■10年後、クルマの中でのエンタメはこう変わる

203X年、阿部さん(仮名)にとってクルマは自分を開放できる異次元の空間だ。

土曜日の昼下がり。妻と息子は一緒に出かけて自宅にはひとり。金融機関に勤める30代後半の阿部さんは、のそのそと玄関を出てクルマに乗り込む。ぼぉーっとしていた顔から一転、クルマを始動させるとギラギラした顔つきになる。家族に見せる「優しい父さん」でも、職場での「そこそこできるサラリーマン」でもない。

すべての車窓が黒く光り、車内は次第に暗くなる。フロントウインドーに見えていた坪庭のツツジも見えなくなる。漆黒の空間には、徐々に星々が瞬きはじめる。宇宙だ。前面にゲームロゴが浮かび上がる。クルマのハンドルはいつのまにか戦闘機の操縦桿に変わっている。星雲間のワープを本能的に感じ取れるような、ドップラー効果を伴う轟音が鳴り響く。戦闘開始。

写真=iStock.com/Дмитрий Ларичев
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Дмитрий Ларичев

一進一退の攻防が続く。撃墜するたび戦果をたたえるように空間全体が青く光る。視界の片隅、右上方を見透かすと、仲間が敵機に追い回されている。彼はシアトルからログインしている大学生だ。助けに入ろうと旋回するも敵小隊に接近され後方で爆音がした。機体は吹き飛ばされシートがガタンと傾く。緊急事態だ。鼓動が高鳴る。車内のセンサーがそれに反応し、冷静さを取り戻すようにあえて呑気な音楽を流しはじめる。無理やりにっこりとほほ笑みながら“I’m OK!”と呼びかける。

応急処置が功を奏して、戦線は離脱せずに済んだ。程なくリーダーが中央を突破した。本当かどうかは知らないが、彼女はアラブの王族夫人らしい。“Good job!”と叫んで伝え、今日のゲームは阿部さんたちのチームが辛くも勝った。世界中の仲間たちと、互いの戦いぶりを褒めたたえあった。

クルマのドアを開けると、紅白のツツジが阿部さんを迎えた。宅配ボックスにはいつのまにか荷物が届いている。明日は家族で動物園に行く約束だ。道中は、クルマの上下左右からゾウやトラが現れて、息子を楽しませてくれるだろう。わくわくしながら玄関を開けた――。

■3つの技術領域が「車内コンテンツの進化」を一気に加速させる

これは10年後には実現する自動車のユースケースの一例だ。自動車はデジタルコンテンツを楽しむ空間として価値をもつようになる。また自動運転技術が備わり、移動の質も劇的に変わる。移動の時間はデジタルコンテンツを楽しむ時間になる。

本稿では、そうした自動車が実現するまでの技術的課題と、実現した場合のインパクトについて考えたい。

車内でのコンテンツの充実は、3つの領域の技術進化で一気に加速する。一つめは通信環境、二つめはHMI(ヒューマンマシンインターフェース)、三つめはバイタルセンシングだ。

■すべての車窓が「ディスプレー」に変わっていく

通信環境は5Gになる。実効速度で下り1Gbpsとなり、100インチのディスプレー4枚分の4K映像を楽々ストリーミングできるようになる。たとえばAGCはガラス埋め込み型アンテナを開発している。こうした技術を用いれば、自動車はそれ自体が基地局として5G環境に置かれると考えられる(※1)。

HMIは五感を刺激する機能を指す。今後は特に視覚面の進化が著しく、すべての車窓がディスプレーになる。有望な手段のひとつが、ガラスの中間膜に液晶を挟み込む方法だ。JDIの液晶技術による現状の透過率は87%で、ガラスだけの一般的な透過率92%と遜色ない水準にある。タッチパネル機能も搭載でき、画素数も1440(H)×540(V)とハイビジョンテレビに近い。ガラス自体の性能を変えないため、強度や飛散防止性などの面でも自動車への搭載に障害は少ない。今後の課題は、現状20インチ程度の表示面積の拡大や消費電力の抑制だが、2030年代には解決されるだろう(※2)。

