アイデアがひらめいたら、まずは手を動かすことが重要だという理由とは(写真:Rawpixel/iStock)

ユーザーインターフェースの世界的第一人者であり、スマホで当たり前に使っているスマートスキンや、世界初のモバイルARシステム開発者である暦本純一さん。

暦本さんは、手を動かすこと、試行錯誤の大切さを強調する。うまくいかなくて挫折しそうなときは誰にでもある。そんなとき、この暦本さんの言葉はきっと大きな力を与えてくれるはずだ。

著書『妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアのつくり方』からお届けする。

いいアイデアは自分だけが思いついているとは限らない

アイデアは、思いついただけでは実現しない。それが形になるまでには、紆余曲折といったほうがいいような、さまざまなプロセスがある。

技術開発なら、アイデアが固まったところで実験や試作が始まるが、どんなにいいアイデアでも、一発で成功するのはまれだ。ほとんどは途中で思いがけない問題が生じる。

それを解決して先に進むには、さらなる「アイデア」が必要になることもある。その壁を突破するひらめきを得るまでに、最初のアイデアを考えるとき以上の「生みの苦しみ」を味わうかもしれない。しかし、これは少しも悪いことではない。私の場合、途中で何も苦労することなくうまくいったときのほうが不安になるぐらいだ。

というのも、いいアイデアは自分だけが思いついているとは限らないからだ。新しいアイデアは世界で同時多発的に生まれる。同じ程度の技術水準になれば、同じような「既知×既知」から未知のアイデアに到達する可能性は、思ったよりも高い。

つまり、広い世界のどこかに、同じ思いつきを実現しようとしている人間は必ずいると考えたほうがいいだろう。だから、自分のアイデアが一発でうまくいくと、「これだとほかの誰かにもできてしまうな」と思ってしまう。実際に先を越されているかどうかはわからないけれど、自分でなくてもできそうなアイデアはオリジナリティーが低い可能性があるわけだ。

同じようなアイデアは、自分以外にも思いつくことができる。でも、その実現を阻む壁を乗り越えられるのは自分しかいないかもしれないし、乗り越え方に自分らしさが出せるかもしれない。そう思うと、1回やってみて失敗するぐらいのほうが、やりがいのある面白いアイデアのように思えるのだ。

なかなか壁を突破できず、2回、3回とやり方を練り直すことも多い。これは苦しいと言えば苦しいが、「ここから先はどんなライバルも脱落するはずだ」と思えるレベルに突入すると、逆にファイトが湧いてくる。

例えばNHKの「プロジェクトX」のような番組では、企業の開発チームが新製品を完成させるまでの失敗の連続が、“どん底”のように描かれる。その苦境から立ち上がり、根性やチームワークではい上がるストーリーだ。

でも、あれが現実の雰囲気を再現しているとは私には思えない。実際にそれを手がけた人たちは、どんなに失敗を重ねても結構それを楽しんでいたのではないだろうか。あるいはそのプロセスを楽しいと思えるチームがイノベーションを生み出すのではないだろうか。私にはそんなふうに思える。

見る前に跳べ

失敗やダメ出しを怖がる人は、そもそもアイデアの実行になかなか着手しない。実はそれがいちばんの問題だ。

慎重な行動を美徳と考えて「自分は熟考型なんだ」などと思っている人もいるだろう。しかし「石橋をたたいても渡らない」とでも言わんばかりに時間をかけて熟考していると、打席に立つ回数は増えない。「見る前に跳べ」という題名の詩や小説があるが、いいアイデアを思いついたら様子を見ていないで手を動かすことだ。手を動かしていれば、たとえ失敗しても熟考の何倍もの発見があるだろう。

料理の素材と同じで、アイデアも鮮度が大事だ。思いついたら、フレッシュなうちに手を動かして調理を始めたほうがいい。「この葡萄はなぜすっぱいのか」と食べもしないで理屈を立てている時間があったら、はしごを持ってくるでも何でもして、とにかく葡萄を取ってしまったほうがいい。

