ドイツのフンボルト大学(写真:Sanga Park /PIXTA)

教育機会の平等を巡り、揺れる日本の大学入試改革。一方で、教育格差があまりないと言われるドイツの大学でも大きな悩みを抱えているようです。京都女子大学客員教授で、京都大学名誉教授の橘木俊詔氏が上梓した『大学はどこまで「公平」であるべきか―― 一発試験依存の罪』からドイツの事例について、一部抜粋・再構成してお届けします。

日本で最初の大学(特に帝国大学[後の東京帝大、今の東京大学])はドイツの大学をモデルとしている。建国以来いわゆるカレッジ(学部が中心で教養教育を主眼とする大学)が中心であったアメリカでも、1876年設立のジョンズ・ホプキンス大学がドイツの大学をモデルとし、研究中心の大学院教育を柱にする大学を目指した。それを機に、その動きがシカゴ大学はじめ他の大学にも浸透し、現代のアメリカでは大学院中心の大学が定着している。

ではそのドイツの大学が現在、どのような状況に置かれているかをあらためて考えてみたい。

日米の大学に影響を与えたドイツの大学

ドイツの大学のなかでも特に日米の大学に大きな影響を与えた学校として、ベルリンにあるフンボルト大学(時にベルリン大学と称されることもあったが、現代では一般的にベルリン・フンボルト大学と称されている)が挙げられる。日本の大学の成り立ちを深く知る意味でも、フンボルト大学の成り立ちをある程度知っておいて損はない。

同大学の創立は1810年、言語学者で教育者でもあるフンボルトによって設立された。当時まだドイツ帝国は成立しておらず、有力国であるプロイセン大国においての設立であった。

ただしプロイセンは後のドイツ帝国ができた際、その中心を担った国だったため、その影響力は強かった。ドイツには、中世の時代から続くハイデルベルク大学など名門大学がいくつかあるが、フンボルト大学は19世紀の創立なので比較的新しい。そのため、旧来の大学とは異なる精神で建学されている。

たとえば、当時も今も、ヨーロッパの大学は伝統として法学、神学、医学を中心科目にしてきた。しかしフンボルト大学では医学は当然として、数学、物理、化学、文学といった学問を重視して、それらの学問の発展へと大いに尽くしたことで、研究大学としての名声を高めたのである。哲学者のフィヒテ、ヘーゲル、医学者のコッホなど、実際に多数の優れた学者を輩出した。

この名声に憧れて、日本からも森鴎外、北里柴三郎、寺田寅彦といった有名な学者が留学している。そして研究中心の大学や大学院教育を重視する姿は「フンボルト精神」として大学界において名声を博し、これが日本やアメリカの大学へ大きな影響を与えていった。

ところが第二次世界大戦後、フンボルト大学は旧東ドイツに属することになり、影が薄くなっていく。西側のベルリンにベルリン自由大学が設立されたことも影響があるだろう。1990年にドイツ再統一が実現したことでフンボルト大学は再び首都の大学となり、ようやく地位を回復することになる。

格差が小さいドイツの大学

なおドイツの大学の経営は主として州の財政で賄われる。そのため、ほとんどを州立大学とみなすことができるだろう。

ドイツは連邦国家なので、結局は国立大学とみなす考え方もあるが、個々の大学運営は州政府の管理下にあるために公立大学であり、現在でも学費はほぼ無料だ。その一方で、私立大学の存在感が小さいことがドイツのもう1つの特色でもある。

そうした環境下にあるためか、ドイツでは、大学間の格差があまり見られない。個々の大学が固有の入試を課さないため、自分が生まれ育った州の大学に進学するのがあたり前で、入学してくる学生の質にも大学間で大きな差が生じないのである。

また、どこの大学を卒業したかという出身大学名がキャリアに有利に働いたり、逆に不利に働いたりといった影響もあまりない。ドイツが英仏米日のような学歴社会にならなかった背景として、大学間格差が小さいことはあるだろう。

しかしながら、大学間格差があまりないという現状は、研究水準に少なからず影響を及ぼしている。そもそも戦前のドイツは世界に冠たる学問水準の高さを誇っていたが、その後ユダヤ人排斥の影響を受けて優秀な研究者がアメリカに移住してしまい、研究水準が低迷することとなった。アメリカに亡命した著名人の代表格が物理学者として名高いアインシュタインである。

こうした歴史的要因に加え、大学間格差が小さく、学生のレベルも各大学であまり差がないとなれば、どうしても優秀な研究者が輩出されにくくなる。

事実、ドイツ全体の学問水準は低迷し、大学の沈滞が戦後の長期間続いてきた。筆者の専門分野である経済学を例にしても、戦前のドイツからはエンゲルスやマルクス、オーストリアからはハイエク、シュンペーターなどの第一級の学者や研究者が輩出されているが、戦後はアメリカ、イギリス、フランス、スウェーデンにすっかりその地位を奪われ、目立つ経済学者は生まれなくなっている。

ドイツの大学と似た課題を抱える日本の大学

そうした背景から、ドイツの政策当局と教育界は、米英仏日のように大学間にあえて格差を設け、ある程度偏りを作って大学に投資するように動き始めた。

もともとドイツにはいくつかの大学に重点的に研究予算を配布する“Excellent Initiative”という制度があった。それを発展させ、2016年には、連邦・州政府の合同で“Universities of Excellence”計画が立ち上がり、数十の特定の研究プロジェクトに対し、研究水準を上げるべく多額の研究費を支給するようになった。こうした計画はまさにドイツの大学の将来に、格差を拡大する素地になると思われる。


そしてドイツの大学がなぜこのように特定の大学、あるいは研究プロジェクトに研究資金を集中させなければならなくなったのか、あらためてその背景を考えれば、ある意味、日本と似た課題を抱えていたことがわかる。

たとえばTimes Higher Education(THE)が2020年9月に発表した世界大学ランキングを見れば、オックスフォード大学やスタンフォード大学など、上位はほぼ米英の大学で占められており、トップ15位以内にドイツの大学はなく、また日本の大学もそこに存在していない。

国内での平等性を追求するのか、それとも少数ではあっても世界レベルの大学や研究・教育を確立するために格差を容認するのか。両国ともその岐路に立っていると言えるだろう。