子どものいる夫と結婚して、子育てに悩む継母は多い。明治学院大の野沢慎司教授と大阪産業大の菊地真理准教授は「『いい母親になろう』としてしつけに厳しくなりやすいが、背景には『女性には子どもに愛情を注ぐ母性本能が備わっている』という思い込みと、おとぎ話に出てくる『意地悪な継母』のイメージが社会に根強い状況がある」と指摘する――。

※本稿は、野沢慎司、菊地真理『ステップファミリー 子どもから見た離婚・再婚』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

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■母親になるという意識がより強い継母たち

二〇〇〇年代に二十二名の継母を対象としてインタビュー調査を行ってきました。事例のうち実母と継子が交流しているケースは三ケースであり、継子調査と同様に離婚・再婚後の別居親子の面会交流が乏しい当時の社会状況が反映されていると思われます。次に紹介する三名の継母のように、実母との交流がないなか、就学前や学童期の子どものいる場合には、なおさら、より「母親」になるという意識が鮮明にあらわれるといえます。

野沢慎司、菊地真理『ステップファミリー 子どもから見た離婚・再婚』(KADOKAWA)

ただ私が一緒に住むのであればお母さんとしての役割を果たしていきたいし。やっぱり(継娘《ままむすめ》が)可哀想だなっていう気持ちが私の中にもあったんですよね。お母さんと別れて、甘えたい時期だったろうにお母さんに甘えることができなくて。(中略)だから私がそれをしてあげられるんだったらいいかなっていう気持ちはあったんですよね。それで、お母さんになってあげられればいいかなって、漠然と思っていたんですけど。(三十代・初婚継母)

普通に一般的にお母さんが子どもにしてあげることをね、体験してやれたらね。自分の子どももやっぱり父親がいないわけですから、一般的な父親のいる家庭っていうのをね、体験させてやれたらね、いいかなっていう。(三十代・再婚継母)

■「お母さんとしての役割」を期待されている

あの人(夫)は自分の子に母親を無くしてしまったっていう罪悪感があると思うんですよ、だんなは。それを、私が来たことで埋まってるって、その罪悪感を埋めることができてるって思ってるんやろうなって。それが重たいんです、私は。(二十代・初婚継母)

「母親」になろうと強く意識していなかったとしても、結婚後に夫(同居親)や継子の祖父母から強く期待されていると気づき、それが大きなプレッシャーとなったと語る継母もいます。その期待に応えようとして「いい母親」になろうとする。専業主婦として子育てに専念するため、結婚と同時にキャリアを捨てて退職したという継母もいました。

「お母さんとしての役割」「普通に一般的にお母さんが子どもにしてあげること」とはいったい何でしょうか。母親の役割には、子どもが甘えられるように愛情をかけ可愛がる情緒的な側面と、日々の家事をこなしながら子どもの年齢に合わせた子育て(世話、しつけ、教育)を行う側面があります。途中から家族に加わった継母が継子育ての一切を引き受けていく。実はここから継母子間(継親子間)の葛藤が始まるのです。次に紹介する三名の継母は、結婚してから家族文化の違いに違和感をもったことを語っています。

■生活文化の違いや食事マナーについ…

本当に日常の細々としたことに口うるさくなっちゃったんですね。で、それがいいお母さんだと思ってたんです。で、やっぱりいいお母さんとして認められたいという気持ちが人一倍強かった。(三十代・初婚継母)

継子の食事のマナーはひどいものだった。だから「直します」ときつく言った。結婚するまで料理なんてできなかったから一生懸命作ったのに、食べてもらえなくて腹が立ってしまった。「おばあちゃんのとこではこんな料理は食べたことがない」とか言われて……(三十代・初婚継母)

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私が許していないことをこちら(それまでの夫の家庭)では許されていたりとか。(中略)寝る前にジュースを飲むとか、自分でやらなきゃいけないことというのを大人に「やって」と言ってくる。(継息子は)私にも言ってくるんですけど、私は「自分でやれることは自分でやりなさい」ってしてあげないんですけど、そうするとお父さんがしちゃうんですよね。(三十代・再婚継母)

