ただ「承認して、報告して、挨拶するだけ」の中間管理職の存在価値が問われています(写真:xiangtao/PIXTA)

皆さんは「ブルシット・ジョブ」という言葉をご存じでしょうか。

世界的に著名な文化人類学者デヴィッド・グレーバーが、その著書『ブルシット・ジョブ』で論じたものです。

同書所収の論文では、1930年にジョン・メイナード・ケインズの「20世紀末までには、英米のような国々では、テクノロジーの進歩によって週15時間労働が達成されるだろう」という予測から問いかけが始まっています。

週15時間にならなかったわけ

もちろん、テクノロジーの進歩により、それまで3日かかっていた仕事の工程が、3時間ほどに短縮した例もあるでしょう。しかし、そのぶん仕事が減るのではなく、むしろ増えている。それは、つまり、本来は不必要な仕事、実際には無意味な仕事が作り出されているためではないか、と言うのです。

それでは、いったいどんな仕事が増えたのでしょうか。

1910年と2000年の雇用を比較する報告をグレーバーは提示しています。それによれば、工業や農業の分野ではいわゆる「奉公人」と呼ばれるようなポジションの人は劇的に減少しました。しかし、そのぶん、専門職や管理職、事務職、販売営業職、サービス業は3倍になったのです。それは雇用総数の4分の1から4分の3にまで増加しました。

つまり、テクノロジーの進展とともに生産に直接携わるような仕事は減ったけれども、「管理部門の膨張」が起きているのが、現代だというわけです。

グレーバーはそうした仕事の多くを、「ブルシット・ジョブ」と名づけました。それは、本来は不必要な仕事なのです。より効率化を進めれば、本来、そこまで増えなかった仕事です。ただ無意味で不必要というばかりではありません。その当事者たちもまた、自分の仕事は社会的に意味がなく、それが無意味で不必要なものだとうすうす気づいている、という点が「ブルシット・ジョブ」の特徴なのです。

私は大塚家具のことを思い出しました。

会長で父親である大塚勝久氏との確執が注目された大塚久美子前社長は、一橋大学経済学部を卒業した俊才。彼女が取締役社長に就任して以来、車内にはMBAなどを取得したエリート・コンサルタント集団が管理職として入ってきました。そのコンサルタントがさまざまな経営改善のプランを提案したわけですが、いずれもが功を奏さなかった。むしろ業績は悪くなっていったのです。

同じ家具メーカーでいえば、急成長を続けているニトリとは非常に対照的です。

本来、彼ら(注:中間管理職としてのコンサルタント)には罪はないのです。

彼らは仕事だから、雇われたからやっていただけです。

それをどう使うかは経営者の問題でもあります。

他方、管理職はただ部下を管理する存在ではありません。その上司も部下もうまく管理職というものを使うことが必要なのだと思います。

9割の中間管理職はいらない。では必要な1割とは?

私は、少々誇張もあるかもしれませんが、9割の中間管理職は必要ないと思っています。

それではいらない中間管理職、使えない中間管理職とはどんな存在でしょうか。拙著『9割の中間管理職はもういらない』でも詳しく述べていますが、私の経験から考えると、一言で言えば、ただ「承認して、報告して、挨拶するだけ」の中間管理職です。

部下が「連休をください」と言えば、すぐに承認する。「今日は早く帰らせてください」と言えば「いいですよ」とただ承認するだけ。

また、部下に資料を作らせ、報告させて、それをただチェックし、上司に報告するだけ。それが必要な資料かも判断せず、ただ時間を穴埋めするために仕事を作って、それをチェックし、気に入らなければ部下に作り直させる。

しかもその判断基準は自分の好みに合うか合わないか。

こうした中間管理職は、仕事をしているというけれども、その内実は、なにも生み出していない。言ってしまえば、なにも生産していないことになるのです。

新型コロナウイルスの流行によって、リモートワークや在宅勤務が当たり前になりつつある昨今ですが、これはコロナ以前から進められてきたITの導入やデジタル化の波によって着々と準備されてきたことです。

トップの意思を部下に伝え、現場で起こったことをトップに伝えるというのは、旧来の中間管理職の役目のようですが、これはデジタル化によってほとんど不要になったとも言えるのです。

今やそんな「ホウレンソウ」は必要なくなりました。それはデジタル化によって、一斉にメールを送ったりすれば事足りるものになってしまったからです。

こうして中間管理職は、グレーバーが言うような「ブルシット・ジョブ」になってきてしまっているというわけです。

私自身も、ながらく、中間管理職として働いてきましたが、普通の中間管理職がやらないような働き方をしてきたと自負しています。それが、1割の生き残っていく中間管理職の働き方のヒントになるのではないかと思います。

私が東レ時代にいちばん売上高の大きい繊維事業は大赤字になったことがありました。この繊維部門の再建を、のちに社長になる役員と一緒に手がけました。私はまだ課長になって1年半しか経っていませんでした。

生産部門も営業部門もスタッフを3割削減しようということになりました。その一環として描く事業を管理する4つの課をひとつに統合して、事業管理室として効率を上げようということになったのです。そこで白羽の矢が立ったのが私でした。

その組織改正の前、私は自分の課では、徹底的に生産効率を上げることで残業を減らしていました。月に60数時間もあった残業時間をほぼゼロにしようと考えたのです。

2カ月もすると残業時間は半分に減っていました。その後、どんどん改革を進めて、気づけば残業は一桁になっていました。私はそのとき長繊維二課の課長でした。隣には当然、長繊維一課という課があります。そこは、月に80時間も残業をやっていました。しかし、うちの課はほぼゼロになってしまった。

わざわざ残業しなければならなかった

ではなぜ、長繊維一課はそこまで残業をしなければならないのかというと、ある意味、デヴィッド・グレーバーが言ったような「ブルシット・ジョブ」に近いわけです。


つまり、彼らはわざわざ自分たちで残業をしなければならないほど、不要な仕事を作ってしまっていたのです。その不要な仕事を作っていたのは、その課の課長でした。部下たちに「あれをやれ、これをやれ」と必要かどうかもわからない仕事を振って、そのぶん、残業が増えていった。もっと単純に言えば、残業をしていれば仕事をやった気になるのです。でもよくよく考えてみると、生産効率は上がっていない。それは本来やらなくていい仕事だったからです。

逆に私は、必要にない仕事はどんどん削っていった。

4つの課を統合したものですから、仕事だって4つぶんある。

しかし、室長である私はひとりしかいない。

そもそも会議に出る時間もありません。ですから、そういう会議はやめるか、やるとしても私の代わりに課長代理の人に代行してもらいました。それで問題があったかというと、特にありませんでした。

それまでいかに不必要な会議をやっていたか、ということです。