※1 AGC株式会社ニュースリリース「ドコモとAGC、『窓を基地局化するガラスアンテナ』によるサービスエリア提供を開始」(2019年10月)
※2 株式会社ジャパンディスプレイニュースリリース「12.3インチ 透明液晶ディスプレイ開発」(2019年11月)、日経BP社「2040年のクルマ徹底予測」『日経Automotive(2018年02号)」

写真=同社プレスリリースより
ジャパンディスプレイが開発した12.3インチ透明液晶ディスプレイ。 - 写真=同社プレスリリースより

このほかには、自発光中間膜、有機EL、車窓へのフィルム貼付といった技術もある。いずれにしろ、将来的には天井を含めた全天空型の映像・音響環境が実現すると期待される。

■体温、呼吸、心拍、心電などの計測が可能に

バイタルセンシングでは、乗車している人の喜怒哀楽やストレス状態の分析が可能になる。すでに「表情分析」が現在進行形で進んでいる。これは運転支援技術において運転者が眠っていないか確認するための機能だ。

そのうえで、今後は体温、呼吸、心拍、心電などのバイタルサインの計測が可能になる。たとえばパナソニックは79GHz帯ミリ波レーダーによる非接触計測とその解析技術の開発を進めている(※3)。テキサスインスツルメンツは、車内環境での複数人同時計測技術を開発している(※4)。これらの技術による喜怒哀楽分析は、AIスピーカーによる言語コミュニケーションと組み合わせることで相当な水準になると考えられる。

※3 パナソニック株式会社プレスリリース「非接触ミリ波バイタルセンサーの小型・高感度化技術を開発」(2017年9月)
※4 テキサスインスツルメンツ公開ブログ「TIのミリ波テクノロジーを用いた車内用センシング」(2019年9月)

2020年代の技術進化を背景に、2030年には車内でのデジタルコンテンツがリッチで多様になる。全天空型の映像・音響環境にて、バイタルセンシングによる双方向コミュニケーションが実現する。ゲームや映画などの作品やキャラクターが、移動中はもちろん、その前後の時間も含めて利用者を楽しませる状況が期待される。冒頭に述べた宇宙空間のシューティングゲームはその一例だ。

■リッチコンテンツが導く10兆円市場での生態系

このような世界が実現すると、10兆円程度の新たな市場が出現し、自動車をめぐる産業生態系が大きく変わる。なぜなら、テレビゲーム、VOD、モバイルアプリ、ホームシアター、行楽施設といった従来市場を一部置き換え、新たな価値を生み出すことになるからだ。また、年間1億台程度の世界新車販売のうち一定の割合を、コンテンツ利用に最適化されたクルマが担うようになる。仮に10%だとしても、その規模は数10兆円市場となる。

このような変化は、従来の完成車メーカーを頂点とするピラミッド構造も大きく変える。「移動」だけでなく、「コンテンツを楽しむ」という利用価値が自動車に加わるからだ。その結果、ゲーム、映画、アプリといったコンテンツ産業との距離が縮まり、自動車をめぐるお金の流れが激変すると考えられる。

一つめの可能性は、コンテンツ自体への課金だ。多くの人に支持されるコンテンツは、そのコンテンツ利用やダウンロードに対して課金しうる。スマホなどのアプリと類似の構造で、多くのコンテンツは無料かもしれないが、一部は有料になるかもしれない。オンラインゲームでのアイテムのように、特典を得るごとに課金することも考えられる。

■独アウディは米ディズニーと連携して「アイアンマン」を展開

二つめは、クルマというハードウエアのフリー戦略だ。コンテンツ課金の商流を完成車メーカーが押さえることができれば、顧客接点を作るためにハードウエア販売の単価を下げることが合理的になる。現在、自動車の購入者は購入時に全額を支払うのが一般的だが、極端にいえば「無料のクルマ」が出てくるかもしれない。

