「Jリーガーとしてプレーした3年間は、めちゃくちゃ楽しかった。39歳でお金も仕事も捨てて、夢をもう一度追いかけ、それがかなったわけですから。こんな幸せな42歳はいないですよ!」

 そう言って笑うのは、J3のYS横浜に所属する安彦考真。2019年、あの “神様” ジーコが記録した40歳2カ月13日を超える最年長記録となる41歳1カ月9日でのJリーグデビューを果たし、2020年シーズン限りでの現役引退を明言している、異色の “おっさんJリーガー” だ。

 カズ(三浦知良)に憧れていた安彦は、高校卒業後、ブラジルで武者修行しながらプロを目指した。しかし怪我に見舞われ、あと一歩のところでプロデビューはかなわず。帰国後に受けた清水エスパルスとサガン鳥栖の入団テストでも力不足を痛感し、いったんはプロへの夢を諦めた。

 その後、Jリーグクラブの通訳や日本代表選手のマネジメント、通信制高校の講師などをしていた安彦は、40歳を目前にして、年収約1000万円に到達。高級マンションに住み、夜な夜なパーティに繰り出すなど、社会人生活を謳歌していた。

「東京タワーの見えるマンションの最上階にエラそうに住んで、昼間からワインを飲み、ブランドものの洋服を無駄に買ったりしていました」

 ただ、心の底では自分に嘘をついている思いがあった安彦は突如、仕事もお金もすべてを捨て、再びプロサッカー選手を目指すと一念発起。練習生から這い上がり、2018年3月にJ2の水戸ホーリーホックと異例の「年俸10円」で契約。そして、翌年にJ3のYS横浜に移籍した。

“実質0円Jリーガー” として話題を呼んだ安彦の、2020年シーズンの年俸は120円。だが、彼に悲壮感は一切ない。

「お金はないけど、それ以上に価値のある経験をさせてもらいました。憧れは、お金があれば手に入るかもしれないけど、幸せはお金じゃ買えない。そうした普遍的なものにふれられたことが、僕の財産です」

 2020年夏には、バラエティ番組『激レアさんを連れてきた。』(テレビ朝日系)でも特集された安彦だが、年俸120円でどうやって暮らしているのか。稼いだ蓄えがたんまりあるのかと思いきや、貯金はまったくなく、今は相模原市の実家に戻り、父親の軽自動車を借りて練習に通う日々だという。

「人間、お金がなくても、今日明日に死ぬわけじゃない。2019年シーズンは月20万円で個人スポンサーをつけていたのですが、やっぱりお金で魂を売ったらダメですね。2020年は断わりを入れさせてもらいました。

 それでも僕の “考動(考えて動くこと)” に賛同してくれる方はいて、食事を提供してくれるレストランや、個人トレーナーを無償で買って出てくれた方もいます。Jリーガーで個人トレーナーがいるって、僕とカズさんくらいかも(笑)」

 大変だったのはプロ1年め、寮暮らしだった水戸時代だ。その日の食べるものにも困り、寮で朝食時に出る白飯と梅干しを、プラスチックの容器に詰めて持ち帰り、それをランチにしていたと振り返る。

「親子ほど年の離れた20歳前後の選手に、よく奢ってもらっていました。ただ僕の中では、1000円のランチなら2000円分の話、3000円の夕食なら6000円分の話をしてチャラ。『奢ってもらっている』という感覚は、なかったですね(笑)」

 0円で生きていけるわけではないが、安彦はひとつのライフスタイルとして、お金がなくても幸せになれることを証明しようとしているのかもしれない。ちなみに契約書にも、「年俸120円」は、しっかり記載されているという。

「手渡しというか、ジュースを買ってもらって終わりですけどね。だって振り込みにしたら、手数料のほうが高くなっちゃいますから(笑)」

 ただ、プロの世界は甘くない。40歳でJ2の水戸に加入したものの、その年は出場機会はなし。ようやく出場機会が訪れたのは、J3のYS横浜に移籍してからだった。

「それまで普通に働いていた、“ただのおっさん” がプロの世界に飛び込んだのだから、簡単なはずがないじゃないですか。毎日120%でやらないと練習にもついていけないし、今も膝の半月板が飛び出したまま。

 ただ、毎週の試合ごとにあるメンバー発表は、オーディションの合否発表のようで、そこに一喜一憂できるって、やっぱり刺激的ですよ」

 2020年シーズンはここまで4試合に途中出場しているが、まだゴールはない。12月20日のJ3最終節の藤枝MYFC戦が、Jリーガーとしての最後の舞台となるが、J3最年長となるゴールを決めて、プロとしての足跡を残せるか。

「僕が出場した4試合中2試合で、ロスタイムに同点ゴールが生まれています。対戦相手は、僕みたいなおっさんにだけは点を取られたくないようで、必要以上に警戒してくれていて、そのおかげで味方がフリーになっていることが多い。

 でも、最後は自分で仕留めたい。自分がサッカー選手だったことの証しとして、ゴールが決められたら最高じゃないですか。決められたら、コロナなんて関係なく、喜びを爆発させますよ」

 日焼けした肌に、長髪がトレードマーク。2020年はシーズン開幕前から、食事をビーガンスタイル(動物性食品を摂取しない)にしたことで、コンディションは上向きつつある。

「最初は、『サッカー選手が肉を食べずにパワーが出るのか』という不安もありました。最初に2週間お粥だけというファスティング(断食)をして、その後ビーガンにして9カ月ほどたちましたが、体を内側から変えたことで毎日きれいな一本糞が出るなど、体調は良好。心肺機能は、かなり改善された気がします」

 12月18日には、初の自著『おっさんJリーガーが年俸120円でも最高に幸福なわけ』(小学館)も発売。

「世の中のおっさんたちのなかには、お金に縛られすぎて、やりたいことができていない人が多いような気がするんです。でも僕は、年収が約1000万円から実質0円になったけど、夢だったサッカー選手になって心はワクワクし、今のほうが幸せだと断言できます。

 もし、年齢などでやりたいことを諦めてしまっている人がいれば、何事も始めるのに遅いことはないと言いたい。男の幸せって、いい車に乗って、いい家に住んで、いいお酒飲んで、きれいなお姉ちゃんと遊ぶだけじゃないじゃないですか。お金で買えない幸せって、意外と足元にあるかもしれないですよ」

 安彦にとって、Jリーガーとしての3年間は夢のような時間だったが、「やり残したことがないわけでもない」と話す。

「引退時に、『悔いはありません』と言う選手がいますが、そんなことありますかね? パーフェクトな日が来たら、そこで人生終わっちゃいそうだし。そもそも僕は、人生の後悔を取り戻すためにJリーガーになったわけで、悔いこそが大きなエネルギーになると思っています。

 Jリーガーとしての僕は2020年シーズンで終わりですが、最後の試合終了の笛は、僕にとって次のスタートの合図でもある。終わって悲しむんじゃなく、笑って前を向きたいですね」

あびこたかまさ
1978年2月1日生まれ 神奈川県出身 高校卒業後、ブラジルに渡り、「グレミオ・マリンガ」とプロ契約を結ぶも、前十字靭帯断裂の大怪我を負い帰国。その後、Jリーグのテストを受けるも不合格となり、約15年間社会人生活を送っていた。しかし、39歳で再びサッカー選手を目指し、2018年に水戸(J2)に加入。2019年からYS横浜(J3)でプレーするが、今季限りでの引退を表明。ポジションはFW

写真・ヤナガワゴーッ!
取材&文・栗原正夫

(週刊FLASH 2020年12月29日号)