ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類!新春スペシャル!!』が新年1月2日に放映された。2016年に放映された連続ドラマの続編スペシャル版。連続ドラマでは、津崎平匡(つざき ひらまさ)[演・星野源]と、そこに家事代行で雇われた女性・森山みくり[演・新垣結衣]の関係を、「契約結婚」という形で淡々とコメディタッチで描き、現代の夫婦のあり方にさまざまな問題提起をした。

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【公式】逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類!新春スペシャル!!|TBS FREE
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今回はこのふたりに赤ちゃんが生まれるという内容。妊娠から出産、最初の育児のスタート期が舞台だ。
<※筋に触れるので、これから観る方は視聴後に読んでください。>

■フラットな視点を持つ「出来すぎたパートナー像」に語らせたのは……


全体として、平匡は前作に引き続き、もともと世界の見方がフラットで、昔っぽいジェンダー観にはしばらていない。女性を付属物や飾りとしてみるような発想がないし、「男性ならではのコミュニケーション」と見える態度とは距離をおいている。大黒柱という考え方は否定的で、家事は分担。男性の育休も自分が取ることで「普通のアップデート」をすると考える。妊娠中のみくりの身体に対する思いやりも深い。仕事で疲れていても家事をやるし、例えばつわり中のみくりが食べられるものを求めて店を何件もめぐったりもする。

この時点で、平匡は全方位的にいろいろクリアできすぎていて、モダン育児の教科書的な優等生だから、「これだけできたパートナーなら十分でしょ」と自らの現実と比べてかえってつらくなってしまう人もいたかもしれない。

そんな「できすぎたパートナー像」を据えて足場を固めた上で、本作が平匡に語らせたのは、男性が背負う「男らしさの呪縛」だった。

■「つらい」と言えない男性の生きにくさ


育休を取るために仕事を追い込み妊娠で体調悪化のみくりのために家事をがんばり続けた平匡は、ついに、プチ爆発する。仕事と家事の疲労と散らかった部屋と年末の焦燥感の中、みくりの体調がよさそうに見えたので、「少しくらい片付けてくれたっていいじゃないですか」と言ってしまう。声を荒げるわけではないし、みくりの反応を受けて「泣きたいのはこっちですよ……」とうずくまるのだが、平匡的スケールでみればけっこう劇中マックスの感情の表明だった。

その数日後、みくりは妊娠後期のつわりがおさまってきたのを期に、平匡の留守中に家政婦を頼み部屋を片付け掃除を済ませる。ゴミ出しをしなければ……と正月明けの休日仕事を切り上げて帰ってきた平匡は、整った部屋と、ときには人の手も借りようというみくりの言葉に思わず涙を流す。

「平匡さんもつらいときはつらいって言ってください。男だって女だって、つらいときはつらいですよね。」
「つらい、つらかった……」

ようやく、素直に自分の重荷を認め「つらかった」と言えたけれど、これだけジェンダーレスなマインドセットの平匡であっても、「つらい」と言えるまでの壁が高めに描かれた。

現実には、ここを素直につらさと認められる人はそう多くないようだ。「お互いつらかったね」っていいながらハグ!……なんていう流れが、リアルにはかなり難しい。なぜそうなのか。

■「弱みを見せたら負け」的な「男らしさ」の存在


どうやらけっこう多くの男性にとって、「つらい」ってパートナーに吐露するという行為事態が「ありえない!」「耐え難い!」ことのようなのだ。

ジェンダーの課題を考えるとき、女性のことだけを単独で見てもまったく解決にならず、男性のあり方も同時に見つめる必要がある。ここ数年で「男性学」という言葉はけっこうメジャーになり、男性が背負っている「男らしさ」の存在や、それをいかにして社会の中で獲得していくのかという男性のジェンダー観の成り立ちを解こうとする書籍も増えている。

そうした書籍を読み解くと、女性コミュニティでは主に「男の面倒なプライド」「男の見栄と虚勢」「男同士の強烈なマウント」「誰と戦ってるの?」などの言葉で表される態度のひとつひとつが、男性が子どもの頃から浴びせられてきた言葉や社会が作り出すイメージに大きく影響され、粛々と形成されてきたことがわかる。無意識に構築される「男らしさの呪縛」だ。

例えば「弱みを見せたら負け」という発想を、多くの男性が身につけているらしい。そうか、もしやそれを家庭の夫婦のコミュニケーションにも持ち込んでいるのか……と気付かされ愕然とする。妻に対しても「弱みを見せたら負け」と思っているなら、「つらい」とは素直に言えない。他にも「自分が女性を守らなければ」とか「男は黙って耐えるべき」という種の呪縛が、つらさの吐露の邪魔をしていることもありそうだ。

平匡は「つらい」と言えたとき、やっと「男らしさの呪縛」から抜け出せたけれど、抜け出すどころか、自分の常識観を呪縛とすら思っていない人が圧倒的に多いだろう。

■怒りの暴力性はコミュニケーションを破壊する


さらにやっかいなのは、平匡がプチ爆発したようなシーンでは、現実には、怒鳴る、ものを叩く、など間接的な暴力性が添えられることが多いということだ。弱音を吐いてしまえばいいだけなのに、怒りや攻撃に形を変えて出力される。

これをやったら、その時点でまともなコミュニケーションはストップする。怒鳴るってけっこうな暴力性を持っていて、相手を萎縮させる。特に、腕力や身体の大きさ、社会的地位などの力関係があるとその暴力性は飛躍的に高まる。上司と部下、大人と子ども、男性と女性……。たいてい「強」の側はその暴力性に驚くほど無自覚で「弱」の側はかなりのサンドバック状態。

