元サッカー日本代表・明神智和氏/(C)説田浩之

写真拡大

スポーツで得たスキルは“社会でも役に立つ”と言われている。しかし、何がどう役に立つのか?ということを子供にしっかり語れる大人は少なく「上下関係や協調性が身につくよね」くらいの理解しかないのが現状だ。そんな状況に一石を投じているのが元サッカー日本代表・明神智和氏。「AFCアジアカップ2000」優勝、2002年「日韓ワールドカップ」ベスト16を経験し、ガンバ大阪、柏レイソルなどで活躍した同氏が語る、ポテンシャルを最大化させ、スポーツはもちろんビジネス、学業にまで応用できる“黒子の哲学”とは――。

【写真】明神智和氏による初の著書「徹する力 “らしく”生きるための考え方」

※本稿は『徹する力 “らしく”生きるための考え方』(著:明神智和/KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■ライバルは据えるが、自分とは比べない

よく「ライバルは自分」という言葉を聞くが、僕は「自分」以外のライバルを持つことは必要だと思っている。

もちろん、苦しいときに妥協するのか、乗り越えようとするのか。少しかっこつけて言うなら、「昨日の自分より今日の自分のほうがより理想に近づいていたい」というように、「自分」を意識することも大事だ。そういう意味では「自分」もライバルだと言えるのかもしれない。

ただ、スポーツは勝敗を競うもので、他者との競争を切り離して考えることはできない。だからこそ、僕は自分以外の誰か、同じポジションや同世代といった明確なライバルを持ち、自分が成長するための指標にしていた。

「あの選手を上回って試合に出たい」

「同じ年齢のあいつがこのプレーをできるんだから、自分だってできるはずだ」

そんなふうに他者との競争の中で、嬉しい、悔しい、もっとうまくなりたい、負けるもんか、という感情が芽生えてきたという自覚があるからだ。

それに、どれだけ「自分は自分だ」「比べても仕方がない」と思おうとしても、競争の世界ではどうしても他者を意識せずにはいられない。それなら、人と比べること、ライバル心を持つことをプラスにするために「自分の向上心や負けず嫌いを刺激してくれる存在として、チーム内でも明確にライバルを据えよう」と思うようになった。

ただし、ライバルを意識することと、自分がやるべきことは別物だと考えている。

そう思うようになったのは、U-23日本代表に選ばれたときくらいからだ。それまでは、同じポジションの選手を意識して「あいつがいいプレーをしているから、自分も頑張らないとやばいぞ」というように比較することも多かったが、同世代のレベルの高い選手たちを前にして「ライバルがいるからやる、いないからやらないではなく、いつでもやるべきことはやらなきゃいけないし、周りがいいプレーをしようが悪いプレーをしようが関係ない」と考えるようになった。つまり、ライバルはいても、自分のプレーはライバルに左右されるべきではない、ということだ。

プロの世界には、いい選手がごまんといる。次から次へと若くていい選手が出てくる。新シーズンを前に、同じポジションに新戦力が送り込まれるのも珍しいことではない。

ガンバ大阪時代も、同じボランチのポジションにヤット(遠藤保仁/ガンバ大阪からジュビロ磐田に期限付き移籍中)やハッシー(橋本英郎/FC今治)といった選手がいるなかで競争に加わっていったし、その後も同じボランチには新しい選手が次々と送り込まれた。2012年の今ちゃん(今野泰幸/ジュビロ磐田)もそのひとりだ。

だが、その事実について必要以上に考えることはなかった。なぜなら、同じポジションに新しい選手が送り込まれることを僕が止めることはできないからだ。もっと言えば、今ちゃんがいいプレーをすることも止めることはできないし、監督が起用することも止められない。それなら、「変えられないこと」に必要以上にエネルギーを使うのはやめて、自分が成長することにエネルギーを使おうと思っていた。

例えば、紅白戦では、絶対にほかのボランチよりいいプレーをしようと心がけるとか、一つひとつの球際でバチバチ戦って上回るとか。新たなライバルが送り込まれることに気持ちを奪われるより、自分で「変えられる」ことにエネルギーを注ぐほうが、よほど自分のためになるからだ。

とか言いながら、僕も人間なので、時に「ああ、またあいつ、いいプレーしたな〜」「そんないいプレーしたら、俺は次も出られないかもな」と悶々とした気持ちを抱えることもたまにはあったが(笑)、最終的にはいつも「変えられないことを考えても仕方がない。変えられることを考えよう」と自分を納得させ、奮い立たせていた。