「史上最高のサッカー選手ベスト10」

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先日、アルゼンチンが生んだサッカー界のレジェンドであるディエゴ・マラドーナ氏が死去した。

ここでは、『fourfourtwo』による「史上サッカー選手BEST100」のうちの上位トップ10を振り返ってみる(元記事は2017年のもの)。

10位:ロナウド

ストライカーが持つことができる全てのクオリティを持っていた元ブラジル代表FW。

このフェノーメノを止めることができたのは怪我とコンディション不良だけだった。

大怪我を乗り越えた後の2002年日韓W杯ではドイツとの決勝で2ゴールを叩き出して、史上最高のカムバック物語のひとつを完成させた。2011年に引退するまでキャリア通算420ゴールを記録した。

9位:フェレンツ・プシュカーシュ

ハンガリーが生み出した稀代のアタッカー。キャノン砲や魔法の杖ともいえる左足でピッチを支配した。

彼のキャリアは特別だった。幸運にも史上最高の代表チームと史上最高のクラブでプレーできたからだ。

“マジック・マジャール”と呼ばれたハンガリー代表で50年代のサッカー界を席巻。また、伝説的なチームだったレアル・マドリーの主軸として3度の欧州制覇、リーガ5連覇を成し遂げた。

彼は選手としても特別だった。体躯は172cmと小柄で最高のアスリートではなかったが、驚異的なスピードとパワフルなシュートを兼備。自分で攻撃を仕掛け、自分で終わらせることができたほか、リーダーとしての資質も圧倒的だった。

8位:ジネディーヌ・ジダン

フランスにワールドカップ初優勝をもたらしたファンタジスタ。

残酷なほどに効果的な選手もいる一方、エレガントな選手もいる。彼のようにそのどちらも兼ね備えていた選手はほとんどいない。同世代のなかで最も崇高な才能を持っていた。

自国開催だった1998年W杯で優勝達成。多様な文化を抱えるフランスで激しい論争が繰り広げられていたあの時代、フランス代表チームは統合の象徴とされた。

アルジェリアにルーツを持つジダンがチームにとって決定的な選手になり、決勝で2ゴールを決めたことは非常に重要なものだった。

7位:フランツ・ベッケンバウアー

ディフェンダーにできることを再定義し、クラブと代表で全てを勝ちとった元西ドイツ代表DF。

多くの偉大な選手同様、彼もいくつかのポジションでプレーすることに長けていた。もともとはセンターフォワードだったが、バイエルンでは左ウィングとしてデビュー。その後、スイーパーとしての役割で実験を始めると、「カイザー」として世界で最も効果的な選手の象徴になった。

6位:アルフレド・ディ・ステファノ

光り輝く20年のキャリアを歩み、アルゼンチン、コロンビア、スペインと3か国の代表でプレーした稀代のFW。

1950~60年代のレアル・マドリーで名声、富、タイトルを獲り尽くした。

バーサタイルなスーパーFWだっただけでなく、無尽蔵のスタミナも併せ持ち、試合終盤に数多の得点を奪取。また、他の最高選手たちと同様にピッチのどこにいてもプレーに影響を与えることができた。

ベッケンバウアーやサー・ボビー・チャールトンはディ・ステファノがサッカー史上最高のオールラウンドプレイヤーだと評価している。

5位:クリスティアーノ・ロナウド

サッカー史上に残る得点数を積み重ねてきたポルトガル代表FW。

眩いばかりの才能、たゆむことのない献身、ビッグゲームの強さ、そして、彼はまだ現役である。

欧州が生んだ最高のゴールスコアラーであるロナウドは史上最も一貫性があり、史上最も無慈悲な選手として歴史に残るだろう。

サー・アレックス・ファーガソンもこれほど才能ある選手を監督したことはないと述べていた。

4位:ヨハン・クライフ

今なおサッカー界に影響を与えるオランダが輩出した天才。

野球界の損失は、サッカー界の利益になった。10歳でアヤックスに入った際、彼は足元のボールよりも手に持ったバットのほうがずっと好きだったのだ。コーチがサッカーの道へ進むことを説得するまで5年を要した。

弱冠17歳でデビューすると、司令塔としてピッチ上に君臨。そのスピード、ビジョン、得点嗅覚は比類ないものだった。

監督としてアヤックスとバルセロナに戻ると、現代サッカーのプレーに革命をもたらし、何十年に及ぶサッカー界への支配を開始した。

3位:ペレ

世界中から崇敬されるサッカー史上最もアイコニックな選手。

弱冠17歳で出場した1958年W杯では準々決勝、準決勝、決勝でゴールを決めて、セレソンに初優勝をもたらした。

ブラジルが生み出したキングはキャリア通算1281ゴールを記録、サッカー史上最も完成されたフットボーラーだった。

あのロマーリオは「ペレは口を閉じた詩人」と評している。彼に触れたい人、彼にキスをしたい人がいただけでなく、ペレが歩いた道にキスをした人までいた。

2位:リオネル・メッシ

数多の個人賞やクラブアワードを獲得し、全ての記録を打ち破ってきたアルゼンチンの天才。

彼のプレーを見ているだけで、この稀代の天才に感謝することができる。

メッシの偉大さを言い表すひとつのやり方は彼が獲得したタイトルと賞を羅列することだ。

5度のバロンドール受賞(2019年に6度目を受賞)、1年間で91ゴール、アルゼンチン代表、バルセロナ、ラ・リーガの史上最多スコアラー…。やはり、このやり方だけでは不十分だ。

今から20年後の若きファンたちは、メッシの輝きが世界を驚かせ、数多の記録を打ち破り、時代を支配したことを文字で読むことはできる。

だが、映像を見るまでは、自分たちが見ることができなかったものがどんなものか分からないだろう。

1位:ディエゴ・マラドーナ

並外れた才能と意志でサッカー界を屈服させたアルゼンチンの天才。

ペレは彼よりも多くのゴールを決めたし、獲得したタイトル数ではメッシの方が上だ。2人は人生的にも彼より安定している。

だが、ボールを持ったマラドーナを見たことがあれば分かるだろう。

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1986年W杯のイングランド戦では、史上最高の5人抜きゴールを決めた。対戦相手だったギャリー・リネカーさえも「あんなに美しいゴールを決めるなんてありえない。彼は史上最高の選手だ、断トツでね」と脱帽。

メッシも「自分が100万年プレーしても、マラドーナには決して近づけない。彼が史上最高だ」と惜しみない賞賛を送っている。