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突然ですが東京五輪・パラリンピック組織委員会会長に立候補します!

開口一番、ついに壊れたかと思ったみなさん、ご安心ください。僕はいたってマトモです。森喜朗前組織委員会会長の問題発言以来、僕は真剣に検討を重ねた結果、立候補することを決意したのです。「もっとひどい」「過去の発言で森さん以上に身を滅ぼしてるだろ」「これならお飾りでハムスターでも座らせてるほうがマシ」というご意見もあるでしょうが、当選の暁にはそういう声を上げるみなさんには東京五輪・パラリンピックのチケットを絶対に売ってやらないので覚悟してくださいね(※なんやかんや理由をつけて当たってるぶんも絶対に取り消す/収容人数制限うんたらかんたら)。

12日、組織委員会は臨時の会合を開き、正式に森会長が辞意を表明しました。並行して、一部報道で次期会長の打診があったとされ、本人も意欲を見せていた川淵三郎氏が会長職を受諾しないことを表明しました。既定路線での禅譲による事実上の院政ではないかという世間の声に反応したのか、あるいはそもそもが川淵さんの勇み足だったのか、とにかく川淵さんが会長にはならないことになりました。

↓「女性は話が長い」で始まった問題を15分の思い出話で締めくくった森前会長!


↓個人的には「オッサンふたりの与太話」を川淵さんが本気にしただけ説を採用します!

「さぶろう〜」
「よしろう〜」
「ワシつらい…」
「わかる、ワシもつらい…」
「ワシそんなに悪くないよな…?」
「そんなに悪くない、悪いのは左翼」
「そうだよなぁ〜!」
「そうだともぉ〜!」
「でもワシやめる…」
「ダメだ!やめちゃダメ!」
「でも家族もみんなやめろって…」
「よしちゃんあっての家族でしょ〜」
「でも孫が泣くのワシつらい…」
「孫が泣いてるのかぁ〜」
「孫が泣いてるんだよぉ〜」
「じゃあしょうがない!やめよう!」
「うん、しょうがない!やめる!」
「ワシがやめたらあとはさぶちゃん頼むな」
「ワシはもう枯れたジジイだから〜」
「いやいやまたまた〜」
「バスケの出がらしだから〜」
「いやいやできるできる〜」
「よしちゃんよりワシのほうがジジイだし〜」
「でもさぶちゃんしかおらんよぉ〜」
「そうかなぁ〜?」
「そうだって!さぶちゃん最高日本一!」
「いやいやいやいや〜」
「さぶちゃんじゃなきゃワシいや!」
「またまたまたまた〜」
「JときてBときてO!JときてBときてO!」
「みっつ集めてJ・O・B…」
「そうJOB!仕事ができる男、さぶろう!」
「これはやるしかありませんですかね…?」
「ん?今やるって言った?」
「あ、やるって言っちゃったね?」
「やるって言っちゃったね!」
「言っちゃったね!」

\ワハハハハハハハハハ/

「さぶちゃんホントたのむよぉ〜」
「まかせといてよよしちゃん〜」
「ジャパンのスポーツをやる気あるのは」
「ワシらだけだもんなぁ〜!」
「ラグビーワールドカップ、ワシ!」
「サッカーワールドカップ、ワシ!」
「そして、オリンピックは〜?」
「よしろう&さぶろう〜!」
「それでは新・組織委員会会長のごあいさつ〜!」
「オリンピックの開会を宣言します!」
「くーーー決まってるぅ!」
「そして聖火リレー最終ランナーはこの人!」
「どうも、燃える男よしろうです」
「聖火を持ち帰った男が大炎上です!」
「いっそ例のすのこスタジアム燃やすか!」
「ダメダメ、あれ飾りのすのこだから!」
「木造建築でも何でもないもんなアレ!」
「火ぃつけてもガワしか燃えない!」
「内装もなくてすでに焼け跡みたい!」
「バカでかいスタジアム作りやがってぇ〜!」
「横国よりはマシだろ〜!」
「てめぇ!もうラグビーに貸さねぇぞ!」
「いいもーん!国立あるもーん!」
「この立地だけのクソスタジアムが!」
「なんだと、ため池スタジアムが!」
「このラグビーワールドカップ野郎!」
「このサッカーワールドカップ野郎!」
「では、オリンピック野郎は〜?」
「よしろう&さぶろう〜!」

