騒動後初めて開いた記者会見で、厳しい表情を見せるお笑いタレントの渡部建さん=12月3日夜、東京都新宿区(写真:共同通信)

12月3日夜、今年6月の不倫報道で無期限活動自粛中のアンジャッシュ・渡部建さんの会見が行われ、ネットで生配信されたため、ツイッターのトレンドランキング上位を独占するなど、大きな注目を集めました。

事前報道では「今さら会見」「無謀会見」「フルボッコ会見」などと揶揄されていましたが、無理もないでしょう。不倫だけでも叩かれる上に、「多目的トイレを使用」「女性に1万円を渡して帰らせた」「妻と相方に謝らせて自分は逃げ回る」などの卑劣な行為が加わったことで渡部さんは、「芸能界復帰不可能」「引退もやむなし」とさえ言われていました。

しかし、会見を終えてみると、結果的に渡部さんにとってわずかながらも一歩を踏み出せたように見えます。少なくともクライシスコミュニケーション(危機管理広報)の観点では、「たとえ遅すぎた会見でも開いて正解だった」のは間違いありません。

なぜ「今さら」「無謀」「フルボッコ」と言われた渡部さんの謝罪会見は成功と言えるのでしょうか。

「気持ち悪い」の印象を軽減できるか

まず渡部さんのケースに限らず謝罪会見の主な目的は、「心の底から反省している姿を見てもらうこと」「記者たちから責められて自らの非を認め、会見をイメージダウンの底にすること」の2点。

その意味で渡部さんは、冒頭から目を潤ませながらも芸能記者たちと向き合い、意地悪な質問にも逃げずに対応していたほか、報じられた内容をほぼ認めたり、「謝罪会見をせずに済むと甘い考えを持っていた」とうなだれたりなど、大みそかの「ガキの使いやあらへんで! 絶対に笑ってはいけないシリーズ」(日本テレビ系)に関すること以外は正直に答えていました。

たとえば、最大限の謝罪が必要な多目的トイレの使用者に対して、「最も本当に謝らなければいけないことで、ふだん利用している方にご不便とご迷惑をおかけして、本当に深く深く反省しています」とコメントするなど、嘘、打算、保身といった明らかに「これはおかしい」というところはなかったように見えます。

ただそれでも渡部さんの行為は、過去の芸能人不倫とは比較できないほどひどいものであり、これだけでは人々に与えた「気持ち悪い」というイメージを軽減することはできません。渡部さんが芸能活動を再開したいのであれば、その「『気持ち悪い』というイメージをどれだけ軽減できるか」が重要であり、本人と業界関係者のどちらにとっても謝罪会見の成否を分けるポイントとなっていました。

その意味で象徴的だったのは、ツイッターのトレンドランキングに「女性記者」「レポーター」「リポーター」がランクインしていたこと。しかもその中身は、「レポーターの態度や質問がひどい」「何であんなに上から目線なんだ?」「質問がハラスメントそのもの」「最低な仕事」などの批判ばかりでした。その他にも、トップ4を形成した「記者会見」「渡部の会見」「謝罪会見」「渡部さん」というトレンドワードの中に芸能記者を批判する声が半数近くに及んでいたのです。

精神崩壊や自死を選んでしまう危険性

とりわけ目立っていたのは、謝罪会見をイジメとみなす声の多さ。「会見ではなく公開イジメだったな」「立場の弱い人間を大勢の大人がいじめているようにしか見えなかった」「芸能人の記者会見がこれではいつまでたってもイジメはなくらない」「こいつ(渡部さん)も大概だが、逃げ場のない人間にカメラを向けてとことんイジメ抜くマスゴミに反吐が出る」などの声が挙がっていました。

さらに本質を突いていたのは、「記者が最低でレベルが低すぎる。この会見で渡部が精神崩壊する可能性あるよね」「こんなに追い詰めて自死するかもとかは考えないんだろうな」という声。確かに、家族でも利害関係者でもない多数の人々から強く責められ続けたら、「自分は世界中の人からここまで嫌われているんだ」「もはや生きている意味があるのだろうか」と精神を病んでしまう危険性があるでしょう。

