過去の講演内容からジャック・マーの本心を探ります(写真:AP/アフロ)

年明け早々、「ジャック・マー失踪」というニュースが世界を駆け巡った。中国EC最大手アリババの創業者であるジャック・マー(馬雲)氏(56歳)が2カ月余り公の場に姿を現していないのを、中国当局がアリババへの締め付けを強めていることと結びつけ、イギリスのメディアが「行方不明」と報道したのだ。

だが当時、中国ではマー氏の消息はまったく話題になっていなかった。マー氏は2019年9月にアリババ会長を退いて以降、同年11月のアリババ香港上場セレモニーも欠席するなど、公的活動は減っており、SNSの投稿も、もともと少なかった。2020年春先から秋にかけては、コロナ禍の支援活動で姿を見せることが増えたものの、最近の沈黙を不自然と捉える声は出ていなかった。

中国人が今関心を持っているのはマー氏の所在よりも、その評価だ。アリババに逆風が吹き、次世代起業家が台頭する中、「ジャック・マー時代」をどう捉えるかについて論争が熱を帯びている。

世代交代の動き、当局との間の隙間風

2020年末から今に至るまで、中国では「ジャック・マー時代」がトレンドワードになっている。そこには3つの文脈がある。

まず、マー氏の“引退”だ。アリババ会長を退任した同氏は、2020年9月に取締役も退任。グループ会社の役職も順次退き、同年6月には“盟友”孫正義氏が率いるソフトバンクグループの社外取締役も退任した。

インターネット黎明期の1999年にアリババを創業し、GAFAと比べられるメガIT企業に育てたマー氏が経営の一線から離れるのは、文字どおり「ジャック・マー時代の終わり」と言える。

2つ目は、世代交代の動き。2020年6月、フォーブスのリアルタイムビリオネアランキングで、新興EC拼多多(Pinduoduo)の共同創業者、黄崢氏の資産額がマー氏を上回り、中国2位に浮上した(当時のトップはメッセージアプリ「WeChat(微信)」を運営するテンセントの馬化騰会長)。

2015年に創業した拼多多は、非都市部の中低所得者を取り込んで急成長、EC第三極としてアリババを脅かす。今年41歳になる黄崢氏はマー氏より一回り以上若い。マー氏はアントが上場すれば250億ドル以上資産が増えるとされていたが、それもかなわず、アリババ株も下落基調にある。2020年代は「ジャック・マー時代から黄崢時代へシフトする」との論調も出ている。

そして3つ目は、「ジャック・マー行方不明」報道とも関連する「当局との関係の変化」だ。アリババは12月、独占禁止法違反などで二度行政処分を受けた。

金融子会社でモバイル決済アプリ「アリペイ(支付宝)」を運営するアント・グループ(螞蟻集団)は史上最大のIPO目前で、当局の指導を受け上場延期を余儀なくされた。同社は銀行の預金仲介など金融事業から手を引くよう迫られ、ジャック・マー氏のカリスマ性に影を落としている。

欧州の規制は老人で、中国は未成熟な青少年

これまでアリババ中国政府は良好な関係を維持してきたが、上海で10月に開かれた金融フォーラムで、マー氏が中国当局を批判し状況が一変した――。というのが最近の欧米や日本の報道の趨勢だ。

ただマー氏の演説全体を聞くと、「当局批判」のくだりは報道が一人歩きしている感も受ける。実際、アント上場延期が発表されるまで、同氏の演説を「中国」当局批判と結びつけた報道はほとんど見られなかった。

約20分の演説で、マー氏が「老人クラブ」「古い体制」と強く批判した先は、デジタル通貨を厳しく規制しようとする欧州の金融当局だ。Facebookのグローバルデジタル通貨構想「リブラ」を念頭に置いているのは明らかで、「デジタル通貨がまだ普及しておらず、価値創造の段階にある今は、(古いルールで縛るのではなく)デジタル通貨を通じて新しい金融システムを考える必要がある」と語っている。

