レア背番号「33」を愛した9人の男たち

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今日は3月3日。ということで、以前紹介した「33番」をつけた選手たちをあらためて振り返ってみたい。

ガブリエウ・ジェズス(マンチェスター・シティ)

シティでは2019年シーズンに9番に変更したジェズスだが、パウメイラス時代から33番を愛用。

その理由は彼は敬虔なクリスチャンであり、名前でもあるイエス(ジェズス)・キリストが磔刑に処せられたのが33歳の時であったというもの。

チアゴ・シウヴァ(チェルシー)

36歳になった現在もDFリーダーとして君臨するチアゴ・シウヴァ。主に2番か3番を着用してきたが、世界的な選手に成長したミラン時代の番号が33だ。

ちなみにこの番号を選んだのは、同クラブのバンディエラであるパオロ・マルディーニに憧れていたからである(ミランでマルディーニの3番は実質永久欠番)。

宇佐美 貴史(ガンバ大阪)

宇佐美にとっての33番はG大阪でプロデビューした際の番号であり、ホッフェンハイム、F・デュッセルドルフ、そして復帰したガンバでも背負っている。

その理由は「ウサミの“ミ”だし、住所とか大事な日にも3が付くことが多い」、「ドイツで公式戦初ゴールを挙げたときも89分33秒。ぴったり33秒やったんですよ」とのこと。

ハンス・ハテブール(アタランタ)

近年躍進を続けるアタランタに所属するオランダ代表DFは、自身のSNSアカウントにこの数字を入れるほど33番を愛している。

33番こそが自分の番号だと語っており、アタランタでは2番に変更できたものの、自分には無用と断ったほど。

ダニーロ・ダンブロージオ(インテル)

長友佑都が在籍した当時のインテルは右のダンブロージオが33番、左の長友が55番と、“ゾロ目”の両サイドバックとしても知られた。

その理由については「33番を選んだのは、3番が好きだから。インテルに加入した際、その番号はつけることができなかった。偉大なるジャチント・ファッケッティの永久欠番だからね。だから、3を付け足してダブルにしたんだ」と語っている。

塩谷 司(アル・アイン)

中東での活躍によって日本代表に復帰し、アジアカップにも出場した塩谷。彼にとって33番は特別な背番号だ。

プロデビューした水戸では別の番号だったが、移籍したサンフレッチェ広島で「33」を背負い、5年間で3度もJ1優勝を経験。アル・アインに移籍してからもこの番号を愛用している。

マリオ・ゴメス

21世紀以降のドイツを代表する大型ストライカーは、シュトゥットガルトでの2シーズン目以降、バイエルン、フィオレンティーナ、ベシクタシュ、ヴォルフスブルクと13シーズン半に渡って33番を背負った。

「33番と自分は公然と密接している」と語るほどだったが、シュトゥットガルトへ復帰して以降は27番をつけた。

ペトル・チェフ

チェコのレジェンドGK。アーセナルでの最初の3シーズンは33番を着用した。

その理由について自身は「33番で新しい一章を始めるのは、現在33歳であること、そしてプレミアリーグの出場試合数が333だからだ。選ぶのは簡単だったよ」とコメントしている。

藤田 義明

元ワンギャルの妻を持つことでも知られたDFは、国内の誰よりこの番号に想い入れのある選手かもしれない。

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プロ入りした千葉でこそ26番だったが、大分、磐田と14シーズン以上に渡ってこの33番を背負って戦い続けた。