仏アンティーブで練習に臨む2016年リオデジャネイロパラリンピック・フランス代表のジャン・バティスト・アレーズ(2020年8月24日撮影)。(c)Valery HACHE/ AFP

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【AFP=時事】パラリンピックは、苦難を乗り越えて偉業を達成した選手のストーリーの宝庫だが、ジャン・バティスト・アレーズ(Jean-Baptiste Alaize、フランス)ほどのトラウマを抱えた選手はそう多くない。

 陸上短距離と幅跳びを専門とするアレーズは、ネットフリックス(Netflix)のドキュメンタリー「ライジング・フェニックス(Rising Phoenix)」でも取りあげられた29歳だ。アレーズがわずか3歳で右脚を失った原因は、事故でも、病気でもなく、マチェーテ(なた)で切りつけられたことだった。

 ブルンジで内戦が発生していた1994年10月、ツチ人の少年だったアレーズは、母親と共に近隣のフツ人に捕まり、母親は息子が見ている前で首を切られて殺された。アレーズ自身も背中を切り裂かれ、他にも首や右腕、右脚を切られた末に放置された。何とか一命を取りとめたが、数日後に病院のベッドで目を覚ますと、右脚の膝から下がなくなっていた。

 アンティーブ(Antibes)での練習後、AFPのインタビューに応じたアレーズは、喉を指でかき切るしぐさをしながら、「何年もの間、目を閉じるたびにその場面がフラッシュバックした。母が目の前で殺されるところを見たんだ」と話した。

「母と一緒に走って、走ったが、遠くまでは走れなかった」

「僕らは家から40メートルの場所で殺された」

 それから、走ることがアレーズの人生のストーリーになった。

■「自由」をくれた陸上

 その後1998年にフランスへ渡り、今の家族に引き取られたアレーズは、ドローム(Drome)の陸上クラブに入った。そして人工装具を着けて走った晩、襲撃後初めて悪夢にうなされずに済んだ。

 現在、米フロリダ州のマイアミに住むアレーズは、「初めてトラックに足を踏み入れた瞬間から、できるだけ長く走らないといけない、捕まっちゃいけないという感覚があった」と話す。

「練習初日の夜のことは今でもきのうのように覚えている。驚いたよ。頭がすっきりして、自由だった。体内のエネルギーや憎しみが、全てトラックに向かっていた」

「それで、スポーツが自分にとっての治療になり得るということを悟った」

 乗馬にも挑戦し、楽しみながら7段階中の6段階まで腕前を上げたが、結局やめた。本人は笑いながら「憂さを晴らすのは馬であって、僕じゃなかったからね」と話す。精神分析も徒労に終わり、「医者は僕に丸や四角を書かせた。2、3回通ってみて、別の方法にしたいと言った」そうだ。

 しかし、アレーズは理解者となる体育教師と出会う。4×100メートルリレーのアンカーとして、チームを劇的な「逆転」勝利へ導いたことで、陸上を本格的に始めるよう勧められた。仲間たちは、チームのアンカーが義足だとは知らなかった。アレーズはからかわれたり、人種差別が激しくなったりするのが嫌で、足がないことを隠していた。

「僕は『バンブーラ』と呼ばれていた。汚い黒人とか、サルとかいう意味だ。つらかったよ」

 それでも、ブルンジのブジュンブラ(Bujumbura)で父親に見捨てられ、児童養護施設で5年を過ごした少年にとって、アレーズ一家に養子として迎え入れられ、ジャン・バティストという名前と、ずっとなかった家が手に入ったのは幸いだった。

「ここへ着いたときは、これは現実なのかと思った。その方面、つまり愛されることに慣れていなかった。僕にとっては、どうして人種差別が起こるのかいまだに理解ができない。僕の両親は白人で、僕は黒人の子どもだったが、両親は実の子どものように愛してくれた」

■「気楽」なアレーズ

 アレーズを引き取ったロベール(Robert)さんとダニエレ(Daniele)さんの夫婦は、他にもルワンダ出身のフツ人の子どもを受け入れ、ジュリアン(Julien)という新しい名前を与えている。

 ジャン・バティストは、もともとムギシャ(Mugisha)という名前だった。「幸運な子」という意味で、残念ながらその名の通りの幼少期は送れなかったが、新しい方の名字はよく合っている。アレーズはフランス語で「気楽に」を意味する「a l'aise」をもとにした名前だ。

 その後、フランスのスポーツ連盟に見いだされた神童は、幅跳びのジュニア世界王者に4回輝くなど、トロフィーを次々に獲得するようになる。しかも、そのうち三つは世界記録でのタイトル獲得だった。アレーズは「そこから人生が変わり始め、フランスを代表できて幸せだった」と話す。

 その後は2012年ロンドンパラリンピックと2016年リオデジャネイロパラリンピックに出場し、リオでは銅メダルにわずかに届かなかったものの5位に入った。東京パラリンピックを目指す現在は、延期が原因で個人スポンサーが減る中、「ブガッティ」と名付けた最先端の義足を身に着けてメダル獲得とフランスへの凱旋(がいせん)を夢見ている。

「今も東京2021か、2022か、あるいは2024年のパリ大会出場を見据えている」とアレーズ。「それがうまくいかなかった場合は、残念ながら人生のページをめくらなくてはならないだろう」

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