「今最も勢いのある料理家」と言われるMizuki氏が得意とするのは、「簡単・時短・節約」レシピの考案だ。写真は「鮭の野菜あんかけ」(写真:主婦の友提供)

毎朝、レシピをアップするブログのページビュー(PV)が月間300万に上り、インスタグラムのフォロワーは60万人を超える。レシピ業界筋から「今、最も勢いがある」と評される料理家Mizuki氏は、実は拒食症で苦しんだつらい過去を持つ。

その体験を赤裸々につづったエッセイ集『普通のおいしいをつくるひと』を1月に上梓している。一時は体重が23キロまで落ちたという彼女を奮い立たせ、人気料理家に導いたものはなんだったのだろうか。

19歳から23歳ま入退院を繰り返す

和歌山県に住む34歳のMizuki氏は幼い頃から感受性が豊かだったという。小学校の頃、8時15分までに着けばいい学校に、7時半までに着いていなければ不安で、予定が狂うと学校へ行けなくなった。

理想の自分になれない歯がゆさを抱えていた高校時代、うつ病になり食事がのどを通らなくなっていく。体重計に乗って体重が減っていると、安心し満たされた気分になったという。大学進学で家を出たものの、体調を崩した母を手伝うために実家に戻った後、1人暮らしの部屋に帰れなくなってしまう。


ブログやインスタのほか、レシピ本も人気のMizuki氏(写真:主婦の友提供)

体重が増えるのが怖くて、食べられない日々。病院に行けば、食べなくてはならなくなる、と通院も拒否した。ついには、身長162センチに対し体重は23キロまで下がり、胃痙攣を起こして病院へ緊急搬送される。「動かしたら死んでしまう」と言われて入院した。19歳から23歳まで、入退院をくり返したという。

その後、通院した総合病院で、「食べたくなったときに、食べたいものを口にすればいい」と言ってくれる心療内科医と出会え、投薬で恐怖心が薄らいでいる間に固形物を食べるようになる。冷静さを取り戻し始めると、支えてくれる家族の負担を思いやれるようになった。そんなあるとき、体重が増えてもいい、「もういいや」と自分を許す瞬間が訪れ、回復へ向かう。

特に負担をかけていた相手が、母だった。病院で、「どうしてこんなになるまで、ほおっておいたのか」と責められるのも母。病院への送迎、入浴介助。「死にたい」と泣いたとき、「一緒に死のうか」と言ってくれた。食べ過ぎるのを恐れて家で食べられなかったとき、外食するのに付き合ってくれた。母の努力に応えたい。その思いが、Mizuki氏を料理の道へと進ませる。

もともと、料理の心得はあった。子どもの頃から母の台所仕事を手伝い、両親が共働きで忙しくなった高校時代には、レシピ本を参考にしながら家族のために食事の支度をしていた。拒食症で自分は食べたくないことから、かえって家族にはお腹いっぱい食べさせ、残してほしくないと願った。よく作ったのは、母が好きな肉じゃが。

24歳になって「何かを始めなければ」と思ったときも、まず料理をした。最初に作ったのはマフィン。目の前に並べたチョコレートやバターを、1人で食べてしまいそうで怖い。甘い匂いにパニックを起こしかけたが、母を喜ばせたい一心で毎日焼き続けた。

病院で販売すると売り切れるほどに

この頃、付き添いの母が通院先の病院内の売店で働く女性と親しくなっていた。その女性から、売店にお菓子を置かないか、と言われた。実はMizuki氏、食品を卸すために必要な調理師免許を持っていた。

入院中は食べ物のことが頭を離れず、レシピ本を読み、食品成分表を調べて食品のカロリー計算をくり返していた。Mizuki氏は「栄養のことや食品のことをすごく追及して調べたので、調理師免許の試験を受けたら受かる、と思い資格を取っていました」と語る。

高校時代から手伝いを頼まれ、すし屋で厨房のアルバイトをして総菜やデザートを作った経験もあった。売店に卸したマフィンは、初日の24個は午前中で売り切れ、継続して卸すことになった。


母のそばで焼いていたマフィンが、Mizuki氏の道を切り開くことになった。写真は「レモンマフィン」(写真:主婦の友提供)

お菓子の販売はMizuki氏にとって、渡りに船の提案だった。やせた身体を人に見られたくない、同情もされたくない、と対人恐怖も強くなっていたからだ。「人とちゃんとしゃべれないし、しゃがんだら立ち上がれない。仕事はしたいけれど、外に働きに行くことはできず、家でできることと考えたら、料理しかないと思っていました」とMizuki氏は振り返る。

しばらくすると、母の友人から会食に誘われ、勇気を出して母と3人で会ったときに、「カフェをやってみるのはどう?」と持ち掛けられた。ちょうど仕事を辞めたばかり、という幼なじみが接客を引き受けてくれ、一緒にやることになった。

小さな町の人たちは、Mizuki氏の病気をすでに知っていて、心配してくれていたのだろう。2012年11月に開いた「31CAFE」は開店前にたくさんの花が届き、当日は開店前から行列ができ、人気店になる。厨房にいると、「おいしいね!」と喜ぶ客の声も聞こえる。自信をつけたMizuki氏の心から、対人恐怖が次第に薄れていく。