マー氏はさらに、中国の金融システムを欧州と比較し、「成熟したエコシステムを持たない青少年」「大銀行が大河、血液の動脈の役割を果たしているが、ダムや渓流のような生態系がないため、干ばつや洪水ですぐに死んでしまう。健全な金融システムを構築しなければならない」と語った。

つまり、マー氏は「欧州の古い規制を中国に適用するべきではない」と提言しているが、あからさまな批判はしていない。マー氏の演説が当局を刺激したとすれば、以下の部分が考えられる。

「習近平主席が『成果があげられれば、私の功績でなくてもいい』とおっしゃった。私はこの言葉は未来への責任だと理解している。世界の多くの問題は、イノベーションでしか解決できない。しかし本物のイノベーションは道が敷かれておらず、その過程で間違いも起きる。世界にリスクのないイノベーションはない。リスクをゼロに抑えることこそが最大のリスクだ」

「規制の文書が多すぎる。政策は発展を促進するべきもので、今必要なのは政策の専門家であり、文書の専門家ではない。ECサイトのタオバオ(淘宝)を立ち上げた17年前、われわれはがちがちにルールを定めたため、出店者に理解してもらえなかった。その後、私たちは1つルールを加えるたび、既存のルールを3つ減らすようにした」

「将来の競争はイノベーションの競争であり、監督管理技術だけを競うものではない。習主席がおっしゃるところの政権能力の向上は、監督管理によって秩序ある健全・持続可能な発展を実現することで、監督管理によって発展を犠牲にすることではないと、私は理解している。」

「担保を取って金を貸す考え方は、今後30年のニーズに対応できない。ビッグデータを基礎とした信用システムが担保に取って変わらなければならない」

習主席の名前を出して規制のあり方に口出しした点、そしてアリババが十数年前に現在の問題に対処したと誇っている点は、中国首脳や当局から「一線を超えた」「出過ぎた」と受け取られた可能性がある。

10年以上前から「銀行を変える」と公言

とはいえ、マー氏の奔放な発言は今に始まったことではない。以前はもっと直接的に銀行業を挑発していた。

2008年12月に北京で開かれた企業家フォーラムで、マー氏は銀行が中小企業に融資をしないことを批判し、「銀行が変わらないなら、私たちが銀行を変える。マー頭取が今日話したような『中小企業に融資をする銀行』が3年後には実現している」と熱弁を振るった。

その後もマー氏は公の場で「銀行が変わらないなら、私たちが銀行を変える」と繰り返し、その言葉どおり、ECサイトの決済ツールとして生み出したアリペイを、人工知能(AI)とビッグデータ技術を活用し中小企業や個人に無担保融資を行う中国最大の金融プラットフォームに発展させた。

人々が銀行ではなくアリペイにお金を預けるようになり、中国社会がキャッシュレス化した2010年代後半、マー氏は「銀行は監督機関以外を恐れないが、アリペイに顧客を奪われることは心配している」とスピーチした。

中国当局は長い間、マー氏の言動を容認、あるいは黙認してきた。2008年の「銀行を変える」発言は絵空事であったし、実際にアリペイが銀行機能を持つようになると、国民の歓迎を受けたからだ。

中国当局はアリペイやWeChat Pay(微信支付)に消費データが集まることを危惧し、2016年にデジタル人民元の研究を始めたが、フィンテック分野のイノベーション自体は一貫して支援してきた。

奔放な発言が「傲慢」な印象に

1999年のアリババ創業時から、マー氏の姿勢はぶれていない。彼は経営の素人であり、ITの素人であることを自認し、革命を起こしてきた。2020年10月の金融フォーラムでも冒頭で「金融の素人としてここに立っている」と語った。業界の常識を壊すのは、彼にとっては使命そのものだ。

