“ペンギン投法”の元ヤクルト安田猛さんが死去 田淵幸一との深すぎる因縁とは

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“王貞治キラー”

 1970年代から80年代にかけてヤクルトのエース左腕として活躍した安田猛さんが、73歳で亡くなった。2017年にステージ4のスキルス性胃がんであることが判明し、余命1年と宣告されたが、「気力で絶対に負けない」と、東京で抗がん剤治療を受ける合間を縫って、母校・小倉高で後輩たちの指導を続けていたという。

 現役時代の安田さんは、173センチ、72キロと投手としては小柄ながら、短い手足を駆使した独特の“ペンギン投法”から、“パラシュートボール”と呼ばれるチェンジアップの変形など、多彩な変化球を繰り出し、通算93勝17セーブを記録。78年には、松岡弘とのエース二枚看板で15勝を挙げ、ヤクルトを球団創設以来初のリーグ優勝と日本一に導いた。

“ペンギン投法”の元ヤクルト安田猛さんが死去 田淵幸一との深すぎる因縁とは

 その一方で、安田さんは、いしいひさいち氏の四コマ漫画「がんばれ!!タブチくん!!」の中で、主人公・タブチ(モデルは言わずと知れた田淵幸一氏)のライバル・ヤスダのモデルになったことでもおなじみだ。

 漫画の中では、両者は大学時代からライバルの悪友同士という設定で、ヤスダはタブチに何度も死球をぶつけたように描かれているが、現実世界の安田さんは10年間の現役生活で、無四球完投試合23、通算与死球もわずか16と、制球力の良さは群を抜いていた。

 そして、“王貞治キラー”で鳴らした技巧派・安田さんは、“天才ホームランアーチスト”田淵幸一という好対照なライバルとも、多くの名勝負を繰り広げている。

「ボクは背が小さいでしょ。マツ(松岡)と比べたら、12センチも低い。それだけに、ボクより大きな王さんや田淵さん、張本さんと対戦するときは燃えるんです。討ち取った時の爽快感といったらないですからネ。それに背の高さにコンプレックスを持っているチビッ子の励みになればいいとも思ってました」(「魔球伝説」文春文庫)。

日本記録を更新

 田淵との対決で最も有名なのが、73年にプロ2年目の安田さんが、シーズン連続イニング無四球の日本記録を達成した際のエピソードである。

 同年、安田さんは7月17日の阪神戦(甲子園)の8回から9月6日の広島戦(広島)まで73イニング連続無四球を記録し、2リーグ制がスタートした50年に白木義一郎(東急)がマークした「74」まであと1イニングと迫った。

 そして、日本記録更新がかかった9月9日の阪神戦(甲子園)。満を持して先発した安田さんは、初回を3者凡退に打ち取り、まず日本タイ。さらに2回、この日まで30本塁打の4番・田淵を1ストライクから中飛に仕留めた瞬間、ついに白木のシーズン日本記録を更新した。

 記録はなおも続く。次打者・池田祥浩にカウント3-1となり、ヒヤッとさせたが、いささかも動じることなく、ポンポンと2つストライクを取って三振。望月充も遊ゴロに打ち取り、初回に続いて3者凡退で切り抜けた。

 すっかりリズムに乗った安田さんは、ストレート、シュート、スライダー、シンカーを投げ分けながら、阪神打線を8回までわずか2安打無失点に抑え、記録を「81」まで伸ばした。2対0とリードして迎えた最終回も、先頭の和田徹に中前安打を許したものの、藤田訓弘を二ゴロ、藤田平を左飛に仕留め、完封勝利まであと1人……。

 だが、「野球は9回ツーアウトから」と言われるように、ここから大きな落とし穴が待ち受けていた。中村勝広に左翼線二塁打を打たれ、1点を返されたあと、「安田の顔見ると打てる気がせん」とぼやくほどの“左コンプレックス”遠井吾郎に同点二塁打を浴びてしまう。

“小さな大投手”

 なおも2死二塁で迎える打者は、皮肉にも最も警戒しなければいけない田淵だった。直後、ベンチから出てきた三原脩監督が言った。

「やっさんよ。記録を作ったんだから、もういいだろう。敬遠しろや」

 一打サヨナラの場面で一塁が空いているとなれば、ここは個人の記録よりもチームが負けないことを優先するしかない。仕方なく「はい」と頷いた安田さんは田淵を敬遠し、この瞬間、連続イニング無四死球の記録はストップした。

 ちなみに、この記録がスタートしたのは、くしくも7月17日の阪神戦の田淵敬遠の直後から。田淵敬遠に始まり、田淵で日本記録を更新し、田淵敬遠で終わるという、何とも因縁めいためぐり合わせだった。

 記録が途切れた安田さんは「ガッカリしたつもりはなかった」そうだが、ピーンと張りつめていた気持ちが緩んでしまった感は否めなかった。

 2死一、二塁で次打者・池田に初球カーブを右越えにサヨナラ3ランされ、完封勝利目前から逆転サヨナラ負け。まさかの暗転劇に、「勝負を急ぎ過ぎたのが……」と悔やんだ安田さんだったが、この日達成した日本記録は、現在も歴代トップである。同年は、この快挙に加え、自身初の二桁勝利を達成し、2年連続の最優秀防御率も獲得している。

 王、田淵の二大アーチストが本塁打王を争っていた時代のセ・リーグに、打者の打ち気をそらす痛快な投球術で存在感を示した“小さな大投手”がいたことは、今も多くのファンの脳裏に刻まれていることだろう。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮取材班編集

2021年2月22日 掲載