その頃、幼なじみのスマートフォンにたくさんアプリがインストールされているのを見て、自分も何かしなければ、と見つけたのが料理写真投稿アプリ。上位になったら、レシピ本を出すチャンスがある。「普通に就職するだけでは、母に返せない。普通以上のことをできるぐらいになって、喜ばせたい」と思っていたMizuki氏は、出版を目標に店の料理を投稿するうち、アプリ内で1位となる。

編集者に目を止めてもらうために、2013年11月からブログも開始。カフェで身に着けた、「簡単・時短・節約」という切り口を生かした料理レシピを投稿し続け、フォロワーとのやり取りでコミュニケーション力も育っていく。

何より仲間ができた手応えが大きかった。実は、アプリで病気を告白したことがあった。すると、自分や家族も同じ状況にあるという人や、応援メッセージを寄せてくれた人がたくさんいたのである。

そして2014年、初めてのレシピ本を刊行し、料理家への道を切り開く。本ができたときに「山を越えた。病気から抜け出せた」という気持ちになれた。「料理家とカフェの仕事は、どちらも簡単なものではないから、両方はできない」と思っていたMizuki氏は、以前カフェオーナーになる夢を話してくれた従業員に店を譲り、料理家専業にシフトする。現在までに刊行したレシピ本は13冊、今年も1〜2冊の刊行予定を抱えている。

簡単・時短・節約で心がけていること

SNS出身の料理家は、自分の読者をよく知っている。Mizuki氏も「いいね」数やインスタグラムの保存数などから、「こういう味つけが好きなのか、とか、こういう調理法なら作ろうと思うのか、と分析しながらレシピを考えます」と話す。

ブログの読者は、35〜45歳の子育て世代を中心に、60代まで広がる。「家族が喜んでくれた」という声が多い。インスタグラムは25〜35歳が中心で、「彼氏がおいしいと言ってくれた」「Mizukiさんのレシピならできた」といった声が目立つ。

簡単・時短・節約レシピの提案で心がけているのは、「火が通りにくい素材をあまり使わないこと。切り身魚を使うなど、下処理があまりいらないものを使うこと、合わせ調味料をあらかじめ作っておくこと」だ。

味つけも奇をてらわない。どこの家庭にでもあるマヨネーズやめんつゆといった市販の合わせ調味料のレシピ登場頻度が高い。「シンプルに塩コショウだけでも十分においしいと思いますが、献立に変化を出すためには、アレンジが必要。皆さん、そうやって日々の食事を回しておられる印象があります」とMizuki氏は言う。

読者から寄せられる悩みで最も多いのが、その日の献立を決めることだ。特にコロナ禍、「朝作ったと思ったら、お昼ご飯のことを考えて、食べたと思ったら夕ご飯の準備が始まる。1日中ご飯のことばかり考えて過ごしています」という声がたくさん届いた。


「しょうがじょうゆから揚げのプレートランチ」。マヨネーズやめんつゆなど家にある調味料でおいしく作れるのもMizuki氏のレシピの特徴だ(写真:主婦の友提供)

そうした悩みを抱える人たちに向けて投稿を続けている。「朝に投稿することで、朝のうちから『今日はこれを作ろう』と決めたらラクになってもらえる」と話す。自身は朝、レシピを投稿し、夕方まで新作提案のための試作を繰り返すルーチンを守ることで、精神の安定を保っているという。

もう1つ心がけているのは、「失敗しないレシピ」の提案だ。SNSで華やかな料理の投稿を見て自信を失っている人が多い、と感じていたMizuk氏はあるとき、インスタのストーリーズに、「鶏肉のほったらかし煮」のアレンジに失敗して焦げた写真をアップ。

「安心しました」「Mizukiさんでも失敗することがあるなら、私も失敗するはずだ」「気持ちがラクになりました」といったメールが大量に届いた。「失敗しないレシピを作り上げて提案するのが私の仕事なので、私が皆さんのかわりに失敗をしています」とMizuki氏は語る。

周囲の反応が料理をする手応えに

拒食症を経て料理を再開した頃、ベイクド・チーズケーキを作り続けていた。「味覚障害は残っていたのですが、作るたびに味見をしていました。だんだん味がわかるようになってきて、チーズケーキがすごくおいしいと思いました。今もたまに作ることがあるのですが、やっぱりおいしいなと思います」。

人が働き続けるには手応えが必要で、それは台所の担い手にとっても同じだ。食べられない苦しい時期を過ごしたMizuki氏は、だからこそ手応えを切実に必要としたのだろう。

高校生の頃は家族が感想を言ってくれた。お菓子を売り始めた頃は母親が、レシピを提案するようになってからは、祖母が忌憚のない意見を言ってくれる。Mizuki氏には、作った料理に向き合ってくれる家族が、拒食症を抜け出す最大の支えになった。そして、カフェの顧客になってくれた地域の人たちがいた。SNSで仲間ができたことも、大きな支えになっている。目の前にはいないが仲間となった人たちの存在が身近にいることが、とても現代的である。

一方で、Mizuki氏の向こうには、無反応で料理を食べる家族たちの存在も見え隠れする。

外食がままならないコロナ禍で、台所の担い手たちの悲鳴が大きくなったのは、たった1人で3食賄う大変さに加え、手応えが少ない人が多かったからかもしれない。料理をしてもらっている家族は、もっと感謝してもよいのではないだろうか。感想を伝えることは、台所の担い手の励みになると同時に、より上手になるためのステップでもあるのだから。