人々の怒りが個人に届きやすい現在の社会は、芸能記者たちの「それが私たちの仕事だから」「芸能人だからこれくらいの攻撃は当たり前」という理屈が通用する時代ではないのです。会見で渡部さんが精神科の病院に通っていたことがわかりながら、より厳しい言葉を浴びせ続けた芸能記者たちの姿勢は危険極まりないものでした。

会見の形式が着席式ではなく、多くの記者にぐるっと囲まれる囲み式だったことも、「よってたかっていじめている」という印象を高めました。しかし、これは裏を返せば、渡部さんに同情が集まりやすい形式であり、その意味では優秀な危機管理の専門家からアドバイスを受けていたのかもしれません。


ぐるっと囲まれる囲み式で会見が行われました(写真:共同通信)

また、質問の内容も「(多目的トイレでの性行為)それは性癖ですか?」「今後どのように多目的トイレを使っていく?」などの耳を疑いたくなるようなものが散見されました。その他にも、「渡部さん自身の必死さが伝わってこない」「(妻の佐々木希さんは)秋田の女性なのですごく耐えるという気持ちも強いと思うんですけど」など、芸能記者たちの行きすぎた言葉があり、なかでも極めつけは「われわれも『ガキの使い』で来ているわけではない」というフレーズ。

『ガキの使いやあらへんで! 絶対に笑ってはいけないシリーズ』の収録参加を語ろうとしない渡部さんに苦言を呈すような上から目線の口調であり、しかもウケ狙いの言葉に会場から笑いが漏れていましたが、これこそが芸能記者の勘違いを象徴していました。

いち出演者が未発表情報を言えるはずがない

芸能記者たちは「収録参加(仕事復帰)が先か、謝罪会見が先かをはっきりさせたかった」「発言の矛盾を突こうとした」のでしょうが、いち出演者の渡部さんが未発表の情報を勝手に言えるはずがありません。それにも関わらずしつこく聞き続ける芸能記者たちの姿に、ツイッター上には「同じ質問ばかりしていてバカみたい」といううんざりするような声が次々に挙がっていました。

もし渡部さんの発言に矛盾があったとしても、それを明らかにしたところで誰も得しないし、多くの人々が聞きたかったのはそこではないでしょう。芸能記者たちは「言葉の粗を探して責めよう」という意識があるから、こういう偏った質問の流れになってしまうのです。「(渡部が収録に参加したのか)そんなに聞きたいなら日テレに聞け!でも記者たちは日テレには強く言えないんだろうな」というツイートがまさに正論でした。

そんな芸能記者たちの姿勢が、前述した「『気持ち悪い』という印象をどれだけ軽減できるか」というポイントに影響を及ぼしていました。ツイッター上には、「レポーターたちが気持ち悪すぎて渡部の気持ち悪さが薄らいだ」「芸能リポーターは渡部より500倍キモイ」「『女性の味方です』というスタンスが気持ち悪い」「リポーターが気持ち悪すぎて途中で見るのをやめた」などの声が見られたように、芸能記者たちとの比較上で「気持ち悪い」という印象がいくらか軽減されていたのです。

私はこれまで5000人を超える著名人へのインタビュー経験があるほか、聞き方に関する本も出版するなど研究とノウハウの確立を進めてきました。聞き方という観点でこの会見を見ると、芸能記者たちの質問は表面上をつつくようなものが多く、心の動きを深く突いていくような流れを作り出せていなかったのです。

「ランダムに質問が飛ぶ囲み会見だから、掘り下げる流れを作りにくい」という点はあったとしても、同じことばかり聞いたり、進んだと思ったら戻ったり、本音を引き出すより失言を誘おうとしたりなど、視聴者にとっては見づらい会見になっていました。

その点では、芸能記者にはベテランが多いせいか、「日本中の人々がネットで生配信を見ている」という意識が低いのかもしれません。「見てもらっている」「自分も出演者の1人」という意識が低いから見やすさを考えず、「芸能記者同士で連携を取って掘り下げよう」という姿勢も見られませんでした。

また、この日は囲み会見ということもあり、芸能記者たちは社名、番組名、個人名を名乗らず、顔もほとんど見せなかったことで「卑怯」という印象を与えてしまいました。「最後に言いたいことは?」と締めの言葉をうながして言わせたあとで、「再び質問を畳みかけて動揺させたところを突こう」という芸能記者の常とう手段も含め、第三者から見たらアンフェアな会見だったのです。

