彼らの大抵は、試合前からどちらかに肩入れしながら観戦しているわけではない。フラットなスタンスで、試合が面白くなることを願いながら、テレビ画面に向かう。どちらかに肩入れするようになるのは、試合が進行していく過程になる。

 それがベルギーではなく日本であって欲しい--との思いは、前回、ロシアW杯では叶った気がする。試合には敗れた。西野采配についても言いたいことはあったが、それでも合格ラインは超えていたと考える。世界のファンに対して、ベルギーに負けないほど好印象を残せたのではないか。

 忘れてはいけないことだと思う。サッカーには、もともと応援していなかった人を虜にする力がある。日本代表監督になにより望まれる姿勢は、日本のサッカーを世界に向けて宣伝しようとする意気込みだ。野心と言ってもいい。近場の支持者に応援してもらえれば、それでオッケー的な姿勢がギリギリ許されるのは、Jリーグの地方クラブの監督だ。それでも第3者の数が客席の多くを占める国立競技場で試合を行う場合は、物足りなさを覚えるほどだが、一流の舞台で、出し物をご披露する感覚がない監督に、日本代表監督は務まらないと考える次第だ。「我々を応援してくださる方に○○をお届けしたい」を聞くたびに、こちらはひどく憂鬱になってしまうのである。