事情あって16歳で産んだわが子に20年ぶりにあった母の思いとは?(写真:筆者撮影)

いろんな環境で育った人に「子ども側」から見た話を聞かせてもらうのが当連載の趣旨ですが、ちょっと変わった取材応募がありました。「16歳のときに出産して養親に託した子どもと二十数年ぶりに再会した」という「親側」の女性が、連絡をくれたのです。

子どもにこれまでどんな思いをさせてきたのか、させているのか。いまも「子どもとの距離感に悩む」という直美さん(仮名、30代)に取材をお願いしたところ、「前置きです」として、少々特殊な、自身の生い立ちを教えてくれました。

その後30代半ばで結婚、約20年ぶりに出産して幼い子どもを育てる彼女はいま、社会人になったわが子と対面して、何を感じているのか。待ち合わせたカフェに現れた直美さんは、一見学校の先生のような、でもとても人懐こい女性で、つらく苦しかった経験も終始、何ともないことのように話すのでした。

「勝手に育った」子どもたち


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直美さんのきょうだいは、彼女を含めてなんと7人。彼女は真ん中の4番目で、上も下も一歳違いの年子でした。両親のほか、一時期は祖父母、親が離婚したいとこたちも同居しており、多いときは13人が一つ屋根の下に暮らしていたといいます。

これだけの大人数、筆者は真っ先に「お金は足りたのかな」と心配になりましたが、父親は高度な専門スキルを持ち、一定の社会的地位と収入を得ていたそう。最大時には9つの仕事を掛け持ちし、また住宅も支給されていたため、一家が衣食住に困ることはなかったようです。

たださすがに生活に余裕はなく、父親は休みなく働き詰めだったそうですが、それでもきょうだい全員、好きな楽器を習わせてもらい、また父親は子どもの誕生日には必ず「好きな参考書」を買ってくれたといいます。「参考書は酷い」と苦笑しながらも何度も口にしていたので、悪い思い出ではないのでしょう。

「もしきょうだいの人数が半分だったら、そこそこいいおうちだったと思います。私は進学しなかったけれど、ほぼみんな大学に行かせてもらっているし」

「大家族」というと、テレビのスペシャル番組で見るような「わいわい楽しい」雰囲気を思い浮かべるかもしれませんが、実際にはいろんなケースがあるのでしょう。「子どものときは最悪でした」と直美さんは話します。

「一人部屋なんてないし、みんな年が近いから喧嘩も多い。新しいお洋服を買って、みたいなことを言った記憶もないな。お下がりばっかりで、物欲もない。

いま母親に聞くとやはり苦労していたようで、食費もカツカツだったって。(子どもたちは)勝手に育ったっていう感じです。父親の仕事のこともあって、周りの子と環境が違い過ぎて学校ではいじめられたけど、私も噛みついて仕返しをしたりして(笑)」

7人きょうだいのなかには“派閥”もありました。彼女は年子の姉からいつも目の敵にされており、「姉の派閥」とは敵対していたそう。直美さんが父親に目をかけられていたことも、姉の反感を買う背景にあったようです。

「テレビで見る大家族は、きょうだいみんな仲良く協力しあっているけれど、私たちはそういうふうではなくて。めいめいが奔放すぎて、協調性もあまりない。家は私にとって居心地がよかったわけじゃなく、あまり居場所がなかったんですね」

表情を変えずに語られた妊娠の経緯

そのような背景から、直美さんは中学生の頃から、あまり家に帰らなくなったといいます。小学生のときから人懐こく、大人と仲よくなりやすかったのですが、中学に入るとますます行動範囲が広がり、近くのマンションの屋根(屋上ではない)で野宿をしたり、ゲームセンターの常連や店員さんと仲良くなって、バックヤード(休憩室)に入り浸ったり。「学校に行かないときは、大体ゲーセンにいた」そう。

「妊娠は中3の終わり頃。正直なところ、自分で意図してそういう関係になったわけじゃなくて。当時、別に彼氏もいました。私はよくゲーセンで仲良くなった大学生の車に乗せてもらって出かけたりしていて、そのなかの一人。車で寝ちゃっていたときで、何が起きたのか実際の記憶はあまりないです。相手ははっきりしていますけれど」

表情を変えずに話し続ける直美さんに、正直なところ、戸惑いました。意識がない状態で性行為が行われたなら、それは許されない犯罪です。でも、彼女の言葉に怒りはありません。

直美さんは妊娠したことを、「お利口さんでいい子じゃなかった、自分のせい」だと思っているのです。それに相手は、生まれた子どもの父親でもあるので、悪く言いたくない気持ちももしかしたらあるのでしょうか。

体調が悪い日が続き、母親と病院を訪れたところ、妊娠が判明。このときはすでに、堕胎が可能な時期を過ぎていました。

「そのときはもう、相手がどうこうとかじゃなくて、『どうしたらいいんだろう?』って。自分がやってきたことが跳ね返ってきたんだなって。『助けて』とかじゃなくて、『もう消えてしまいたい』だったな、あのときは。本気で泣いたし、自殺も考えました」

しかし幸い、両親とも直美さんに寄り添い続けてくれました。まずは相手の両親と話し合いをしましたが、先方は「うちの息子ではないと思う」と主張したため父親が「ブチ切れ」、すぐに「うちで育てよう、心配しなくていいよ」と彼女に伝えてくれたそう。