■「厳しい」「冷たい」と感じさせる背景

再婚初期はとくに、継親よりも実親子のほうが関係の歴史は長く、以前の家族経験のなかで生活をともにしてきた夫(同居親)と継子のあいだで深い愛着や習慣、価値観が共有されているのは当然のことです。ステップファミリーとなるまで祖母が孫育てを引き受けていたケースもあります。夫や祖父母は気づかないけれども、途中から継子育てを引き受ける継母は、あいさつのしかた、食事のとりかた、ダイニングでの座り方、お手伝いの順番など、生活の細かいところに家族文化の違いがあると気づきます。

必要以上に甘やかされているように感じたり、しつけが行き届いていないと感じられたりすると、「いい母親」になろうとして継子を厳しくしつけ直そうとします。別のインタビュー対象者は、継母によるしつけを「厳しい」「冷たい」と感じていたと語っていましたが、その違和感は継母が「母親」であろうとして背負ったプレッシャーによるものだったのかもしれません。しかし、継子からすれば、今まで許されていたことが許されなくなったり、生活をコントロールされているようにも感じられ、継母に激しく反発するきっかけになります。

■「ほかのお母さん、もっとやってます」

継子育てに悩んでも、「母親」となることを求める夫には理解されないばかりか、やり方が悪いと否定されてしまうこともあります。しつけや教育の方針をめぐってカップルや祖父母など世代間で意見の対立も起こりやすく、ある継母が「私は家のなかでいつもひとり」と語ったように、途中から家族に加わった継母が疎外感や孤立感を抱えてしまうのはよくあることです。

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家庭内で葛藤を抱えた多くの継母が、助言や情報を求めて公的機関の相談窓口や友人・知人に相談しても、理解や共感を得られないという経験をしています(前回記事で見た、結愛ちゃんの母親が児童相談所から適切な支援を得られずに孤立していった状況と似ています)。そこでも「理想的な母親」となることを求められていると知り、さらに孤立感を強めてしまうのです。

「ほかのお母さん、もっとやってます」と。「自分の人生を犠牲にしてでも自分の子を見てます」みたいなことを言われたんですよね。(中略)お母さんはきっと言わなくてもそう思ってるのは当然だからって言わないじゃないですか。でも継母はそう思ってないだろう、育児もちゃんとやらないだろうし愛情もないだろうという前提があるので、それを言われるんだろうと思って。(三十代・再婚継母)

■レッテル貼りが深刻な自己否定につながっていく

この三十代の再婚継母のように、継子との関係を改善するヒントは何かないかと子育てに関する相談窓口に駆け込んだものの、継母に対する偏見のある回答しかもらえず、ステップファミリーの継親ならではの悩みを理解してもらえない。相談したことでかえって誰にも助けを求められないと知れば、ますます葛藤を募らせ、孤立してしまうことは想像に難くありません。

シンデレラのまま母みたいなことは私もやってるのかもしれへんなって思うときあって、すごい自分が嫌になるときってよく、多々あります……(三十代・初婚継母)

継母に期待されるのは「理想的な母親」になることであり、そうなれなければ「意地悪なまま母」というレッテルを貼られてしまう。この継母のように、おとぎ話に出てくる虚像と自分が重なって、深刻な自己否定にもつながっていくのです。

結局、継親が「親」になり代わるというやり方は、継子だけでなく継親にとっても葛藤を生じやすいことがわかります。そして、継親のなかでも、継父よりも継母のほうがストレスが高いという理由がわかるでしょうか。

■実親とどちらが「親」としてふさわしいかという苦悩

「継母になることの難しさ」は海外の研究でも指摘されています。その背景には、男性よりも女性のほうが子育てに向いているとか、女性は子どもに愛情を注ぐ母性本能が備わっているはずだというような、女性だけに向けられる役割期待とそれを補強する規範(母性神話、三歳児神話)があるからだと考えられます。公的相談機関の窓口で言われたという、母親とは「自分の人生を犠牲にしてでも」子どもの面倒をみるものだというような発言は、端的に継母に向けられる性別にもとづく役割期待をあらわしています。

もちろん、継父に対して向けられる役割期待もあります。「父親」として経済的な役割を引き受けるだけでなく、生活習慣を身につけさせるため、厳しくしつける役割を期待されています。継父自身も、「親」としての義務感を強めて積極的にその役割を引き受けていくように見えます。継母も継父も、別居親という見えない相手と、どちらが「親」としてふさわしいのか、日々競い合わなくてはなりません。だからこそ、「親」であろうとする自分を否定されると、深く傷ついてしまうのではないでしょうか。