\ワハハハハハハハハハ/



……という話があったかどうかはさておき(※さておきするほど可能性があるわけでもないが)、これで次期会長は完全に白紙となりました。同日に会見に臨んだ組織委員会の武藤事務総長も「今日はやり方を話しただけ」として後任についてはまったくの白紙を強調しています。白紙であるということは、どんな未来も描けるということ。あるべき未来を思い浮かべたとき、答えは「僕の立候補」しかない。そう確信しています。

まず今回の問題について、個人としての森前会長への非難というものは会長職辞職によって一旦収束することでしょう。ただ、今後は組織委員会ひいては日本社会のあり方が問われることになります。図らずも世界に広く喧伝されてしまった「女性蔑視が脈々と息づく国なのでは?」という見立ては、これは我々日本人としても望まざる社会像ですし、五輪・パラリンピックの精神とも相容れません。この問題を認知し、そして、そうしたいかなる差別も我々は認めず、そうではない社会と五輪・パラリンピックを目指すことを襟を正して示さねばなりません。

そのとき、次期会長というのは、今回の反省を噛み締めるならば、密室での禅譲によって決めていい類のものではないのです。何らかの権力者、既得権益者が自分たちを守りつづけるための社会を築いているのではないかという、差別的搾取的な構造がまったく存在しない、認めないということを示さずして、どうして今回の問題の解決を図れるでしょう。

アピール力だけを考えるならば「若い女性」を選ぶというやり方もあるでしょうが、それもまた不十分です。大事なのは性別や年齢、人種その他さまざまな要因に影響されることなく、「能力」をもって選考する仕組みが機能していることを示すことです。そのためには、もはや前会長の推薦や、理事会による推挙で候補を選ぶという構造自体が不十分です。

一定の資格要件…まぁ日本の東京で開催される五輪・パラリンピックであることを考えれば、最低でも日本在住という条件はつくでしょうが、最低限の資格要件を満たす者のなかから広く公募され、オープンで自由な議論のなかで選考され、すべての人の意見を反映する機会を設けた形での選考方式というものが求められ、現在の規程を変えてでもそうすることが期待されているのです。「森さんの息が掛かった理事会が選ぶ後任」などでは、疑いを払拭することは覚束ないのです。

我こそはと思う者が立候補できる仕組みであるべき。

そして、その能力や資質を第三者が見定める仕組みであるべき。

能力という面で、組織委員会からのレビューはあってもよいと思いますが、それだけではない意見…報道であったり有識者の論評であったり第三者機関からの推薦であったりを踏まえて、最後はステークホルダーである人々による選挙で次期会長を決める。できるならば、日本の子どもたちの投票によって決める「未来像」としての新会長とするようでありたいもの。アメリカ大統領だって民衆に何度も試されて選ばれるからこそ価値があるのです。選考の期間においては、過去の舌禍や悪事も掘り起こされるでしょうが、それも踏まえて「選挙」によって決めるから、以降は仕事に邁進できるのです。完璧ではない人間の存在を認め、飲み込み、それでもなお能力を評価して仕事を託すのが選挙という仕組みなのですから。

その結果として、今疑いを持たれていることを払拭する「できれば若くて」「できれば男性ではなくて」「できればオリンピアンで」「引率した選手とキスしちゃったりしない自制心と常識と節度と慎みがある人」が選ばれるようであれば、ピンチをチャンスに変えて東京五輪・パラリンピックの価値というものもさらに向上するでしょうし、大会への準備というものもようやく進めることができるようになるでしょう。

もしかしたら森さんほどの能力を持った候補はいないかもしれません。人情と調整力で数々の難問を解決してきた剛腕は誰もがマネできるものではありません。ただ、森さんには決定的に欠けている能力があります。「遠くの人に愛され信用される」チカラです。森さんを知る人と、知らない人の間の態度の大きなギャップ、それはよくも悪くも森さんの資質であり限界です。1億人に愛され、「森さんが言うんならそうなんだろう」と無条件で信用されるチカラは、政治家・首相時代を含めて皆無でした。お飾りであってもそれさえあればつとまるという、会長職にもっとも大事な能力だけが森さんにはなかった。

それを生むのは言葉です。態度です。生き様です。

何を、どんな態度で話すか。我々愚かな大衆は、三行より長い説明は聞きませんし、聞いたところでわかりません。ただ、それぞれが10年20年と生きてきた人生の勘によって「コイツは信用ならねぇ」と「コイツは気のいいヤツだぜ」を見定めています。正確さを少し踏み外しても、愛され信用されるリーダーであるならば、人々は話を聞くし、「そう言うんならそうなんだろう」と協力もしてくれるのです。

そのためにはまず知ってもらうことが必要です。どんな人で、どんな暮らしをして、何を考えているのか。道化を演じて人気取りをしろということではなく、自分自身の考えたことを自分の言葉で正直に伝え、「私」というものを伝えることで、愛や信用は始まるのです(※同時に失われる恐れもあるが)。森さんも時間をかけて「私」を伝えれば、身近にいる人の揺るぎない信頼のように、国民にもそれが伝わったのかもしれませんが「伝え方が9割ダメ」だったのは本当に残念です。

だからこそ、後任はまずそこから始めましょう。

決まったことをあとから聞かされるのではなく、決めるにあたって「私」を知ってもらう機会から始める。いずれ会長職に就けば、8割が開催に不安を持っているという国民に対して「どうかやらせてください」と頼まねばならないのです。決まってから頼むんじゃなく、話題に上がった第一声から始めたっていいでしょう。会長になろうがなるまいが、名前が上がるくらいの人であれば「どうかやらせてください」を草の根からでも言うことになる人なのでしょうから。

その情熱が伝わってきたなら、その人が男性であるか女性であるか、お年寄りなのか若者なのかという部分は吹き飛んでいくはずです。そうした要素の差異というものは、選考のなかでそれぞれ評価され飲み込まれていくはずです。その「飲み込む」という工程がないままであれば、決まったあとに改めて蒸し返しが来るのは、現代SNS社会において避けようもありません。「あなたも参加する機会があった、あの選挙で決まったことですよ」を経て、ようやくそこから後ろには戻らないという話に落ち着くのです(※トランプ除く)。

IOCやスポンサー、競技団体などなど、どんなステークホルダーも「みんなが愛しているもの」と無闇にケンカをすることはありません。森さんがいなくとも、みんなに愛され信用される新会長が選考されれば穏便に事態は調整されるでしょう。そういう未来を作るため、僕はこの組織委員会会長職に立候補するつもりです。僕が立候補できること、そして世間・有識者・第三者からの「能力不足」の烙印によって一次選考で正当にキックアウトされること、そのことをもって「ここにあらゆる差別は存在しない」ということを証明するために。

万が一、僕が当選の暁には!

チケットを応募してきている人にSNSアカウントの登録を義務付けまして!

普段何言ってる輩かを見て!

チケットを当てたり取り消したりしていきます!

もちろん女性は優先しまくって8対2の割合にします!

なんなら10対0にしてやろうかと思っています!

あと聖火リレーの最終ランナーは僕の一存で決めます!

具体的には、簡素化のために組織委員会長自らが点けます!

古新聞かなんかで点火する質素な儀式で!

清き1票をどうぞよろしくお願いします!



誰もやりたくないんならやらせてください!やる気だけあります!