「どうして単語を覚えてこなかったの」予備校生の答えに絶句…

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難関受験に立ちはだかる高い壁は、学力だけではありません。時には生徒自身の考え方や行動が障害になっていることがあります。どうすればそのような障害を乗り越えることができるかをMSAマスタードシードアカデミー代表の中沢一氏が解説します。

とんでもないことを要求してくる生徒たち

夢だけ見ていて自分では何もしない

大きな目標を掲げていながら、同時に常に受け身でいる受験生も少なくありません。自分が困った状況に陥っても、いつでも周りが力を貸してくれると思っているのです。それを当然とすら思っている人もちらほら見受けます。

「私はどこを受験したらいいの?」

「どれから勉強したらいいの?」

「単語はどれを覚えればいいの?」

「この時期はどんな勉強をすればいいの?」

そのように、受験のことを矢継ぎ早に質問してくる受験生もいます。一見、受験に対して積極的になっているように思えますが、要は手取り足取り教えてもらいたいというにすぎません。自分で考えずに、最初から「お膳立て」してもらうことを期待しているのです。

もちろん、受験勉強を指導するプロは、一人ひとりの状況に合ったアドバイスをできます。しかし、それに対して「先生に言われたからやる」というような受験生は、結果に対して何も責任を負いません。ちょっとうまくいかなくなると「だって、あの人がこうやれと言ったんだ。自分のせいじゃないんだ」と言い始めます。

(写真はイメージです/PIXTA)

あるときこんな生徒がいました。体調不良で授業を欠席しました。その分、当然、遅れてしまっているわけです。ところが、それをいつまでもそのまま放置しているのです。

それだけではありません。復習テストや模試で、自分が休んだ分が出題されたり、あとの授業で「あのときやりましたよね」と言われたりすると、「自分はその日は授業に出ていなかったからわかりません」と、他人事のような言い方をするのです。

もっと驚いたのは、10年ほど前、来週まで覚えてくるように、と伝えてあった英単語を全く覚えていない生徒がいたので、「どうして覚えてこなかったの? なにか勉強できないことでもあったの?」と聞くと、信じられない言葉が彼女の口をついて出てきたのです。

「えっ? 単語って私が覚えるんですか? この学校に入ったら、すんなり覚えさせてくれると思っていました」と。

私は授業後、彼女と話したのですが、彼女は頑として譲りません。私もついにギブアップ。

「収めた授業料を返すから、そういうことをかなえてくれる塾があるならそこへ行ってください」と言い、退学してもらいました。

すぐに答えを求めたがる「効率重視」派

要領よく結果を出すことが賢い生き方である…。

そんなふうに考えている受験生も最近では増えてきました。最も少ない労力で、最大の成果を目指す。そういう効率重視の考え方をする傾向は、ビジネスの世界でも勉強の世界でも、年々強くなってきているように感じます。「コスト・パフォーマンス」ばかりを気にする人が増えました。目の前に落ちている10円を拾うために、その先にある1万円分の宝に気づいていないように思えてなりません。

でも人生は、一見、ムダに思えるような積み重ねがあってこそ、後々実力差となって表れてくるものです。難関大学を目指して受験勉強に打ち込み、結果を勝ち取る受験生は、そういう事実を自然と学んでいきます。

得てして、多大な努力の末に結果を出す人は、自分の努力を自慢げに語ったりせず、謙虚に「いやぁ、大したことしてないですよ」と言うものですが、それを聞いて「なんだ、大した努力をしなくてもなんとかなるのか」と考える人がいることは、もう喜劇としか言いようがありません。

たとえば、慶應の合格を目指すとすれば、それはとても高いハードルです。英語であれば、カバーすべきことは膨大にあります。

そこで効率を求めてしまうのでしょうが、実際には「小手先のテクニック」程度のことに振り回されてしまい、結局はゴールにたどり着けない受験生がたくさんいます。

英単語なら、最低限の意味だけ覚えようとする。または「この1000語で難関大学に受かる」のような売り文句の単語帳を買ってきて、それにしがみついて、それだけをマスターしようとする。

ところが、こうした受験生は、応用が利きません。範囲付きの定期試験くらいならなんとか乗り越えられるでしょうが、本番で少し傾向を変えられたり、長文が苦手なテーマだったりするだけで、大きく崩れてしまうのです。

受験勉強において、一見「ムダ」に見えるようなことが、実は全くムダではなく、大きな力となるのです。新聞なんて読んでいる暇がない…と思うかもしれません。しかし、新聞のちょっとしたコラム記事で読んだことが、英語の読解問題で扱われていたり、小論文の資料に出てきたりということはよくあることです。

背景知識があれば難なく読みこなせる文章でも、そうでない場合はとてつもなく取っつきにくく感じたりします。

効率や要領のよさを重視して勉強をする受験生は、一般的な模試の偏差値はそこそこ出せるでしょうが、深い語彙力がありません。私の予備校では、模試の成績より毎週の単語テストの結果での頑張りを評価しているので、そういう傾向がよくわかります。

効率重視の受験生は、「合格ラインが60点なら、61点取れればいい」と考えます。あるいは、「早稲田の政経に受かるには、単語は最低何個覚えればいいのですか?」と聞いてくる受験生もいます。また「慶應に受かるテクニックだけを手っ取り早く教えてほしい」と言って子供を連れてくる保護者もいます。もちろん、私の予備校には絶対に入学させません。

ギリギリラインで、目を水平にきょろきょろさせてしか見えないことと、もっと上から俯瞰するのでは、全く異なります。

「受験勉強が社会に出て役に立たない」という人がいますが、それは、61点を狙った効率重視の勉強をしてきたからです。そのときそのときをギリギリで抜けきることが目標であって、「あとで役に立つ」ような勉強はしていないからです。

「受験を突破するため」だけを考えたらムダのように思える勉強の積み重ねが「後の人生で役に立たなかった」ということは、決してありません。

他人に甘え続け、「人のせい」にしてしまう癖がつく

親や予備校が「受験生のために」と、入学しやすい大学を「自分のことのように」親切に選んで勧めることから、最近は、お膳立てをしてもらうのが当たり前と考える受験生が増えてきたように感じます。

小さなときから塾に通い慣れ、効率重視で「ハウツー」や「テクニック」ばかり教え込まれてきたせいか、大学を受験する年齢になっても「すべてお膳立てしてもらって当然」であり「やり方を教えてもらわないとどうやったらよいかわからない」と悩む受験生がいます。これは大学受験生に限らず、社会人の間でも見られます。

こういった受験生の多くは、ゴールにたどり着くはるか前に折れてしまいます。自分の弱点をどうしたいのか、そのために何をすればよいのかなどを自分で決められず、他人の力をすぐに期待してしまうのです。

あるいは、たとえアドバイスを受けても、それが自分の望む以上の努力を要求したり、大変なものだったりすると、今の自分を変えずに済む楽なアドバイスがもらえるまで、何人にも相談します。そうこうしているうちにどんどん時間だけが過ぎてしまい、結局、何もできずに終わってしまうのです。

それにもかかわらず、テストの結果が悪ければ、「教え方が悪いからだ」と教師のせいにし、勉強時間が取れなければ「遊びに誘う友達のせいだ」と仲間のせいにする。

「教科書がわかりにくい」「学校が忙しい」と、やらなかった原因やできなかった理由を、他人や環境のせいにして、自分をなだめるのです。

「自分で志望校を決めたわけじゃない」

「時代が悪かった」

「運が悪かった」

「得意なところが出なかった」

「体調が万全じゃなかった」

「うちの家系がダメなんだ」

というように、受験の結果が悪ければ、他人や環境のせいにします。それでは、どんどん惨めになっていくだけです。最初はつきあいで話を聞いてくれている人も、そのうち、どんどん離れていくことでしょう。

チャンスは自分から取りに行かなければつかめない

待っているだけでは状況は変えられない

私の予備校では、入学した最初の授業で「自分から動いた人間には惜しみなくサポートするし、きっとそれ以上のものを得られるチャンスを提供する。逆に、他人任せで、自分では何も考えない人は、きっと何も得ることがないだろう」とはっきり伝えます。

自分なりに考えたうえで相談に来る生徒には全力で力を貸しますが、自分から動かない場合は、こちらから至れり尽くせりのアプローチはしません。

その成果「この学校はとても親身になってくれた」という感想がある一方で、「この予備校は放任主義だ」という感想もあります。

わざわざ私の学校を選んでくれているのですから、生徒を見ていないはずがありません。どんなに目立たない受験生だって成績の変化はもちろん、いつもどの席に座っているのか、だれとよく話しているのかなどを、しっかり把握しています。ただ、自分から動かない生徒には、こちらから「手取り足取り」のお膳立てはしないだけです。

いかがでしょうか。ちょっと耳が痛いことも書いてしまいました。しかし、受験生にはぜひ自分を見つめ直して、勉強「以前」の心構えをしっかり持ってほしいのです。