海外に比べて日本の教育はレベルが低いのだろうか。国立台湾大学准教授の小松光氏と京都大学大学院准教授のジェルミー・ラプリー氏は「45歳から54歳までの学力は世界一で、日本の授業は海外から高く評価されている。アクティブラーニングなどの新しい教育手法を無批判に取り入れるのではなく、教育現場の現実から学ぶべきだ」という――。

※本稿は、『日本の教育はダメじゃない 国際比較データで問いなおす』(ちくま新書)の一部を再編集したものです。

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■日本の教育レベルの高さを研究するアメリカ

では、何が日本の子どもたちの高い学力の主因なのか?

非常に面白い問いですが、残念ながら、日本の教育研究者はこの問いを十分に検討していません。彼らは概ね、日本の教育をダメだという前提で研究をしているので、日本の教育のうまくいっている部分を見ようとしません。

ですから、「日本の子どもたちは、なぜ学力が高いのか?」という問い自体を思いつくことがないのです。日本の教育研究者も、最近ピザなどのデータをだんだんと使うようになってきてはいますが、日本の教育がダメだと言うために、様々あるデータを恣意的に選択して使っているように見える場合すらあります。

ただ、海外の研究者の中には、日本の高い学力の原因を真摯(しんし)に調べている人もいます。例えば、アメリカの教育研究者のジェームス・スティグラーがそうです。

彼は、日本の小中学校とアメリカの小中学校を丹念に比較する研究をしています。その研究成果は、1990年代に、『学びの差異』『教えの差異』という2冊の本にまとめられています。これらの原題は、それぞれ『The Learning Gap』と『The Teaching Gap』と言います。この2冊は、ほとんどの教育研究者がその名前を知っているベストセラーです。

ところで、『学びの差異』『教えの差異』の「差異」が何と何の差異かと言えば、日本とアメリカの差異です。スティグラーはアメリカの教育が子どもたちに高い学力をつけさせることに成功していないことを問題視し、それに成功している日本に学ぼうとしているのです。

■日本とアメリカの「学力」に関する考え方の違い

スティグラーは、日本の高い学力が、主に教育に対する信念と先生たちの教え方によってもたらされていると考えています。まず、教育に対する信念について説明しましょう。日本では、学力を決める要素としてより重要なのは、才能よりも努力だと一般に考えられています。

一方アメリカでは、努力よりも才能だとされています。このような信念の違いは、子どもたちの行動の違いとなって現れます。例えば、あなたがテストで悪い点を取ったとしましょう。もし、学力を決める要素として、才能よりも努力のほうが重要だと信じているなら、あなたはテスト結果を自分の努力不足として解釈します。

こう解釈した場合、あなたは次回のテストに周到な準備をして臨むでしょう。一方、もしあなたが、学力を決める要素として、努力よりも才能のほうが重要だと信じているなら、テストの結果を才能の欠如として解釈します。

そうすると、次のテストに向けて周到な準備をするという行動にはつながりにくいでしょう。このように、努力が重要だという信念は、学力を高めるために意味のある行動につながるのです。

■圧倒的に「発見・思考型」の問題を扱っていた日本の教育

次に、先生たちの教え方について説明しましょう。

スティグラーは中学校の数学の授業をビデオによって記録・観察し、日本の先生たちの教え方がアメリカやドイツと異なっていることを発見しました。スティグラーは、日本の先生たちが、より多くの時間を子どもたちに与え、数学の別解(別の解答法)について発表させていることを報告しています。

別解を考えることは物事を別の角度から見る訓練ですので、これは発見的・思考的な課題と言えます。図表1aは、別解についての発表が含まれていた授業の割合(総授業数に対する)を示しています。

出所=Stigler1999、69〜71ページ

日本はこの割合が42%であるのに対し、アメリカとドイツはそれぞれ8%と14%でした。同様にスティグラーは、日本の先生が子どもたちに、単純な練習・応用問題よりも、発見・思考型の問題を与える傾向にあることを報告しています。

図表1bは子どもたちに与えられた課題のうち、どれだけが発見・思考型問題であったのかを示しています。

出所=Stigler1999、69〜71ページ

日本は、発見・思考型が44%であったのに対し、アメリカとドイツはそれぞれ1%と4%でした。日本の学校教育はしばしば、創造性を育まないからダメだと言われますが、スティグラーが実際にきちんと調査をしてみると、発見・思考型の課題が使われていて、創造性を育む教育が行われていました。

