎:人は、言語化することである程度「これは何か」ということに対して折り合いをつけている。大人には責任があるじゃないですか。だから、日常生活を送る上で、仕事としての会話と、仕事を終えて家に帰ったときや何かほかのことをしているときの言語が違う。特に仕事中は、みんなで同じ目標に向かっていかないといけないことも多いから、そのための言語になっていきますよね。だから、強引に言葉に気持ちを当てはめている部分があると思います。自分の場合は、こうして話す機会があるので恵まれていると思うんですけれど、機会が与えられているからこそ「しっかりしゃべらなきゃいけない」というプレッシャーもあります。

でもある程度「仕事のためにこの言葉を使う」という部分もあって。そこに気持ちを当てはめていくのも、大変だと思う。だからこそ、そういうことから離れるのも一つの目標でしたね。みんなが言葉で表現している気持ちを、もう一回、もっと厳密にその言葉以外の言葉で表してみたい。それはまだ言葉自体を知らない子供だからこそできるのではと思いました。今回、物語はもちろん、細かい不思議な感性や、「まだ誰も表現したことがない」と思えるものを書きたかったんです。

--仕事のコミュニケーションでは情報伝達が優先ですもんね。

尾崎:ノイズを極力排除してきれいな言葉でコミュニケーションをするのが仕事だと思うので。だけれど、たまに仕事で「そうじゃないその人の一面」が出てしまうと怖いですね。この間も、間違えてマネージャーにプライベートなラインを送ってしまって……。仕事の人間関係と、そうでない部分をしっかり分けるのが社会人だと思うので。だけれど、そこをもうちょっとわがままにやってみようと思ったのが今回の作品でした。

大人になった今が一番幸せ

--別のインタビューで「子供は受け身なことが多いから、そういうことを書きたかった」とおっしゃっていたのが印象的でした。

尾崎:子供はほとんどの時間、大人からの力を受けて生活していく。それを楽だと思うか、不自由だと思うかはその人次第です。たとえば何も気にせず好きに遊んで、ただ純粋に小学生をやっている人もいると思うけれど、自分はそうではなかったんです。

「なんかこれはつまらない」とか「なんでこのタイミングで走らなきゃいけないんだ」と思うこともあって。「一緒に遊んでおいで」って言われても、よく「なんでこの子と一緒にいなきゃいけないんだよ」と思っていた。子供に対する大人の感覚が1と5と10しかないのに、自分は2.7とか6.8という感覚があるから、「6.8なのに1の人と会わないといけない」と気が重くて。そういう目盛りが少ない感じが、ずっと違和感としてあったんです。

--ちょっと分かります。「みんな仲良くしましょう」と言われるのが子供で、大人になった今はそんなこと言われないのですごく楽です。子供の頃の自分は無理していたんだなと大人になって気づきました。

尾崎:大人になるにつれて、やらなくてもいいことが分かってくる。子供はそんなふうに自分から何かを潰(つぶ)していくことはできないので、そういう気持ち悪さがずっとありました。

--そう考えると、やっぱり大人になった今のほうがいいですか?

尾崎:「今が一番楽しい」とずっと思っています。でも、10代後半から20代前半は、生活のためにバイトばかりしていてきつかったですね。本当にバイトが嫌いだったので、いまだに起きたときに「あぁ、バイトに行かなくていいんだな」と思います。当時はどうしてもバイトに行きたくなかったから、シフトも最低限しか入れていなかったんです。一人暮らしだから最低限12万円ぐらいあれば生活できる。みんな「これが欲しいからバイト増やす」と言うけれど、自分にはそれがなかった。最低限生活ができる分 だけ稼いで、贅沢はしないようにしていました。バイト中、とにかく仕事ができなくて。今はできることを仕事にしているので、本当に幸せなんです。

--特に今の30代半ばの世代は「できないことをできるようになりましょう」と言われて育った世代だと思います。「できない自分」に対してはどんなふうに思っているのでしょうか。

尾崎:できなくて悔しいと思うことは、時間をかけてでもできるようにします。自分の場合は一回でできることがまずないので、何回かぶつかって、ちょっとずつ壊して何回目かでやっとできるというパターンが多いですね。音楽は「まだ続けていたんですか?」と言われることもあったけれど、できなくて悔しかったことは音楽が初めてだったんです。

でも年をとると、できなくて悔しくなることとそうでもないことがすごく明確になりますね。音楽活動と並行して小説を書いているのは、やっぱりできなくて悔しかったからなんです。さっきも言ったように、どうでもよくてできないことはやらなくていいと思っているんです。段階で言うと「できないからやめちゃう」が一番下で、真ん中が「もとからできること」。最上級が「できなかったときに悔しいこと」ですね。音楽と小説を書くことは、両方とも「できなかったときに悔しいこと」だったんです。

(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘)