2006年、“中国人妻の夫殺人未遂事件”が世間を騒がせた。お見合いツアーを経て結婚した中国人妻の鈴木詩織が、親子ほども年の離れた夫、鈴木茂に、インスリン製剤を大量投与するなどして、植物状態に陥ったのだ。夫の目を盗んで性風俗で働いていたことや、1000万円で整形した等との噂も影響して、センセーショナルな報道が相次いだ。そんな中、事件記者として取材を進めていた、田村建雄氏は、獄中の詩織から300ページに及ぶ手記を託される。取材の様子を『中国人「毒婦」の告白』から抜粋して紹介する。(全2回中の1回目。後編を読む)

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あなたの故郷を見たい

 控訴審判決が迫る1ヶ月程前、私は、まったく別の用事で急に北京に行かなければならなくなった。


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 そこで私は、この際、せっかくだから、中国の詩織の故郷を訪ねてみようと思いたつ。一体、詩織がどんな環境で育ち、20歳前後という若さで、どんな思いで日本に来ようとしたのか。彼女が夢見たという日本の桜や富士山、着物とはどんなものだったのか。それを知るには生まれ育った地を見るのが何よりと考えたのだ。彼女を“悪逆非道な鬼嫁”と決めつけるのは易い。しかし、人は突然“鬼”になったりはしない。詩織と茂のボタンの掛け違いがどこかにあったのは確かだ。そのヒントを彼女の故郷を訪れることで摑めるのではないか、と私は思ったのだ。

 私は獄中の詩織に「あなたの故郷を見たいので詳しい住所を教えて欲しい」と申し出た。しかし、詩織は頰を少し赤く染めながら激しく首を横に振った。理由は、両親や係累に現在の惨めな状況を知られたくないからだとピシャリという。彼女は、この時点で、まだ逮捕された事実すら両親に知らせていなかったのだ。

お姉さんと連絡とってみます

「私は9月に中国に行く用事がある。その時、ハルピンからあなたのお子さんが住んでいるところに行って、あなたの現在の様子を伝えたい。

 知られたくないという気持ちは分かります。しかし、裁判は続き、判決が出て有罪になれば、さらに長引きます。その時、子どもたちが、現状を突然知ったらショックはもっと大きなものになるでしょう。子どもたちに罪はありません。詳細を知られるのが嫌なら、せめて、お母さんは、いま日本でトラブルに巻き込まれ、連絡が取りにくいが、毎日あなたたちのことを心配しながら元気に過ごしているとだけ伝えても安心すると思います。日本からのおみやげとして何かあれば、それも手渡してきましょう」

 面会室の透明なアクリル板越しに説得すると、彼女は、みるみる大粒の涙を両目に溢れさせ、こう言った。

「お姉さんと連絡とってみます」

 06年2月7日の逮捕直前、姪に「送金するから。次の電話を待っていてね」と連絡したままフェードアウト、それ以降彼女は塀の中。姉夫婦に預けたままの子どもたちが、気にならない筈はなかった。

連絡が取れたのは小学校経由

 しばらくして面会に行くと詩織は嬉しそうな笑顔を向けてきた。

「姉夫婦の住まいの連絡先が不明だったので、子どもたちが以前通っていた小学校に連絡したら、やっと義兄のほうから連絡がありました。学校の住所はハルピンから車で4、5時間行った黒龍江省五常市の××です。そこで○○先生を訪ねてくださいとのことです」

 しかし私は不安になった。なぜ学校なのだろう。義兄は住まいをどうして教えてくれないのだろうか。刑務所への手紙での連絡だったため、詩織も、その辺の事情を詳しく知ることが出来なかったようだ。一方で、私自身も、中国の田舎の貧困度が、人々の住まいの安定すらも脅かしているという現実を、その時、全く理解できなかったのだ。義兄は当時、住み込みで働いていて住所が定まっていなかったのだ。

 中国訪問は、長年の友人である中川(仮名)と同行することになっていた。中川は貿易関係の仕事をしており、かつて北京に10年近く住み、現在も月に何度も往復している大の中国通だ。しかし、詩織の係累を尋ねるハルピン行きには仕事の都合で同行しない。私ひとりでの人探しの旅となる。その事情を中川に話すと、彼は眉を曇らせた。

「日本の政府か公的機関の紹介状なしで、いきなり中国の地方の学校で子ども探しは難しいぞ」

 しかし、唯一の手がかりはそれだけ。行って当たってみるしかない。詩織は自分の生地の住所も最後にやっと教えてくれたが、そこには今、親戚も誰も住んでいないという。

「子どもたちへお小遣いを」

 いずれにしろ、私は北京に出かける準備をはじめた。その最中、東京拘置所から電報が届いた。

 “至急会いたい 詩織”

 出発前のあわただしい中、私は、控訴審のため「小菅」の東京拘置所に移っていた詩織に会いに行った。

 煉瓦塀が続く拘置所通りは、朝だというのに、まだ夏の名残の強い日射しが容赦なく照りつけていた。

 詩織は、面会室で、こう言った。

「兄の携帯電話の番号がわかりました。何かの役に立つかもしれないと思います。それと子どもたちへお小遣いをもっていってください。宅下げします」

 宅下げとは、拘置人が、手続きをして現金などを拘置所以外の人間に委託することだ。詩織は浅草の風俗店で稼いだかなりの金を持っていたようだが、茂の殺人未遂容疑とは関係ないので没収されてはいない。宅下げされた金は30万円。中国の田舎なら一家が2、3年暮らせる額だ。それと携帯番号を聞き、私は07年9月14日午後7時、成田発の中国国際航空168便北京行きに乗った。日本では安倍晋三首相が突然の辞任表明をし、政界が揺れに揺れていた時期だった。

無謀な旅路

「そんな住所もハッキリしない相手を学校を通して探すのは不可能だ。まして、その後、女性の出身地の田舎に、この日程の中で行くなど無謀とすらいえる」

 深夜北京入りした翌日の昼、北京の旅行コーディネーター・王(仮名)と中川、私の3人で、私の単独ハルピン行きの旅程をチェックしている最中、再び中川が匙を投げるように言った。

 中川は、前述したように中国に関しては、並みの中国人よりもはるかに多くの知識と経験を持つ。さらに中国政府内にも、日本の在中国外務省関係者にも多くの知り合いがいる。

 その中川が、学校を通じて人を探すのは絶望的で無理がある、と再度言いだしたのだ。

 中川の懸念は3つあった。

誘拐を疑われること、住所が分かりにくいこと

「中国では一人っ子政策で子どもが非常に大事にされている。一方で、治安は年々悪くなっていて誘拐などの犯罪も頻繁に起きる。地方では人身売買が半ば公然と行われている。だから、朝晩、子どもたちを親が送迎するのはあたりまえ。そして、一度、校内に子どもが入れば門が閉められ、外部の者は、なかなか入れない。学校によっては門に警備員が立つ場合もある。それぐらい学校は厳重を極める。そこに、いきなり見知らぬ日本人が訪問し、先生なり、子どもの名前をあげて会いたいと言っても、中国人にはなかなか理解しがたい行動だろう。やはり、省とか政府とか何らかのパイプを通すのが無難と思うが、そうした措置を取る時間が無い。

 さらに、女性の住所だが、大まかな地域名しかなく、枝番号(所番地)もなにもない。田村さん、中国の広さは日本の比ではないんですよ。隣り村といったって、20キロも離れていたりして移動するのに何時間もかかる」

中国では白のものも黒くなる

 そして中川が最も懸念するのが探す場所が地方であり、必然的に宿泊先が地方都市になるということだ。

「例えば黒龍江省でも、ハルピンのような大都会や観光都市なら、町の中をウロウロしていても観光客と思われ問題はない。しかし、目的地はロシア国境に近い、中国の農村部や地方都市ですよ。日本人などほとんど見かけない所。人を探すといっても、それを当地の公安警察が理解するかどうかだ」

 中川によれば、地方のホテルでは、朝10時までに、公安警察が、その日、どこの誰が泊まるか必ずチェックするのだという。夜遅く、急に泊まった客も、その都度、ホテルが公安に連絡する。

「忘れてはいけないのは中国が共産党一党独裁の国だということ。改革開放が進み、どこを観光して歩いても自由というのは日本人の大きな誤解です。肝心のところは共産党がしっかりとコントロールしている。国家転覆を図ろうとしたり、地方や行政を混乱させようとしている不穏分子、覚せい剤、武器売買商人などに対しては特に厳しい。かつて、日本のある新聞社の特派員が許可を得ないでデモの取材をして拘束されたことがあるけれど、釈放されるのに大変な手間と時間がかかった。まして、田村さんは今回は観光ビザしか持っていないし、30万円という大金を持っている。挙動不審と見られて拘束されたら、スパイや麻薬密売人に仕立てあげられることだって考えられる。中国では白のものも黒くなるのですよ」

 10年起こった尖閣諸島騒動後の建設会社フジタ社員4人の拘束のような事態が起こる可能性がある、と当時警告されていたわけだ。

「公安に睨まれ逮捕寸前まで…」 中国人風俗嬢のルーツを追ってハルピンに行った顛末 へ続く

(田村 建雄)