川崎や名古屋を率いてチームの基盤を作ってきた風間氏はなぜセレッソ大阪での仕事に就いたのか。 (C) Getty Images

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“最適な人事” とはこのことかもしれない。

 1年3か月ぶりに、風間八宏がJの舞台に戻ってきた。携わるのはセレッソ大阪。その役職は「技術委員長」だ。ただし、指揮を執った川崎フロンターレや名古屋グランパス時代とは異なり、トップチームと直接的に関わることはない。彼に任されたのは“育成型クラブの再建”である。

 上述した2チームにタイトルをもたらすことはできなかった。だが、その指導によって“伸びた”選手は数多い。選手とサポーターの両方から「あの選手は上手くなった」という声を耳にした筆者は確信を持って言える。今シーズン、圧倒的な強さでJ1を制覇した川崎の攻撃面における下地を作ったのは間違いなく風間氏であり、それは誰もが納得している点であろう。

 そこから出た一つの答えが、“風間八宏は選手の技術を確実に高める”ということだ。川崎のバンディエーラである中村憲剛が引退会見でも触れていたように、年齢関係なく選手の技術は伸びるということを示したのである。

 ならば、いわゆる“伸び盛り”の10代を彼が手掛けたらどうなるのか?

 こう考えるファン・サポーター、そして指導者が数多くいるのは間違いなく、またその姿を望む声が多くあったのも事実だった。そうしたなかで、現実となったのだから、期待が膨らむのも必然である。

 ただし、風間氏は現場で選手たちを直接指導するわけではない。
 
  セレッソ大阪で託されるのは「指導者の育成」と「指導基準作り」というミッションである。

 2019年9月に名古屋グランパスを離れてから、風間氏は全国各地の指導者と交流し、自身の指導法や考えを伝え続けてきた。この活動のなかで、彼は多くのことを感じたと言う。

「オンラインで繋がったり講習会をしたりするなかで感じたのが、指導者の要望がすごく多いこと。指導は意外と孤立しています。“飢えている”や“学びたい”という思いがある一方で、迷いも感じたんです。だからこそ、指導者の基準を作らなければいけないな、と」

 そして、トップの現場を離れ、1年が経とうとしていた今年の8月のことだった。風間氏のもとに一本の電話が入る。

「『下の子たちの未来をしっかり作りたいから、育成型のクラブを構築してくれないか』と話をいただいたんです」

 その電話の主こそ、セレッソ大阪の梶野智チーム統括部長である。
 セレッソ大阪は柿谷曜一朗や丸橋祐介らの活躍もあり“育成の名門”という印象が強い一方で、近年はU-23の一員としてJ3で出場を重ねるも、トップチームの主力となる選手がなかなか出てきていない状態でもあった。そうした現状に、クラブとしても育成をテコ入れしなければいけないと感じたのだろう。

 もちろん電話だけで話し合いが終わったわけではない。梶野氏に加え、森島寛晃社長も風間氏のもとを直接訪れた。

 10代で即戦力となり、“顔”となる選手を産んでいきたい。そして、見ていてワクワクした強いチームを作っていきたい。こういったクラブ側の意向に風間氏は共感し、正式に入閣することになったのだ。

「選手が変わるためには、指導者が成長していかなければいけません。指導者も“武器”を持たなければいけない。仕組みや組織をしっかり作り、方法論を伝えて、みんなで資質をあげていきたいです」
 セレッソ大阪に入ってからプランや組織作りを始めるのかというと、そうではない。その仕組みについても現時点で「整備ができていたところ」だと言う。これも風間氏にとっては、またとないタイミングであったと言えるだろう。

 風間氏は、定期的に育成組織の指導者を集めて講習を行なう予定であり、それは男子だけにとどまらずレディースも対象になるのだという。セレッソ大阪が関わる全てのカテゴリに対し、新たな仕組みと方法論を根付かせていく方針だ。

 今回の就任について風間氏と直接、会話をしたなかで、強く印象に残った言葉を最後に伝えたい。

「いつプロ契約をできたかではなく、トップでも“いちばん大事な存在”になれるように選手を導いていきたい。これは“未来を作る”仕事」

 すぐに結果に結びつくわけではない。これはあくまで中長期的なプロジェクトと言えるだろう。ただ、この開始の時点で、未来の“桜の開花”がすでに待ち遠しいのは、筆者だけではないはずだ。

取材・文●竹中玲央奈(フリーライター)