ただし、マー氏はぶれずとも、その立ち位置は大きく変わった。17人の仲間とアリババを創業し、その後10年ほど、彼の異名は「ほら吹きジャック」だった。しかし今、マー氏は強大な支配力を持つアリババ帝国の首領であり、その発言は時に「予言」と受け止められ、既得権益者の脅威になった。

かつての彼は、金融業を変えようとする挑戦者だったが、アリババとアントの市場支配力が高まった今は、銀行業のルールをすり抜けてデータと利益を支配する独裁者のようにも映る。デジタル人民元を発行しようとする中央銀行にとっては、目の上のたんこぶでもある。

消費者の見方も変わっている。業界首位ではあるが、競合から追い上げられるアリババは、数年前から取引企業に自社のみとの取引を迫る「二者択一」行為を指摘されてきた。

コロナ禍で飲食店が宅配サービスに頼らざるをえなかった2020年7月、浙江省温州市の飲食店20店舗は、アリババ傘下のフードデリバリーアプリ餓了麼(Ele.me)が独占取引契約を強要し、同業他社との取引を禁じたと市場監督管理局に訴えた。

中小企業のビジネスを助けるために創業したアリババだが、中小企業の生存権までを脅かすかのように見える一面も持つようになった。

事業者や消費者の不満を背に、アリババやテンセントなどプラットフォーマーの独占行為にメスを入れる法整備が2020年1月から進められてきた。アリペイ、WeChat Payと競合になりうるデジタル人民元構想も2019年夏に明らかになった。

プラットフォーマーの功罪の「罪」の部分がクローズアップされる空気が濃くなる中でも、マー氏はいつもどおり、空気を読まなかった。

マー氏の「未来への責任」

マー氏は、リスクを承知のうえでブレーキを踏まなかったのかもしれない。くだんの演説で、マー氏は「正直に言うと、今日ここでスピーチをするべきか悩んだ。しかし私は未来を考える責任を他人に転嫁できない」と切り出した。壇上に上がった彼は、原稿に目を落としながら、「誰も爆弾を投げないなら、私が投げよう」ともつぶやいている。

彼がアリババへの逆風が吹き始めたタイミングであえて爆弾を投げたのは、コロナ禍によって世界中が闇に包まれていると感じたからだろう。マー氏は演説の後半で、「今は人類にとって最も鍵となる時だ。今回のコロナ禍を決して軽く見てはいけない。社会に強制的な変化をもたらす、第二次世界大戦に相当する節目だ」と強調した。

同氏が2008年12月に「銀行を変える」と発言したときは、リーマン・ショックの真っただ中で、講演も「次の30年」というテーマを与えられていた。マー氏は本人の発言どおり、世界の混迷を目の前にして、「未来への責任」という使命感に駆られ、信念を貫いたのだろう。

マー氏がアリババ会長を退任した2019年9月、「ジャック・マーが時代をつくった」と称える投稿がSNSなどで拡散した。その数日後、国営メディアの人民網はジャック・マー崇拝を諫めるかのように、「いわゆるジャック・マー時代は存在しない。時代の中にジャック・マーがいただけだ」と題し、次のような評論記事を掲載した。

若者までもが論争に参戦

「成功した企業家、企業は必ず偉大な時代背景を拠り所としている。十数億人の中国人の消費者意識が覚醒した時代が、マーと彼のビジネスの成功の基盤となった。時代を捉えた者だけがポテンシャルを最大限に発揮でき、ジャック・マー、馬化騰、イーロン・マスク、そして私たちのような一般人も例外ではない。成功者を盲目的に崇拝するのではなく、時代背景を冷静に認識するべきだ」

アリババへの逆風が強まり、マー氏が沈黙を続ける中で、国営メディアから10代の若者までが「ジャック・マー中国史」を巡る論争に参戦している。

いずれにせよ、経営の一線から退いたにもかかわらず、2カ月発信しないことで世界的ニュースになる起業家がどれほどいるだろうか。その事実をもってしても、彼が当代を代表する経営者の1人であることは、疑いの余地がない。