数学が苦手な学生は、小学生時代に受けた算数の授業に問題があったのかもしれません(写真:KazuA/PIXTA)

筆者は1978年から5つの大学での専任教員、5つの大学での講師を合わせて約1万5000人対象(文系・理系は半々)に授業をしてきた。また、1990年代半ばから数学嫌いの改善を主な目的として、全国の小・中・高校などでも約1万5000人を対象に出前授業をしてきたことになる。

そして現在、「小学校時代の算数の教え方次第で人生の進路は決まる」という考えをもっている。本稿では主に、その訳を説明しよう。

間違った整数の覚え方

ここに多くの男の子と女の子がいるとき、「その人数は男子が多いか、女子が多いか、それとも同数か。それぞれの人数を数えないで答えられるか」という質問には、男子と女子が一人ずつ手をつないでもらえればわかる。余った方が多く、余った人がいなければ同数だからである。

この発想は「1対1の対応」と言われ、整数の概念が生まれる前は、トークンと呼ばれる粘土細工によって物品の管理に用いられていた(紀元前8000年〜紀元前3000年頃)。また現在では、数学の集合について語るときの基礎として重要な働きをしている。


筆者は大学院生の頃を中心に家庭教師を散々行って成功した思い出が多いものの、わずかであるが小学生の算数で失敗の経験もある。

それには共通の特徴があり、最初の面談のときに、親御さんから「うちの子どもは小学校の入学前から数字をよく覚えていて、50ぐらいまでスラスラ言えたほどです。それがどうも伸びなくて……」と言われたことである。

そして、お子さんに指導を始めてすぐに気づくことは、親御さんの整数の教え方が根本的に誤っていたのである。単に「イチ、ニ、サン、シ……」と鳥のオウムに暗唱させるような教え方で、50ぐらいまで覚えさせていたのである。

本来ならば、同じ3ならば3人、3枚、3個というものは1対1の対応がつくように、3という抽象的な数を理解できる例を一緒に示す必要がある。それを完全に省略して教えてしまったために、お子さんは整数に関して強い苦手意識をもってしまったのである。

余談であるがオウムの名誉のために述べておくと、かつてアレックス君というオウムが6までの整数を正しく認識していたことは有名である。

小学校の算数教育で必ず登場することに「九九」がある。3×4=12の「サンシジュウニ」ならば、3+3+3+3=12を示した後に暗記させるものである。ところが、困った指導が一部で行われて、3×4=12のような意味を示す前に九九を全部暗唱させていたのである。

今年度の本務校ゼミナール学生もそのような指導を小学校で受けた思い出が鮮明に残っていて、「なんの言葉なのかサッパリわからないまま、ただただ暗記させられました。疑問に思って学習塾に通っていた友人に尋ねたところ、3×4=12の意味があって「サンシジュウニ」があることが納得できました」と説明したのである。

筆者は「九九の暗記は大切」という考えをもっている。しかし、九九を導く式の理解を省略して覚えてもつらい気持ちしか残らないことは明らかである。

「比と割合」の意味を理解していない

また、算数の教育で最も重要と考える「比と割合」すなわち「%」の概念の教育では、「基準とする対象を1あるいは100%とすると、比べられる対象はどのくらいになるか」という理解がまず大切であるものの、そのような理解を省略して、それらの関係式の暗記だけの教育が広まっている。

これに関しては学習塾関係者も危惧の念を述べているが、以下のような呆れた事実が結果として表れている。暗記だけの学びは忘れるのが早く、一旦忘れると手も足も出ないことに注意したい。

2012年の全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)に出題された小学6年生対象の問題で、「赤いテープの長さは120cmで、赤いテープの長さは白いテープの長さの0.6倍」を示す図を選ぶ4択問題の正解率が34.3%であった。

2012年度の全国学力テストから加わった理科の中学分野(中学3年対象)で、10%の食塩水を1000グラムつくるのに必要な食塩と水の質量をそれぞれ求めさせる問題が出題された。

これに関して、「食塩100グラム」「水900グラム」と正しく答えられたのは52.0%にすぎなかった。1983年に、同じ中学3年を対象にした全国規模の学力テストで、食塩水を1000グラムではなく100グラムにした同一の問題が出題され、この時の正解率は69.8%だった。

理解を無視した暗記だけの算数・数学の学びは中学や高校でもますます盛んになっている(拙著『AI時代に生きる数学力の鍛え方』(東洋経済新報社)参照)。背景には、社会全体に「結果さえ良ければそれでよし」というプロセス軽視の風潮もあるだろう。それが算数・数学の学びの世界にも浸透してしまったと考える。かつて、「算数・数学は最後の答えが合っても途中の式をしっかり書かなくてはダメ」と散々言われた時代を懐かしく思い出すのである。