そういうスピード感の重要性を思い知らされるエピソードがある。2014年に発表された「GAN」というAIアルゴリズムの研究をめぐる話だ。

少し前から、「この世に存在しない人間の顔写真」をネット上でよく見かけるようになった。存在しないのだから「写真」と呼ぶべきではないかもしれないが、どう見ても実在するようにしか思えない不思議な画像だ。それを作るのに使われているのが「GAN」(Generative Adversarial Networks=敵対的生成ネットワーク)である。

複雑そうな名前だが、アイデア自体はシンプルだ。用意するのは、2つの相反するニューラルネットワークだ。1つは、何かを「本物」っぽく作ろうとするニューラルネットワーク。もう1つは、それが作ったものの「うそ」を見抜こうとするニューラルネットワーク。いわば泥棒と警官のような関係だと思えばいいだろう。

一方が本物と見分けのつかない精巧な偽札を懸命に作ろうとするのに対して、もう一方は偽札と本物の違いを懸命に見つけようとする。それを戦わせるから「敵対的」という。戦いのレベルが上がるにしたがって、「偽物」はどんどん「本物」に近づいていく。そうやって作ったのが、「この世に存在しないけど超リアルな人間の顔」だ。

これを考案したのは、イアン・J・グッドフェローという若き天才だった。グッドフェローは仲間と一緒に夕食をとりながら話をしているうちに、このアイデアをひらめいたという。そして食事を終えると、すぐに思いついたばかりのアイデアを試してみた。まさに、見る前に跳んだわけだ。

そこでなかなかいい結果が出たので、グッドフェローはその翌日にすぐ論文を書いて発表した。

もちろん、翌日に書いた最初の論文はまだ不十分なものだ。そこで完璧にシステムが完成したわけではない。敵対的生成ネットワークが機能することは証明されたが、欠陥もあった。でも、こういうインパクトのある論文は研究者コミュニティーの中で一気にバズる(拡散する)ので、皆がいろいろな実験を始める。それによって問題点が次々と解決され、GANはあっという間に使えるネットワークとして普及していった。

この話だけ聞くと、「やっぱり天才にはかなわない」と思う人もいるだろう。しかし想像するに、いくら天才とはいえ、グッドフェローがいつもこのやり方で成功を収めているはずはない。同じように何かを思いつき、速攻で実験してみたものの、完全に空振りに終わったという経験をきっと何度もしていることだろう。そうやって何度も打席に立っているから、GANのようなホームラン級の成功が飛び出すのだと思う。

「思いついたらとにかく手を動かす」のは、アイデアを形にするうえでそれぐらい大きな比重を占めていると私は思う。

試行錯誤は神との対話

試行錯誤は、はたから見れば地道な作業だろう。でも、地道に手を動かすことによって、さらに別の妄想が湧いてくることもある。

だから私は、何度も失敗を重ねながら手を動かす時間は「神様との対話」をしているのだと思っている。天使のようなひらめきは、腕を組んで考え込んでいてもやってこない。手を動かしながら、神様に向かって「こうですか? これじゃダメですか? やっぱり違います?」などと問いかけ続けると、いつか神様が「正解はこれじゃ」とひらめきを与えてくれる。そんなイメージだ。


そういうひらめきを得ながら、試行錯誤を重ねてゴールまで到達する経験を一度でもすると、自信が持てるようになる。そういう成功体験がなく、失敗に嫌気がさして途中で投げ出してしまうことが何度かあると、逆に自信を失ってしまう。そういう好循環を起こすには、とにかく一度は放り出さずに最後までやり切る経験をしたほうがいい。

それがどうしてもできないとしたら、自分の取り組んでいることが本当に「やりたいこと」なのかどうかを再点検してみる。

人からやらされることはそんなに長く続けられない。「こんなの自分には難しい」と思ったら、放り出したくもなるだろう。学校の勉強と同じだ。

でも、自然に手が動いてしまうような、好きでやっていることは、いつまでも続けられる。人から「もうやめなさい」と言われてもやめたくない。自分の「やりたいこと」が見つからないという人は、今の自分が何に手を動かしているかを考えてみるといいかもしれない。