案の定、ネット上には「記者側にもカメラをつけろ」「名乗るのは最低条件にしてほしい」「しつこい男のリポーター、ぶん殴ってやりたかったわ」などの声が挙がっていました。ツールが進化し、視聴人数が飛躍的に増えているだけに、芸能記者たちもそれに対応すべく進化が必要ではないでしょうか。

記者の「密」がコロナ禍のミスリードに

芸能記者に関してもう1つふれておかなければならないのは、世間の人々がコロナ禍に苦しむ現状にふさわしくない対応に見えたこと。

リポーターたちの距離感は近く、体が重なるシーンが何度も見られました。いくつかの感染対策が見られたとは言え、視聴者に「密集」「密接」のイメージを与えたのは間違いなく、カメラマンたちも超至近距離から折り重なるように渡部さんを撮影する異様な光景。実際に飛沫を浴びているかはわかりませんが、ソーシャル・ディスタンスではないことは明らかであり、これを全国の人々に見せればコロナ禍のミスリードになってしまうでしょう。

もし渡部さん側からこの形での会見を提案されたとしても、許可を出されていたとしても、ネットで生配信し、翌日の情報番組で大々的に扱う以上、もっとコロナ禍に配慮した対応をすべきだったのではないでしょうか。

これだけ芸能記者たちが視聴者に悪い印象を与えたことで、謝罪会見が終わったころには、「会見は開く必要がなかった」という声が飛び交っていました。結果的に今回の謝罪会見は、ほとんど思い入れもない他人に辛らつな声を浴びせていた人々が、我に返るきっかけとなっていたのです。

ただそれでも、渡部さんが一度与えてしまった「気持ち悪い」という印象はやっかいであり、これを忘れてもらうには、それなりの年月が必要。渡部さんも会見によって「気持ち悪い」の底は脱しましたが、これからの行動が大切なのです。本人が語っていたように、「僕自身の行動、生き方で信頼を回復していく」しかないのでしょう。

不倫報道から半年の間、批判の火は消えたのではなく、燃え続けていましたし、どんなに落ち込んでいたとしてもすぐに会見をやっておくべきだったのは間違いありません。しかし、芸能記者の悪印象もあって、クライシスコミュニケーションの観点では、確実に小さな一歩を踏み出すことができたのです。

応援メッセージであふれるブログ

最後に、今なお渡部さんに批判の声を浴びせている人へ。

会見前には「渡部アレルギー」というフレーズがトレンドランキングに入るなど、嫌悪感をわざわざ書き込むことで自ら増幅させている人が目立ちます。しかし、批判を浴びせれば「スカッとした」と思い込んでいる人をよく見かけますが、これは大きな間違い。

利害関係のない人に批判の声を浴びせるほど、行き場のない負の感情は渡部さんのもとには届かず、自分の心に蓄積されていくでしょう。さらに渡部さんではなく、次の叩けそうな人を見つけて批判を浴びせると、負の感情は山積されてジワジワと自分をむしばんでいきます。

また、不必要な批判を繰り返すほど、渡部さんの家族や相方の児嶋一哉さんを苦しめ、さらに同じ「渡部」「建」という名前の人がいじめられる2次被害が深刻化していくでしょう。もし渡部さんへの嫌悪感が消えなくても、ネット上で叩くのではなく、ただ心の中で軽蔑して視界から消せばいいというだけの話なのです。

渡部さんのブログは、下記のような応援メッセージであふれていました。

「報道陣の質問が不愉快でした。渡部さん、応援しています!頑張って復活して下さい!」
「過去よりもこれからの姿勢、生き方が重要。気づきに遅いことはないから、今ここから頑張って欲しいです」
「渡部さん大変な会見でした。また必ずやり直せます!これから同じ過ちを悔い改めて頑張って下さい。奥様のお気持ちに応えてあげて下さいね」
「これから、これから!またテレビなどで見られる日を待っていますよ!」
「誰にでも失敗はある。私も失敗して後悔してばかりです。これからは家族のためにも前向きに頑張りましょうね!」

応援するかはさておき、渡部さんがひどい不倫をしても、謝罪会見を開かず逃げ回っていても、第三者である人々が過剰に責め立てる必要性はどこにもなく、むしろ反省してやり直す姿を見守れる社会でありたいところです。