筆者は22年間の理学部数学科での教員生活を経て、2007年から現在の本務校のリベラルアーツ学群に勤めているが、しばらくの間は補職として就職委員長を歴任した。当時は学生の就職状況が悪く、算数・数学を苦手とする学生に、関連する非言語問題対策として何らかのサポートをすべきという思いから、後期の毎週木曜日の夜に「就活の算数」ボランティア授業を行った。

筆者の手当て一切ナシは当然として、学生も単位認定一切ナシでも、3年間で約1000人の学生が授業に参加した。昼の正規の授業と合わせて週に10コマ近く行っていたが、それによる疲れはまったく感じない充実した授業であり、昔の寺子屋を想像したほどである。

実はその授業を通して重要なことを学んだ。苦手意識をもつ数学嫌いの学生の多くは、上述したように小学生の頃から理解を無視した暗記の算数・数学教育を受けてきたことである。何人もの学生から、「こんなに理由を説明してくださる先生に教えてもらったことは人生で初めてです」と伝えてもらった。このような話は、数学科の教員時代には一回も聞いたことがなかったことである。

「数学嫌いの若者」が生まれる経緯

かつて、女性タレントとして活躍された東大工学部卒の方が、テレビの対談番組で「私が習った小学校算数の授業では、先生が考える楽しさを皆に教えたので、クラスの児童全員が算数は好きでした」と述べられたことが忘れられない。

あえて極論を述べると、「子どもの将来の方向は、保護者を含む小学算数の教え方一つで決まるのではないか。もちろん本人の努力もあるが、数学嫌いの若者は教育の犠牲者の面が大きいのではないか」と筆者は言いたいのである。

理解無視の算数の暗記教育と結果だけ問うマークシート式問題が遠因と考えるが、中学数学での作図文や証明文の指導が昔と比べて相当減っている。

その結果として、2014年に行われた千葉県立高校入試の国語で地図を見ながら道案内する文を書く問題が出題されたが、半数が0点だったこと。PISA調査(OECDの生徒の学習到達度調査)で、日本の子どもたちは科学的文献に対して自らの考えを述べる論述力に弱点があること。等々が表面化している。

ひと頃はAIに関して、「人間の仕事はほとんどAIに奪われてしまう」という負のイメージが主であったが、昨年あたりから、両者の良い関係を模索する意見が目に見えて増えている。実際、人間とAIの関係を考えてみると、AIが得意とすることは処理回数と記憶である。

その一方で、人間が得意とすることは、試行錯誤したり考えたりして、斬新な応用や発想を思いつくことである。それゆえ、人間は理解の学びが大切であるが、現在の日本の数学教育を見渡すと上述してきたように、理解を軽視した暗記だけの学びが盛んになっている。

2019年に経済産業省のレポート「数理資本主義の時代〜数学パワーが世界を変える」が発表され、前後に経団連も数学を学ぶことの意義を強調している。しかし、一向に目立った動きが見えない背景には、2015年度のTIMSS(国際数学・理科教育動向調査)でも発表されているように、日本では「数学は嫌いで役に立たない」と思う青少年の割合が極めて高いのである。

この状況は以前からであり、一向に改善されない。だからこそ、あの「ゆとり教育」が導入されてしまったのであり、算数・数学の「好き嫌い」と「役立つ」という点の意識改革は極めて重要な課題である。そこで筆者は、1990年代半ばから精力的に全国の小中高校約200校で出前授業を行ってきた。

出前授業をする目的

筆者の出前授業は、現在の本務校に移ってきてからはだいぶ減ったものの細々と続けている。その特徴は、いわゆるSSH(スーパーサイエンスハイスクール)指定校の東京都立戸山高校、山梨県立甲府南高校、静岡県立磐田南高校、あるいは愛媛県立松山東高校(旧制松山中学)のような優秀な高校生を対象にしたもののほか、小中学校や児童養護施設や問題の多い高校などにも手弁当で積極的に訪ねたことである。

背景には、「算数・数学が好き」な生徒をより「好き」にさせるだけでなく、「算数・数学が嫌い」や「恵まれない環境」の生徒に少しでも数学への興味関心をもたせたいという目的があったからである。拙著『AI時代に生きる数学力の鍛え方』では、さまざまな出前授業で生徒から喜んでもらった題材も数多く紹介した。

出前授業と合わせて、教員研修会での講演も積極的にお引き受けしてきた。これも1990年代半ばから約200カ所で行ってきたが、とくに昨年は沖縄県の算数・数学の先生方対象の大きな研修会や長野県の高校の校長先生方を対象の講演会がコロナで中止になったことは、いまだに残念に思う。それは、本稿で述べてきた内容を直接語ることを予定していたからである。

筆者は本務校の定年退職まであと2年となったが、コロナさえ収まれば、出前授業や教員研修会に積極的に出かけたいと思っている。そして、70歳になってからの定年退職後は、前半で紹介したオウムのアレックス君を超える算数犬を、1対1の対応の概念から育てる夢を実現したいと思っている。