怒鳴られた側は、恐怖を隠して諦めを選び自分を守るか、反撃して言葉で殴り合い疲弊して面倒になり諦める。遠慮しあう仲にはなっても、手を携える同志にはなれない。

平匡は怒鳴らない、ものを叩かない。自分も泣きたいとうずくまった。……あぁ、それなら一緒にがんばるきっかけを作れそうなのに……と、現実との違いにため息をついた人がいたかもしれない。

つらさが怒りに転化されずにそのままシンプルに「弱音」としてと表出されるならば、コミュニケーションはものすごく楽になる。そうすれば「お互いつらいね」って同じサイドに立つことができて、あっさり同志になれるのに。

■女性が身につけた「男らしさ」


社会が作る「男らしさ」の存在を読み解いていると、男性だけでなく同時に女性もまた、実は社会の求める「男らしさ」の要素を身につけてきたことに気づかされる。

今より少し前、「女『も』働く時代」のキャリアイメージは極端で、どこかで「自分は女性っぽくない」ことを是として、「自分はあっち側じゃない」「男性と同じ扱いでOKですよ」と主張することで成立していたところがある。

そう主張して古いジェンダー観にあらがっていたつもりが、実は自分の所属を男性サイドに置いていただけで、古いジェンダー観の枠組みを破壊していたわけではなかった。むしろその枠組みを肯定していることになっていたのかもしれないと気づいたのは、だいぶ後のことだ。

100%仕事にパワーを割くイメージしか持てず、生活も仕事も両方できる力加減をするバランス感覚なんて、女性だって身に付けるタイミングがなかった。だから、育児の壁で仕事ができなくなる壁にぶつかると、女性サイドに強制送還された感覚で自己矛盾の大きさは相当なものだし、仕事も家事育児も100%の力ではできないという中途半端な状態に耐えがたい感覚を覚える。

■家庭のコミュニケーションに鎧は邪魔になる


じつは夫に対して「弱みを見せたら負け」的な感覚を持っている女性もけっこう多いのではないだろうか。それは、「妻は夫に従う」という古いジェンダー観への徹底抗戦や、業務量の不均衡への抗議でもあるのだけれど、もしかすると、仕事社会で生きるために身につけた「男らしさ」の要素も作用しているかもしれない。

夫も妻も双方が「弱みを見せたら負け」的なコミュニケーションを家庭に持ち込んだら、どっちも「つらい」と言えなくて、そりゃ、こじれる。リアルな育児生活は尋常ではなくしんどくて追い込まれるのに、「つらい、もう無理かも」の代わりに、怒り非難の言葉を浴びせ合い、衝突してさらにエネルギーを消耗する……。

育児は切れ目のない日常の中で起伏なくだらだらと続くもので、短期集中や瞬発力では乗り越えられない。ふたりで息の長い持続可能な協力関係をむすぶには、「弱みを見せない」的な強さは不要。そんなもの真っ先に捨てて、「つらさ」を開示してつながり、育児の最大の敵、「眠ってくれない赤ちゃん」に立ち向かったほうがいい。

平匡とみくりはその「弱みを見せたら負け」みたいな鎧をあっさり脱ぎ捨てていて、あぁ、簡単に真似できないのはここなんだ……と、気づかされる。むしろこのふたりには、最初から相手に対する鎧なんてないのかもしれない。そういえば、円満におだやかな協力関係と信頼関係を築けている夫婦って、家事の分担量云々は意外と関係なくて、この手の鎧がなくて牽制し合う空気がないような気がする。

■現実は発展途上だけれど……


現実の育児現場は、まだ「男らしさの呪縛」のほんの入り口で立ち止まっているし、そこには「女らしさの呪縛」も複雑に混ざり合っているだろう。

ドラマでは序盤で描かれたが、大変な女性を男性がサポートするのではなく、「一緒に勉強して一緒に親になって夫婦ってそういうことなんじゃないんですか」という感覚を持つのが最初のハードル。「私たちは親になるんだ、ひとりじゃなく、ふたりで」……まずはここからだ。

ドラマのふたりのマインドセットはいろいろ先に進みすぎていて、リアルの世界はだいぶ発展途上だけれど、「あんなのユートピアだ!」と投げ捨てるよりも、「あぁ真似できないな……」っていうところが、自分たちの足かせなのだと気づくきっかけにできるかもしれない。これも、ふたりで同時に気づけたらいいのだけれど。

ドラマ終盤、コロナ禍で育児の初期を離れ離れで過ごすことになるふたりだけれど、平匡は会えなくても気持ちはぴったりと寄り添おうとしているし、みくりの業務負担には実家という箱と健康な両親という存在があった。

心の並走感と業務負担の軽減という2点がクリアされているのは、育児初期を乗り越えるかなりの安定材料になる。だから、物理的に一緒にいられないというドラマの設定は意外とつらさとしては響いてこなくて、いやこれきっと、一緒に住んでいても夫が家事をせずしんどさに寄り添ってすらもらえない状態の方がよほどつらくて孤独だろうな……とつい思ってしまった。

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他にも現代的なテーマの豪華三段重的な詰め合わせになっていた同スペシャルドラマ、皆さんはどこに心のひっかかりを感じただろうか。

狩野さやか
Studio947デザイナー・ライター。ウェブ制作と共に、技術書籍やICT教育関連記事を執筆し、「知りたい!プログラミングツール図鑑」、「ICT toolbox」では、子ども向けプログラミングの情報発信に力を入れている。育児分野では、産後の夫婦の協業がテーマの著書『ふたりは同時に親になる 産後の「ずれ」の処方箋』があり、patomatoを運営しパパママ講座の講師も務める。2006年生まれの息子と夫の3人暮らし。