ところが残念ながら、周囲がそれを許してくれませんでした。父親の仕事の関係者や、親せきらが口を挟む事態となり、大人たちの間で話し合いが行われた結果、生まれた子どもはやむなく手離すことに。知人に紹介してもらった特別養子縁組のあっせん団体を通して、見知らぬ夫婦のもとへ託されることになったのでした。

出産した年、直美さんは高校を休学。翌年度に復学し、その翌年には父親の仕事の関係で引っ越して転校もしています。そうして生活が変わっていっても、子どものことを忘れた日はなかったといいます。

子どもの消息を知ったのは、出産から2年ほど経った頃でした。直美さんがやむなく子どもを手離した経緯を知ったある関係者が、子どもが大体どの辺りに住んでいるかということを、特別に教えてくれたのです。偶然なのか必然なのか、それは直美さん一家の引っ越し先から、すぐ近くの街でした。

「それからずっと、『もしかしたら、子どもがいつか自分に会いに来るかもしれない』って、何となく思っていました。自分のルーツを知りたいって思う人はいっぱいいるし、私だったら探すなと思ったから」

そうして約20年の月日が流れ、昨年ついに直美さんのもとに、その子・悠さん(仮名)からメッセージが送られてきたのでした。

再会して驚いたこと

「自分の母親を探しています。あなたですか?」

SNSを通して送られてきたのは、こんなメッセージでした。直美さんは、驚きませんでした。なぜなら、いつか子どもが自分に会いにくるとき手がかりになるようにと、敢えて旧姓でSNSに登録していたからです。

いまの夫にも、高校生のときに産んだ子どもがいることは話していました。とはいえ、「実現したときのことをあまりシミュレーションしていなかった」ので、動揺はしたといいます。

そしてついに、直美さんと悠さんは再会を果たすことに。

「『あ、自分に似ているな』と思いました。特に行動パターン、『思い立ったらすぐ行動』というところ。Facebookでつながったんですが、(悠さんは)友達がめっちゃ多くて国際的。私に会いにきたときも、一週間後に海外(マイナーな国)に行くと言っていて、そういうところも『ああ、(うちの家系に)似ているな』って」

驚いたのは、悠さんが養親から養子であることを告げられた時期でした。

「いつだと思いますか? 10歳。早くてびっくりしました。よくパスポートを取るときに戸籍を取り寄せて『あれ?』となる、みたいな話を聞きますよね。あとは子どもの気持ちが離れてしまうことが心配で、本当のことを一生教えない人もいるって聞きますけど、それをよく10歳で教えたな、って。

それを聞いて、本当に子どものことを考えている、いいご家庭に引き取られたんだなって思いました。教えるのが遅くなるほど、子どもが悩む時間や葛藤は大きくなると思うし、たまたま知ったりしたらショックが大きい。そういう形で知られるぐらいだったら、自分たちで早くから教えよう、というふうに思ったのかなと」

しかも悠さんはこの日、血縁の母である直美さんと会っていることを「親(養親)は知っている」と話していたそう。信頼が厚い親子なのでしょう。

ただ直美さんのほうは、これを機に「改めて自己嫌悪に陥った」といいます。悠さんにいろいろと質問されて、長年悩ませてきてしまったことを感じたからです。またこのとき、「歯切れの悪い応え」しかできず、「誠実に応じられなかった」とも思っているようです。

はっきりとは言えない事情

「子どもからはやっぱり相手のこと、自分の父親のことを聞かれて。『どういう人なんですか? 好きで付き合っていたんですか?』って。『まあ相手の人とはね、仲はよかったけれど、付き合っていたわけじゃなくて。そんなこと言われたら嫌よね、ごめんなさいね』と言って。ただ、望まない妊娠ではあったけれど、私が『産んでよかった』と思っていることは、うそではないので……」

本当のことを伝えたら子どもは悲しむかもしれないけれど、でもうそをつくのも誠実ではありません。もし直美さんがうそをついても、おそらく悠さんは気付いたことでしょう。歯切れが悪くても、言葉を選んで事実を伝えた直美さんを、筆者は誠実だろうと感じます。

別れ際、悠さんは「ちょっとだけ涙を浮かべていた」そう。

その後も直美さんは悠さんとときどきメッセンジャーでやりとりをして、2回ほど会ったといいます。ただ、メッセージを送ってもすぐに返信が来ないこともあるので、「そんなに頻繁に連絡を取りたいわけではないのかな?」と考えることもあり、「生物学上の母ではあるものの、距離感に悩む」と話します。

直美さんがいまは結婚しており、子ども――悠さんにとっては父親違いのきょうだい――がいることを伝えると、悠さんは「いつか会いたい」と言っていたそう。機会を見て、いつかふたりを会わせるつもりでいるようです。

なお、直美さんは取材中ずっと、悠さんが生みの母親である自分の過去をどう受け止めるかを、とても気にしていました。筆者には少し心配し過ぎのようにも感じられましたが、実際にどう感じるかは悠さん本人にしかわからないことです。

直美さんがこの日筆者に話してくれたことは、本当はみんな、悠さんに伝えたかったことなのかもしれません。