さらに、スティグラーは授業の質についての評価も行っています。彼は「高度な数学の習得が目標とされているか、目標達成のために適切な授業方法・内容となっているか」という基準で評価しています。

■90年代の時点ですでに創造性を伸ばす教育を行っていた日本

もちろんこの評価はある程度主観的なものにならざるを得ません。それでも、この評価は、十分に経験を積んだ数学者と数学教師のチームによって行われているため、評価結果に一定の信頼性があります。

スティグラーによれば、日本の数学の授業は、アメリカとドイツに比べてずっと質が高いようです。質が高いとされる授業の割合は、日本が39%であるのに対し、アメリカは0%、ドイツは28%でした(図表2)。

出所=Stigler1999、65ページ

1つ補足ですが、このスティグラーが使った授業のビデオは、1994年から1995年に撮られたものです。けっこう昔ですね。1990年代以降、日本は学校教育に対する改革を多数行ってきました。

2000年代にはゆとり教育が本格的に導入され、2020年にも「アクティブラーニング」の導入を含め、再度教育改革が行われました。どちらの教育改革も、これまでの学校教育が知識偏重だったという反省から、より創造性を伸ばす教育へと移行することを目指したものです。

しかし、スティグラーによれば、1990年代の日本の学校教育も、少なくともアメリカやドイツに比べれば創造性を伸ばす教育だったことになります。2000年以降の教育改革を準備した方々は、このスティグラーの本を読んでいなかったのでしょうか?

■日本の45歳から54歳までの学力は世界一

日本のかつての教育が創造性を伸ばすものであったことを、ピアックのデータも傍証しています。

ピアックとは大人のためのピザでしたね。大人を対象として、知識を創造的に使えるのかを調査しています。もし旧来の教育が創造性を伸ばすものでなかったとするならば、その教育を受けた世代の日本のピアックの点数は低いはずです。

しかし、現実にはそうなってはいません。図表3を見てください。

出所=ピアック2011 年〜2016 年

この図表には、ピアック(2011〜16年に実施)を受けたときに45歳から54歳だった世代の数理的能力と読解力の点数が示してあります。日本は世界一です。この世代は、「新しい学力観」が提示される1980年代末より前の教育を受けています。

それにもかかわらず、少なくともピアックで計測される創造性に関しては参加38カ国中で1位なのです。なるほど、旧来の日本の授業は一斉授業だったし、先生が授業をリードしていたかもしれません。見た目は古臭いかもしれません。

小松 光、ジェルミー・ラプリー『日本の教育はダメじゃない 国際比較データで問いなおす』(ちくま新書)

ですが、スティグラーの調査やピアックの結果からすると、どうやらこの古臭く見える教育は子どもたちの創造性を育むことに成功していたようなのです。ここから学ぶべき教訓は、見た目に騙されてはいけないということかもしれません。

私たちは大丈夫でしょうか?

いま、アクティブラーニングが導入されつつあります。子どもたちが授業を受動的に聴くのではなく、自ら活動することを通じてアクティブに学ぶ。かっこいいですね。ですが、自ら活動することで、見た目だけでなく、子どもたちの頭の中もちゃんと「アクティブ」になる保証はあるのでしょうか?

スティグラーの調査結果やピアックの結果は、こうした問いを私たちに突きつけているように感じられます。

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小松 光(こまつ・ひかる)
国立台湾大学気候変動・持続的発展国際学位プログラム准教授
1975年生まれ。東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了。博士(農学)。総合地球環境学研究所、東京大学生産技術研究所、九州大学農学研究院、京都大学白眉センター、京都大学大学院教育学研究科などを経て現職。世界銀行、国際連合教育科学文化機関などのアドバイザーも務める。著書に『日本の教育はダメじゃない 国際比較データで問いなおす』(ちくま新書)がある。
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ジェルミー・ラプリー京都大学大学院教育学研究科准教授
1977年生まれ。オックスフォード大学教育学部博士課程修了。博士(教育学)。東京大学大学院教育学研究科、京都大学白眉センターを経て現職。世界銀行、国際連合教育科学文化機関などのアドバイザーも務める。著書に『日本の教育はダメじゃない 国際比較データで問いなおす』(ちくま新書)がある。
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(国立台湾大学気候変動・持続的発展国際学位プログラム准教授 小松 光、京都大学大学院教育学研究科准教授 ジェルミー・ラプリー)