三つめは、目的地側の費用負担だ。移動中に用いるコンテンツを集客施設などが提供することで、来場頻度の向上や滞在時間の延長、より直截的には商品等の購入促進が期待される。あからさまな広告ではなく、リアルの体験を豊かにする予告編とできれば効果的だろう。その場合、集客施設などが移動コストを負担することが考えられる。

いずれの場合でも、コンテンツの重要性が高まることは間違いない。たとえば独アウディは、すでに米ディズニーと連携している。これは車の走行に合わせたVR体験を提供するもので、映画「アイアンマン」の主人公となって宇宙空間を戦うのだという。魅力的なコンテンツを持つ事業者にとっての機会が広がっている。コンテンツの魅力が、自動車利用そのものの魅力に直接・間接に影響を与えることになる。

写真=同社プレスリリースより
アウディディズニーとの提携で提供する車載VRサービス「ホロライド」。専用VRヘッドセットを装着してコンテンツを楽しむ。 - 写真=同社プレスリリースより

■新たな自動車の生態系構築に向けて

多様なリッチコンテンツが楽しめるクルマを実現するためには、さまざまなプレーヤーの連携が求められる。完成車メーカーはじめ従来自動車に関連している事業者だけでなく、例えば映像制作やゲーム制作といった、コンテンツをプロデュースする事業者の巻き込みが必要だ。コンテンツプロデューサーが積極的にクルマを構想することも望ましい。

日本には影響力の大きいコンテンツが数多くある。「ガンダム」「マリオ」「キティちゃん」など世界的なキャラクターを擁するゲームや映画・アニメ作品が豊富だ。スポーツなどライブコンテンツも充実している。これらのコンテンツが、エンドユーザーはもちろん集客施設など多くのプレーヤーに求められる時代になる。

クルマを始動させた瞬間、大好きなキャラクターが空のかなたから飛んできたらうれしくないだろうか。幹線道路を走行中、後部座席の子どもたちが動物に関する解説を聞いて「ふむふむ」と自然に学習していたら、親冥利に尽きるのではないだろうか。全天空型の映像・音響環境があれば、軒先に止めた自家用車に乗り込んで、その空間で世界中の仲間との同時通信によるシューティングゲームなどを楽しみたくなるのではないだろうか。

■クルマはコンテンツにとっての新たな顧客接点となる

これらはすべて、新たな産業生態系のもとで実現する。その生態系でのカネの流れは、いち早く動いたプレーヤーが押さえるだろう。10年後に向けての競争が始まる。

もちろん最終的にはグローバルな仕組みとなるが、その起点が米国西海岸になるのか、中国になるのか、あるいは日本となりうるのか、その違いによって生態系の構造も大きく変わるはずだ。

クルマは、コンテンツにとっての新たな顧客接点となる。自動車関連メーカーにはコンテンツ側との役割分担のあり方を模索することが求められる。そしてコンテンツプロデューサーには、自ら新たな生態系を創るべく動き出すことが望まれる。

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程塚 正史(ほどつか・まさし)
日本総合研究所 創発戦略センター シニアマネジャー
1982年生まれ。2005年に東京大学法学部卒業後、中国における物流関連ベンチャー設立に従事したのち、衆議院議員事務所、戦略コンサルティング会社を経て、2014年より日本総合研究所入社。中国市場含め自動車・モビリティ事業に関するプロジェクトや新事業設立支援を推進。主な著書に『国際協力学の創る世界』(共著)/2011年/朝倉書店、『「自動運転」ビジネス 勝利の法則−レベル3をめぐる新たな攻防』(共著)/2017年/日刊工業新聞社。
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(日本総合研究所 創発戦略センター シニアマネジャー 程塚 正史)