■核家族から親ひとりが除かれ、継親が補うかたち

調査事例から見えてくるのは、初婚のような「ふたり親家庭」を再建しようとすると、継子と継親ともに大きな心理的葛藤を抱えてしまうということです。このように、いなくなった実親と入れ替わって、その代役として継親が「親」としての役割を引き受けていくやり方を「代替モデル/スクラップ&ビルド型」と呼んでいます。わかりやすくイメージしてもらうために図表にしてみました。

出所=『ステップファミリー 子どもから見た離婚・再婚』

この図は、前の結婚で作られた、親と子からなる核家族世帯から親のひとりが除かれ、除かれた実親を継親が補うかたちで同様の核家族世帯を再建するイメージです。「代替モデル/スクラップ&ビルド型」では、離婚の前も後も、また再婚後も、同居している親と子どもで構成される世帯(家庭)に含まれるメンバーだけを「家族」とみなしています。世帯の内と外の間に家族の境界線が明確に引かれ、除かれた親のひとりはもともと存在していなかったかのようです。

日本では、離婚後に「ひとり親家庭」となった場合、その親の実家で子どもの祖父母と同居(または近居)するパターンが多いこともこの図に示されています。

■大人は「家族」を再建しようとするが…

このタイプでは、継親を「親」として位置づける代わりに、別居親の存在は無視あるいは軽視されています。それどころか、別居親の存在を言葉にすらできないタブーとなっていることも多いのです。親や継親は疑うこともなく、子どもに継親を「親」として受け入れるよう求めます。大人側が主導して、この家族モデルを目指して「家族」を再建しようとするのです。その結果、子どもは実親のひとりとその親族との関係をまるごと喪失することになります。

子どもが以前の家族の良い思い出や実親の良いイメージを持っている場合には、それを否定するような態度や行動に反発・抵抗するのは当然のことでしょう。実母と継父のもとで育ったある女性は高校の家庭科の授業で宿題が出されたから、素直に実父のことを知りたいと思い写真を探しました。

また、本書で登場する別の女性が継父を「○○パパ」と呼ぼうとしたのも、もうひとりパパが増えたと思ったからです。大人が想像する以上に、子どもたちは柔軟に、親的な存在が複数存在するという事実を自然に受け入れているのです。

■大人と子どもの間で家族観のズレが起きている

つまり、同居しているメンバーだけで「ふたり親家庭」を再建しようとする大人と、同居・別居にかかわらず「家族」を柔軟にとらえている子どもとのあいだで、家族観に大きなズレが生じていることがわかります。このズレに大人側が気づいたとき、理想の家族像が崩されたように感じ、大きなショックを受けてしまうようです。

このような大人側と子ども側の利害葛藤を乗り越える方法はないのでしょうか。著者たちが行ってきたインタビュー調査では、少数ではありますが、従来の通念的な「ふたり親家庭」をモデルとせず、創意工夫しながら再婚後の別居親子関係を継続し、両親が共同養育・並行養育というスタイルで子どもの成長に関わり続けている事例もあります。

『ステップファミリー 子どもから見た離婚・再婚』(KADOKAWA)では、「代替モデル/スクラップ&ビルド型」とは違う、「ふたり親家庭」を前提としないタイプの実践事例をヒントに、ステップファミリーならではの関係形成のありかたを検討しています。

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野沢 慎司(のざわ・しんじ)
明治学院大教授
1959年生まれ、茨城県水戸市出身。1989年、東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得満期退学。社会学修士。専門は家族社会学、社会的ネットワーク論。明治学院大学社会学部教授。2001年より菊地真理らと協働して日本のステップファミリー研究を牽引。その間、フロリダ州立大学・オークランド大学で客員研究員。支援団体SAJと協力して一連の国際会議を開催する。単著に『ネットワーク論に何ができるか「家族・コミュニティ問題」を解く』、共著に『ステップファミリーのきほんをまなぶ 離婚・再婚と子どもたち』などがある。
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菊地 真理(きくち・まり)
大阪産業大准教授
1978年生まれ、栃木県宇都宮市出身。2009年、奈良女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。専門は家族社会学、家族関係学。大阪産業大学経済学部准教授。2001年よりステップファミリー研究および当事者支援団体SAJでの活動を始める。共著に『ステップファミリーのきほんをまなぶ 離婚・再婚と子どもたち』『現代家族を読み解く12章』などがある。
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(明治学院大教授 野沢 慎司、大阪産業大准教授 菊地 真理)