道を歩いていたらまさかの偶然、キミの相方(数原龍友)にバッタリ!会うのは数ヶ月ぶりで妙に嬉しかった。こんなご時世だから尚更。しかし、こんなご時世じゃなければ絶対にハグしてた

写真拡大 (全2枚)

片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)×作詞家・小竹正人 往復書簡20

 片寄からのメッセージにあった「天職」について。小竹はこれまで受けたインタビューでのエピソードから掘り下げて綴る。

 ***

拝啓 片寄涼太様

 3年前、初めての歌詞&エッセイ集『あの日、あの曲、あの人は』を上梓した際、インタビューが苦手な私にしては珍しくたくさんの媒体のインタビューを受けた。

 なぜ私がインタビューが苦手か? よく知らない人に会って質問されるのが嫌だとかではなく、ついつい喋りすぎて疲れちゃうから苦手なのである。

 顔出しもしないSNSもやらない私は取材を受ける際、ここぞとばかりに余計なサービス精神を出してしまう。

道を歩いていたらまさかの偶然、キミの相方(数原龍友)にバッタリ!会うのは数ヶ月ぶりで妙に嬉しかった。こんなご時世だから尚更。しかし、こんなご時世じゃなければ絶対にハグしてた

 インタビュアーの人を楽しませよう! と意気込んだり、より深いところを掘り下げようとして逆にとんちんかんな方向に話題を持っていったり。

 30分の予定で組んでいたインタビューが2時間以上になってしまったこともあるくらい。何なら、予定時間内にインタビューを終えたことは1度もないと思う。勝手に張り切って勝手にエネルギーを消耗して、とにかく疲労困憊でへとへとになるのが常。

「こんなに楽しいインタビュー、初めてでした!」と女性誌の編集の方に言ってもらい、「えっ、やった!」などとおちゃらけて返す私。

 どちらかと言うと暗い歌詞ばかり書いている私には、気難しそうとか神経質そうとか無口そうとかのイメージがあるらしく、「小竹さんがこんなに明るい人だとは思いませんでした」と満面の笑みで言われたことも数知れず。

人間のとんでもない醜態を暴いたあとに、思いもよらぬ感動で読者を泣かせる。いつだってそれを、せせらぎみたいに淡々とした文章でやってのける吉田修一氏。私が生涯で一番好きな作家です

 笑いをとって、自分や自分の歌詞のイメージを自分で崩壊させて、あんたの職業一体何なんだよ? ってハナシだね、ホント。

 ところで、そのインタビューラッシュの際に、私は何人ものインタビュアーの方に「作詞家って小竹さんにとって天職ですね」と言われた。

 その都度、「えっ!?」と、妙に驚いたのを覚えている。もちろんありがたかった。しかし、素直に「ありがとうございます」とは言えず、「そうだったら嬉しいですね」とお茶を濁した。

 世の中に、「これが私の天職だ!」って思いながら働いている人ってどのくらいいるのだろう。

 若気の至りからその職業の酸いも甘いもまだ熟知せずにそう言っている人って結構いそうだし、やっていてただただ楽しいからそれを天職だと思い込んでいる人もいるだろう。

 ひとつだけ確かなのは、楽しいだけの仕事=天職ではないということ。どんな仕事だって、その仕事を長く(これ絶対条件)真摯にやっていたら、辛くて仕方のない瞬間がきっとあるし、辞めてしまいたいと思うことだって少なからずあるはずだ。

 自分のやりがいや喜びや収入、他人からの評価だけではなく、他者には計り知れない苦悩の部分も含めてその生業を「天職」と胸を張って言えるのなら、それはもう本当にそうなのだと思う。

 私自身、作詞という仕事は心から大好きだし相当な遣り甲斐があるけれど、幾度も苦い汁をゴボゴボ飲んできたし、執筆を放り出したくなったことだって1度や2度じゃない。しかも、作詞以外の作詞家としての仕事(打ち合わせ、レコーディング、諸々の確認事など)が苦手ときている。

 更に、同じ30年くらいの社会人としてのキャリアを持つ君の父上(テレビ電話でお話ししたことがあるね)が持っているような勤勉さや実直さがなかった私は、ひどくダラダラと作詞家初期を過ごしていた。

 いわゆる「プロ意識」を持っていなかったのだ。「職業は作詞家です!」と堂々と言えるようになったのはここ10年くらい。そんな私が「天職は作詞家です!」といけしゃあしゃあ高らかに宣言できるわけがない。一生無理かも。

 私は、人間って生まれた瞬間にその人が生きる年月と同じ分くらいページ数のある「人生の問題集」みたいなものを神様から渡されて、その問題集を解き続けながら生きているのでは? と思うことがある。

 私の問題集には序盤のページのあたりから、言葉や歌詞や文章の難問がたくさん出題されていて、頭を抱えながらそれを解いているうちに「学ぶこと」や「成果が出ること」に喜びを見出した気がする。

 だからこそ私はどんどん悪くなっていく視力と戦いながらもずっと「書く」のをやめられないのだと思う。

 作詞を生業として早30年、相変わらず目には見えない問題集を抱えながらも、「私の天職って実はベビーシッターでは?」と本気で思いがちな近頃だが(それくらい周りに子供が多いし、その子たちは私に懐いてくれるんです)、作詞家を引退するまでには今世の問題集を自分なりに完遂して、そこからふわふわとした余生を謳歌できたら。

 今までに私が読んできた数千冊に及ぶと思われる本や漫画で特に好きだったものを読み返したり、何かしらつれづれと執筆したりしながら、最期には安らかな気持ちで「作詞家って私にとって天職だったな。ありがとう人生!」と悟りたい。

 その頃には、活躍の幅を更に広げているであろう君をメディアで見て、「涼太、大人になったなあ。なんか美味しいものをご馳走してくれないかなあ」なんて呟いたりしてね。こんな、君の倍くらいの歳の大人になるとさ、これはもう「夢」ではなく、「切実な願い」です。

 あれっ、なんか「最後の手紙」みたいになっているが、未熟者の私はまだまだ踏ん張って問題を解き続け、まだまだ君を隠れ家的名店に連れて行けるよう頑張りますよ。はい。

 
小竹正人

                                      敬具

片寄涼太 Ryota Katayose
GENERATIONS from EXILE TRIBEのボーカル。1994年8月29日生まれ。大阪府八尾市出身。祖父と父が音楽教師で、若いころからピアノに親しむ。2012年にデビュー。14年にドラマ「GTO」で俳優デビュー。19年に映画「午前0時、キスしに来てよ」で橋本環奈とW主演。11月18日にGENERATIONS 24枚目のシングル「Loading...」の発売が決定。

小竹正人 Masato Odake
作詞家。3月10日生まれ。新潟県出身。東京・本郷高校、カリフォルニア州立大学卒業。 作詞曲「Unfair World」で第57回日本レコード大賞受賞。「花火」(三代目J SOUL Brothers from EXILE TRIBE)など、数百曲を手掛けた。小説は『空に住む』『三角のオーロラ』(共に講談社)、歌詞&エッセイ集に『あの日、あの曲、あの人は』(幻冬舎文庫)。2017年から、自身の歌詞をモチーフに、三池崇史、行定勲、河瀬直美、石井裕也らが映像化する「CINEMA FIGHTERS project」のコンセプトプロデューサーを務める。

2020年12月6日 掲載