戦国時代のハニートラップ!日本初の火縄銃づくりに貞操を捧げた17歳の乙女「若狭」【前編】
「南蛮人のご一行(15)、よさ(43)げな鉄砲持って来た」……戦国時代、日本へ鉄砲が伝来したことを、そんな語呂合わせで覚えた記憶があります。
時は天文12年(1543年)8月25日、大隅国種子島(現:鹿児島県)に漂着した南蛮商人が火縄銃をもたらし、その後の歴史を大きく変えていきました。
「これを自前で作れないものか?」
一丁あたり黄金1,000両(※現代の価値で数千万〜数億円相当?諸説あり)とも言われる破格の値段で火縄銃を買った領主の種子島時尭(たねがしま ときたか)は、家臣の篠川小四郎秀重(ささがわ こしろう ひでしげ)と刀鍛冶の八板金兵衛清定(やいた きんべゑ きよさだ)を呼び出します。
「……その方らを呼んだは他でもない、此度手に入れた鉄砲について、威力のほどはその方らも思い知ったことじゃろう。これを大量に備えれば、百万の敵も恐れるに足らず!……と言いたいところじゃが……」
「金子(きんす≒ここでは予算の意味)にございますな」
「いかにも。一丁につき黄金1,000両などという法外な値で買い続けては財政が破綻してしまう。そこで……」
「我らに鉄砲と火薬を開発せよ、との仰せにございますな」
「左様。そこまで解っておれば話は早い。小四郎は火薬を、金兵衛は鉄砲をそれぞれ担当せよ」
「「ははぁ……っ!」」
かくして始まった火縄銃の国産化計画、果たして上手くいくのでしょうか……?
いざ火縄銃づくり……立ちはだかる課題
「……さて、どうしたものか……」
2丁購入した内の1丁を自宅に持ち帰った金兵衛は、各部を観察、あるいはカチャカチャと動かしながら考えました。
「とりあえず分解(バラシ)はするな」
モノの構造を知るためには、とりあえず分解するのが手っ取り早いのですが、たった2丁しかない貴重な火縄銃ですから、万が一戻せなくなったら大変です。
「外から見た限りだけで内部構造まで推測せにゃならんとは……まったく、無茶ぶりにも程があるなぁ、まったく!」
とか何とか言いつつも、越えるべきハードルが高いほど、にやけ笑いが止まらないのが日本人の変t……もとい職人魂、そしてものづくりの醍醐味というもの。
鉄砲づくりに励む金兵衛たち(イメージ)。
あーだこーだといじくり回しながら、何とオリジナルを一切分解しないまま、火縄銃のレプリカを作り上げてしまったのでした。
「よし、サイズから動きから何から、まったく同じに仕上げられたぞ!」
試行錯誤の挙句、金兵衛は恐るべき執念の結晶を持って時尭の元へ報告に行きました。
「おぉ……本当にやってのけるとは流石ものづくりの変t……もとい、職人は違うのぅ」
「過分のお褒めにあずかり、恐悦至極に存じまする!」
ちょうど小四郎の方も火薬の調合に成功し、一説では当時世界最強クラスの威力を誇ったとも言われています。こっちもこっちで中々の変t……職人だったようです。
「では、さっそく試し撃ちと参りましょうぞ」
逸る気持ちを抑えながら、金兵衛は小四郎謹製の火薬と弾を込め、手順通りに準備を整えました。
「いざ!」
引き金が引かれて火縄が落ちると、凄まじい轟音と煙が立ち込めます。
「……首尾は!?」
一同が見守る中、煙が晴れると的には穴一つあいておらず、金兵衛の作った火縄銃は壊れてしまっていました。
「せっかく完全武装でキメたのに……」試作した火縄銃の不発にがっかりする金兵衛(イメージ)。
「あれぇ……?」
尾栓(びせん。銃身の底をふさぐ部分)の強度が低く、小四郎の火薬に耐えられなかったのです。
その後、何回作りなおしても尾栓の強度だけは改善できず、金兵衛の鉄砲づくりは難航を窮めていました。
「うぅむ、南蛮の連中は、いったいあそこをどうやって塞いでおるのじゃ……」
火縄銃の分解はどうしても認めてもらえず、さりとてもう1丁買い足すだけの余裕もない……となると、やはり自力で謎を解くよりないのですが、果たして金兵衛の鉄砲づくりは上手くいくのでしょうか……?
【後編へ続く】
※参考文献:
佐々木稔『火縄銃の伝来と技術』吉川弘文館、2003年3月
徳永和喜『種子島の史跡−歴史寸描』和田書店、1983年9月